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間引きと知的障害者
間引きと知的障害者 野菜を育てていて思うのですが 野菜以外の草(雑草と呼称)は引きぬく 虫(害虫と呼称)は捕殺 発芽しても成長の良いのだけを残して後は廃棄(間引き) 古くなってきたら実がついていても株を抜いて廃棄 といった、極めて効率的な方法論を 神のような振る舞いで実施するのが当然なのに 人間社会では少なくとも表向きは 黒人、アジア人、白人ほか、みんな平等に生きる権利がある 知的障害者も保護しなくてはいけない 成長の悪い子供も同じように大切に育て お年寄りを大切に といったことが倫理的に全肯定されています。 私はこの適用の違いを人情と「自分がされたらやだから」 以外の理由で説明することが出来ません。 なんの偏見も入れ知恵も無い子どもたちにしてみたら *虫くらいの意識しかない知的障害者を何故助けなくてはいけないの? *せっかく種から芽を出して頑張って育とうとしているのに芽を引き抜くのはかわいそう と素直に考え、質問をしてきます。 「人間は人間に優しくするべきは当然のこと」と答えることは 「人間以外のものは人間の都合の良いように手を下して良い」とニア・イコールですし、 先の野菜の育て方はまさにその実践です。 これをそのまま価値観として教えて良いのでしょうか? お知恵をお貸し下さい。
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私は、軽度の知的障害がある30半ば無職の独女です。 就職したくても最近は、どこの会社も算数?の小テストがあって、とけないと受かりません。 きびしいです。 この文章を読むと何もかもあきらめた方が幸せだと、いってるように思えます。 希望ってないんでしょうか。
- rinaly-k
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*虫くらいの意識しかない知的障害者を何故助けなくてはいけないの? 多くの子どもがそんな恐ろしい事を聞いてくるわけではないと思います。少なくともうちの子の口からはそんな事聞いたことはありません。 虫くらいの意識しかないって…なんでそんなことを思うのでしょうか。 *せっかく種から芽を出して頑張って育とうとしているのに芽を引き抜くのはかわいそう 草の芽を摘むのが可哀相と思うような優しい子は、知的障害者を何故助けなくてはいけないの?などとは考えないと思うのですがいかがでしょうか。 野菜の間引きと、知的障害者がどうこうという事を同じ土俵で考える人が私は恐ろしいです。 人間と植物を何故比べようと思うのですか?
>虫くらいの意識しかない知的障害者を何故助けなくてはいけないの? →子供に偏見を植え付けるのは大人です。お子さんのまわりの大人の考え方がその様にさせたのでは・・・ 知的障害者は虫同様、と知らず知らずに教えている大人がいるのでしょうね。 お子さんはすでに偏見をもっていますよ。 根本的な考え方が偏見の塊です。そこに気づいていない様でしたら、それ以上の説明も難しいかもしれませんね。
お礼
回答有難うございます。 >知的障害者は虫同様、と知らず知らずに教えている大人がいるのでしょうね いえ、殆どの大人が知的障害があっても同じ人間だから優しく思いやりを もって接しないといけない・と教えていると思います。しかし、そこと 野菜の間引きや老化した株の引き抜きを同じように考えるのが偏見や 決め付けの価値感を持たない子供の感性です。 >根本的な考え方が偏見の塊です。 どちらかといえば、子供の素直な質問の方がずっとニュートラルで、 人間は知的障害でも生産性の無い老人でも同じ人間で、野菜はその金科玉条が 適用されない・という方が、ご回答者様が言うところの「根本的な考え方が偏見の塊」だと 思うのですが如何でしょうか?
お礼
ご回答有難うございます。 >野菜の間引きと、知的障害者がどうこうという事を同じ土俵で考える人が私は恐ろしいです。 では、同じ土俵で考えてはいけない・という根拠はなんなのでしょう? 子供にどう説明したらいいでしょうか?そこが知りたいのです。 人間はおよそ能力に関わらず個人がそれぞれ大切にされないといけないのはどうしてですか? 野菜が良好と思われるもの以外廃棄されてしかるべきなのはなぜでしょう? >人間と植物を何故比べようと思うのですか? 人間と植物を比較しない・比較してはいけない根拠をご教授下さい。 どうか宜しくお願い致します。