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勉強する意義、意味はなんでしょうか?
現在、数年ぶりに教育関係の仕事についています。 その中で感じたのは、「ノートをとる必要がない」「勉強して何になるの?」と口にする生徒がかなり増えています。 大げさでなく、皆さんが考える。「勉強する意味、意義」つまらない授業でも「ノートをとる必然性」等ご意見がありましたらお聞かせください。 私は「自分を磨くためだよ!!」「いろいろなチャンスを生かせるための基礎を今作っているんだよ。」と陳腐な言い方でしか答えられずにいます。 ちょっとしたことで頑張ろうとする子も多く見ています。 私の指導力のなさを非難してくださっても構いません。ただ、このまま彼らを見捨てて行きたくないのです。よろしくお願い致します。
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#2です。 卒業生で大学生ぐらいの方、もしくは高校を卒業して就職したばかりの方を呼んでお話をしてもらう機会を持ってはどうでしょう? そのぐらいの年代ならこちらの要望はある程度くんで話してくれるでしょうし、でもさほど大人でもなくて彼らも親しみがもてるのでは? 私は高校のときですが、そういったことがありました。(呼ばれて行って話した方です。)「漢字を知らないと社会で恥をかく」とか「基礎的な計算は速くできないと就職試験に困る」とかね。 たとえば敬語を使おうにもまず、「正しい日本語」を知らないと敬語を勉強できないですし、社会に出れば年上の人と話を合わせる必要もあるのでその人たちと同じような知識も必要だし・・といろいろあります。 それもいろんな人を呼んだほうがいいですね、偏らないように。 全員を感銘させるには無理ですが、少しはわかってくれるかもって思います。
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- shige_gege
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「しなくても良いよ。将来苦労しても、文句言いに来るなよ。」と言ってみましょう。 本当は、「ノート取らないと、後で読み返して復習出来ない。」(=勉強ばっかりしたくない)「勉強して何になるの?」(=先のこと、考える暇もないくらい今の子どもって忙しいんだぞ!)という意味でしょう...。 自分も、今塾で指導していますが目標のある子とない子の差は大きいです。 実際、自分が子どもの頃に照らし合わせて考えることにしています。 僕は、絶対に嘘は言わないんです。約束も守ります。すると「ホンマに、言われた通り夏休み開けにしんどくなった~。」と信頼度は上がります。 成績は伸びないけど...。 本当、自分もやってたけど今の子どもは(特に今年から)忙しいですよね...。
お礼
お忙しいなか、ご意見ありがとうございます。 信頼・・・そうですね。私に信頼感がないとどんなことを言ってもうわすべり・・・・まずはそのへんの人間関係を大切することが大事ですね。急がば回れとも言いますし。 >「しなくても良いよ。将来苦労しても、文句言いに来るなよ。」 いつかどこかで気づいてくれるくらいの気持ちで接するのも方法かもしれません。自分がかかわっている間に答えを出そうとするのは私のエゴですもの。約束を守りうそをつかない。簡単そうで、大人になると守れないことが多々あります。が、そうならない自分でありたいと思います。 転ばぬ先の杖・・・転んだからわかる痛みもあるわけで・・・
- naechin
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「世界がもし100人の村だったら」って本がありますよね?あれの2冊目の中に書いてあったのですが、女子教育の十分でない国というのは、避妊の知識も自己の将来の確立もできない為に、人口爆発がものすごくて、食料問題等の引き金になってるんです。そういうのひとつ見ても、勉強する意味ってのはあるわけです。 no.5の方もかかれていますが、最初から明確な目的があるのなら、それ以外の勉強をすることは、強引ではありますけど、不要だと言えます。ですが、それを決められる程の要素も着実にそれしかないと言えることもないのであれば、その選択肢を広げるためには、勉強しておいたほうが「有利」としか言えません。もしくは、脳みその訓練でもあるわけですから。 ただ、確かに大人になってからでも勉強はできます。が、それをする為には、お金と時間をかけなければなりません。できるうちにやっといた方がいいと言っても、結局、大多数の人がしてなかったから、大人になって「オケイコ」するんでしょうね。(苦笑)勉強はあくまでもしておいた方がいいものであって、「絶対にしないといけないもの」ではないですから。 「ノートを取る必然性」は、耳で聞いただけでは、なかなか覚えられないからです。試しに、みんなにノートを取った場合と取らなかった場合とに分けて、何かテストをしてみたらいいんではないですか?一目瞭然だと思いますが。
お礼
ご意見ありがとうございます。 道徳や総合教育の前に、勉強したくても出来ない国の人々とその将来、自分たちがいかに恵まれているか、もっと学べる時間があるといいですよね。とにかく精神的成長が小学校低学年のままの子が私の学校には多いです。 せっかくTTという体制で眼が届く分、彼らの精神的な部分の成長の手伝いができないか?と暗中模索中です。 ノートをとらせないでテスト。それも一つの方法ですね。ただ、点数が悪くとも何も感じない子もいるのが現実です。そういった子をどうにかしてあげたいと思うのは青臭いでしょうか?
