こんにちは。
簡単なようでむずかしいご質問ですが、「偏見を持っている」ということをとても正直におっしゃって下さっていますし、ストレートに質問して下さっていることに、私としてはむしろ好感を抱きましたよ。
ですから、まず、「不愉快な質問だとは思わなかった」ということをお伝えしておきますね。
また、大半の人は、偏見や不信などを感じつつも、無意識のうちにタブーだとお考えになるのか、このような疑問を口にはされませんが、私自身は「それもまたいかがなものか?」と感じていましたので、このような質問をしていただいたことを、むしろ評価したいと思っています。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、一般論としてお答えすることをお断りした上で、回答させていただきたく思います。
1.なぜ、突然わけのわからないことを叫んだりするのか?
知的障害者の方すべてがそのような状態である、ということはありません。
ただ、一般に、知的障害が重度になればなるほど、知的能力がうまく統合されていなかったり、あるいは、自閉症的傾向を強く持っている場合が多くなります。
端的に言えば、より本能的なもの・動物的なもの(こういう言い方は適切ではないのですが、あえて。)がむき出しになってしまう、とでも言えば良いでしょうか。
つまり、感情の波(怒り・喜び・悲しみ)がよりストレートになってしまうのです。
かつ、重度になればなるほど、周りの状況に自分を合わせる、ということが非常にむずかしくなる方がほとんどです。
このような背景から、自分自身をコントロールすることができず、感情のままに(あるいは、「感情が爆発・暴発する」とでも言えば良いでしょうか?)行動してしまい、その結果、おっしゃるような状態になってしまうのですよ。
2.自分が障害者だって自覚してるのか?
実は、中程度~軽度の方には、ご自分で自覚しておられるケースも多く見られます。
「ほかの人はできるのに、なぜ自分はできないのか?」ということを自覚されていることもありますし、あるいは、周りから「おまえは遅れているから」と言われ続けることによって自覚せざるを得ない、という場合もあります。
しかしながら、それよりも障害が重い場合には、正直申し上げて、おそらくご自分には自覚がないでしょう。
3.精神障害と知的障害の違いは何?
知的障害は、まず、ほとんどのケースが生まれつきのものです。
また、精神障害は、ある一定程度以上の知的活動の結果として、そのもつれや破綻によって生じる、ととらえられています。
つまり、精神障害の場合は、ある時点までは正常であった、ということが大きな違いとなります。
言い替えますと、精神障害の場合は「環境に自分を合わせようと努力はしたけれども、その努力がもつれたり破綻したりして、心のバランスが狂ってしまった」という状態です。
知的障害の場合は、より重度になればなるほど、そのような努力が全く見られないか、見られたとしてもごくわずかです。
4.頭の中が成長していない、という認識でいいのか?
その人自身だけをとらえるのであれば、私は、そういう認識で良いと思います。
但し、それだけを「うまく生活できない」という理由にしてはならない、と考えています。
障害を持たない人もそうですが、環境や教育によって変わってゆきますよね?
それは、どんなに重い知的障害を持った方でも全く同じです。
成長というものは、必ずしも本人の力だけで行なわれるものではなく、周りからの働きかけによるところも大きいのです。
ですから、ご本人の「頭の中が成長していない」というとらえ方は間違ってはいないと思うものの、それを否定的のみにとらえることは賛成いたしかねます。
5.どうやって生きているのか?
周りからのサポートがあってこそです。
最も重度の方の場合、食事や排泄のコントロールさえ自分でできなかったり、体温コントロールさえできない方もおられますよ。
あるいは、危険という概念がないため、突然走っている車に体当たりしたり、火遊びを繰り返したり‥‥ということもあります。
私たちは、一見1人で生きているように思いがちですが、知らず知らずのうちに周りからのサポートを受けていますよね?
知的障害者の方にとっては、そのようなサポートがより重要になってくると思います。
6.自活できるのか?
いろいろな考え方があると思いますが、私としては「無理」と言わざるを得ないと思っています。
まず、生活を維持してゆけるだけの収入が得られません。たとえ障害年金をもらったとしても、です。
次に、日常生活を1人でこなしてゆけるだけの能力が不足しています。周りからのサポートがあれば何とかなるケースも多いのですが、しかし、そのようなサポートを受けられるケースは、まだまだ多くはありません。
すると、収入、各種の契約(例:クレジット契約など)、対人関係(例:職場、ご近所)、はては余暇活動や性生活に至るまで、どこかにほころびが出てしまわざるを得ません。
このほころびは、私たち以上に彼らの生活に悪影響を及ぼすことが少なくありませんから、そういった意味でとらえると、私としては、それを「自活」とは呼べません。
となれば、やはり「無理」と言わざるを得ないのではないでしょうか?
7.働くとしたら作業所以外にあるのか?
これはYESです。
作業所以外の「働く場」は既にあり、それなりに多くの知的障害者の方が活躍しています。
ただ、やはり、知的障害者の大部分を占めている重度~中程度の人にとっての「働く場」は、事実上、作業所や施設以外にはないのですよ。
作業能力に限界があるために経済活動に乗らない、というのが大きな理由で、そのことも「自活」をむずかしくしているように思います。
たいへん長くなってしまいましたが、私なりの見解は以上です。
もちろん、これがすべてではありませんから、参考意見の1つとしてお読みいただければ幸いです(ぜひ、ほかの方の「違う考え方」も知って下さいね。)。