- jumper1
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「なぜ、ノートをとるのか?」それは、書くことによって人間は記憶に残るということです。人間は五感を駆使しなければ、学習効果はうすれてくるのではないですか? 生徒達に一言、「あまえるんじゃねぇ」です。「嫌なら勉強するな。困るのはお前等だ」です。
お礼
ご意見ありがとうございます。 >生徒達に一言、「あまえるんじゃねぇ」です。「嫌なら勉強するな。困るのはお前等だ」です。 そう言いたい子も確かにいます。でも、結局その子の親に謝る図式があるのが現状なのです。実際、一つ間違えれば仕事を放棄することになるし。ですが、本音を言えば、そこから本気で子供とぶつかりあうのも大事なのですけど。
- kokushi
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難しいところですよねぇ。お察し致します。 私自身も勉強への疑問もありましたし、ノートもあまりとらない方でした。 今、この歳になっての結論(まだ模索中かも)なんですが、 学校等での勉強は全て歴史だと思うんです。 先輩方が築いてこられた考えを、要領よく短期間で習得できる。 そのおかげで先輩方に時間が足りなかった分、我々の世代は新たな考え方ができる。 マイコンを開発するのに、各世代が真空管からスタートしていたら、みんな真空管を作って終わってしまう。 子供の頃よく「勉強なんて僕にとっては役にたたない。別に学者になりたいわけでもないし」 などと言ったものですが、 勉強する人がいなければ衣類の繊維も、食物も、玩具だってあり得ない。 とはいえ、若い子供達に説明するのは難しいでしょう。 こういうのはどうでしょう? 「勉強は実は必要なんだけど、 皆が勉強が必要かどうかがわからないぐらいしか、まだ勉強してないから」 ちょっと、ねじ込みすぎでしょうか? あと、勉強の目的は、競争心と忍耐力の養成だと思います。 ノートの問題ですが、私も悩んでるんです。必要性に。 ノートをとるのも、とらないのも個人の自由だと思います。 そのかわり、とらない人は絶対に2度同じ事を聞かない責任を負う。 っで、子供の場合は、その責任能力が十分でないから。ということになるんですよね。 会議にも商談にもノートも手帳も持ってこずに、 同じ事を何度も言わせる人が大人でもいるぐらいですから。 個人的には大人の世界では、聞く側の最低限の礼儀だと思うんですがね。 コピーがいけないんですよ。コピーが。 「いざとなれば、友達のノートをコピーさせてもらえば」 私もよく思ってました。 スミマセン。ちょっと、余談に入ってしまいました。 子供の場合にそれを当てはめると、「書くほうが覚えがよい」というのも大きくなってくるんでしょうが・・・ もし、siosionさんが、学校の先生等をされているのであれば、 「ノーと持ち込み可」のテストなど導入されてはいかがでしょうか? ああいうのは習慣ですから、子供達がノートを作り出すというきっかけが案外近道かも。 長々と勝手な発言をお許し下さい。 頑張って、明るい将来の人材を生み出してくださいね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 この二日、皆さんに本当にいろいろ教えていただき幸せです。 あとは、皆さんの言葉を私自身の言葉にできるよう、実のある行動をとって行きたいと思います。子供によって響く言葉、方向を左右する言葉は違うと思いますので、自分で抱え込まなくて良かったと感じております。 >「ノーと持ち込み可」のテストなど導入されてはいかがでしょうか? そうですね。ノートをとらない子のほとんどが、0点に慣れきってしまい、悪循環で授業を今更頑張ってもしかたないと投げている感じがありますので、方向転換のきっかけにおおいになるのではと思います。
- nyucchan
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私も小学校高学年くらいに同じ疑問を持ち、先生に質問したことがあったので 懐かしく感じ回答します(^o^)> 先生の答えは『勉強そのものは確かに大人になったらしないから意味はないかもしれない。でも学年がひとつ上がるごとに新しい事を覚えるだろ、それは自分の幅を広げるんだ。今まではひとつの方法や考え方しかわからなかったのに新しいことを覚えるとその方法や考え方がひとつじゃなくなる。すごいと思わないか?』でした。 それを言われたときは“へぇ~”ぐらいしか思っていませんでしたが 今は先生の言いたかったことがよくわかる気がします。 今の時代、教育関係のお仕事は大変だと思いますが頑張ってください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私も小学校6年くらいで疑問にもちながら、その折は拗ねた答えを出していたのを思い出しました。当たり前ですが、私もかつては中学生だったのですよね。 >『勉強そのものは・・・・・・・・すごいと思わないか?』 すごいと思わないかとの問いかけ、大事ですよね。「思わない!!」と返されそうですが、こちらから一方的に話すより、考えてもらうだけでも違うと思います。 即効薬を求めていた自分が少々恥ずかしいです。じっくりと後から解ってもらうことも大事だと気づかせていただきました。 また、明日から頑張れそうです。
こんばんわ。siosionさんは数学の先生でいらっしゃるのですね。 私は子供の頃、数学ってのは“タダ単に数を計算をするもの”だとばかり思っていました。 ので、自分のお金や持ち物を勘定できる程度の簡単な数式以外は必要ナイ、と考えていました。 うんと大人になってから、数学を勉強するということは“世の中の物(物理的な意味でのモノ)は勝手に増えもしなければ減りもしない”という、世界観というか哲学を学ぶことであると知りました。 それが近代思想という現代社会のいろんな約束事の根幹部分であることも、大人になってから気がつきました。 社会人として様々な情報に接し、判断しながら生きていく折々、物理的な物事について“1+1が3でもなく1でもなく2にしかならない”ことに子供のうちから慣れておくことがいかに大切か、それを忘れることがどれだけ悲劇を産むか、痛感させられることは少なくありません。 こういうことを、子供のうちに知っていればよかったなぁと思っています。 ので!ぜひ!頑張って数学の大切さを子供たちに教えてあげてください! しかし今の子供たちって、本当に口が減らないから、先生は大変ですね。 私なんか短気だから、生徒に「ノートなんか必要無い」なんて言われたら、 「君らは、一度聞いたことを全て漏らさず記憶し解析し整理し理解できるほど優秀か!? そういう、己の能力を不当に過大評価する非合理的な傲慢不遜・誇大妄想的な発想こそ、非数学的なのだっ! 妄想で稼いで評価されて生きていけるほど世の中甘くなぁい!」 とかなんとかタンカ切って、 「教師としてその根性、叩き直す!きりきりノートを取って、己の無能と向き合い、反省の上、成長せい!!」 とかやって泣かしちゃって、保護者から訴えられそうだ…。
誤解のないよう再度投稿します。 「出て行け」は親がいたずらをする子に対しての「出て行け」です。 授業の邪魔になるからの「出て行け」ではありません。 今の親は「出て行け」とは怖くて言えない人が多い様ですが・・・ 褒めることは出来ても叱ることの出来ない社会になっている様です。 今の先生方は大変だと思いますね。 社会がそうであると言えばそれまでですが 受験の為の勉強を教えなくてはならないので・・・ 「自分の為に勉強しろ」と言っても所詮受験の為の勉強にすぎないのでは 又、叱れば親からの苦情が待ち構えているし 教師は、もっと権威のある存在であったはずですが・・・ 先生も人の子 迷うこともあるでしょうが、信念を持って子供を指導して下さい。 無理かな・・・ 周囲の雑音もあるし
お礼
再度の投稿、お忙しいのにありがとうございます。 若い頃はご指摘の通り「邪魔だから・・・」と解釈をしたと思いますが、二人の子供(いじめられっ子と、目立ちたがりの問題児)を一主婦として育ててみて、仰る意味の「出て行け・・・」の意味で下記の投稿を読ませていただいたつもりです。 威厳のある存在でないとのご意見は本当に耳が痛いです。 生徒がもう一人の先生に「教師をするしか能の無い奴!!」と暴言を吐いた折、言い返せなった情けない私です。 ただ、結果的に無理であっても、最初から「無理だから・・・」と逃げることの無いよう努力したいと思っています。
- Black_Tiger
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こんにちは。 何で勉強するのか? 「野菜を買うのに因数分解は必要なのか?」 全ては無駄な事じゃないのかなぁ? そりゃぁ、英語や国語、社会は必要だろうけど、理科や数学って必要なの? 芸術関係や体育って必要なのか?………BTも疑問に思いました。 BTの結論です。 「勉強している内容自体は無意味である。しかし、それは考え方の育成である」 と思っております。 1の事から10を展開する理系の能力。 10を1にまとめる文系の能力。 普段勉強している事は無駄ではなく、結果に結びついているんだと思います。 >いろいろなチャンスを生かせるための基礎 という事ですね♪ 自分にチャンスが到来すれば、いかにそれをつかむのか? 理系の物事の先読みの能力、文系での交渉方法など。 1+1=2という単純な事ではなく、多方面からの考えや、 そこに行きつくまでの考えを養う為でしょう。 学校の勉強は、何らかの形で自分に跳ね返ってきます。 >「ノートをとる必要がない」 書いて覚えるって言う事もあります。 字を書けば、漢字も覚え、字が綺麗にもなります。 また、書けば聞いた、見ただけより、脳の刺激があり、思い出しやすいです。 >「勉強して何になるの?」 あたりまえの考えが出来る、人間らしい人間になる。 義務教育の無い国って、すぐに戦争しますよね? 子供に諭すのはムリだと思います。悟ってもらいましょう。 その方法は先生(大人)の体験談です。 最初は面白おかしく話、最後は真剣に教えれば聞き入ります。
お礼
>義務教育の無い国って、すぐに戦争しますよね? そうですね。小さなこと一つ一つに理屈をこねず、「平和」だからこそ楽しい時間をもてることを話題にしていきたいと思います。やはり教養が平和をもたらすのは事実ですものね。 >子供に諭すのはムリだと思います。悟ってもらいましょう 授業中よりも、授業以外の場面でどう悟ってもらうかが勝負かもしれませんね。 課題は多いですが、ご意見が聞けて自分の進むべき方向がかなり見えてきました。 ありがとうございます。
- ssiinn
- ベストアンサー率31% (22/70)
この世の真理を考えると、 学問の意義は(勉強すると言う事は)何か? (究極的には、)自分の為じゃなくて、世の中の為、他人の為に学ぶのである。 {そうでないと、世の中は進歩しない。「知」は社会に還元されるできものとする理念。} しかし、この真理を中学生が理解した所で、勉強の意欲はわかないでしょうね。。。 どちらかというと、「道徳」「倫理」的問題であり。現代社会的な人類の問題であるでしょう。 勉強は自分の為とした結果、先の見えない現代社会で自分が生きる事に価値を見出せなかったら、「自分の為」の学問もどうでもよいでしょうね。 なんか、この「自分の為」っていうフレーズは自己利益の為って感じがして私は嫌いです。 自己利益のみの「学問」「知識」のみが、まかり通っているようなら、 ここのサイトは、成立しえないでしょうね。 (すみません、中学生に諭すという意味での、問題をかえって残してしまいました。また、考えて、よろしければ回答します。)
お礼
ご意見ありがとうございます。こんなにたくさんの方に回答をいただきながらまだ締め切らないのは、欲張りですがいろいろな方のいろいろな方向からの意見アドバイスを一つでも多くいただきたいからです。そのまま授業に生かせるだけの技量をもちあわせていないのかもしれませんが、皆さんの言葉の一つ一つが自分の教育の世界で生きてく糧になると思います。そういう意味で少し長い間ここを残しておこうと思いますので、ご意見をまたお聞かせくだされば嬉しいです。 >自分の為 私も本当は使いたくない言葉です。でも、まず自分、そしてそこから他人や世界へと自分で気づいて欲しいと思ってます。 道徳の時間にうわべだけ良い意見を言って、実生活では正反対のことをやる現実。 こちらからみんなの為と押し付けたくないのです。自分の為から自分の大事な人、家族、仲間、国、世界と・・・自分で理解していくのが理想ですよね。
- hkt
- ベストアンサー率0% (0/2)
ノートに書いて丸暗記する-授業においては好ましくないとされてきた学習方法のひとつですよね。しかし、認知心理学の観点からすれば、これは決して無益とはいえないようです。 ドイツの心理学者エビングハウスの行った実験から分かることです。初めてその学習内容に触れ、覚えるようにした学習を『原学習』とし、その後学習内容を忘れた後にもう一度その内容について学習することを『再学習』とします。すると、再学習は原学習よりも効率よく学習することができるそうです。例えば、原学習で20分要したとすると、再学習では15分ですんだ、というように。子供たちに知識の習得をすすめる第一の目的は、将来の備えとするためですよね。でも、いつ役にたつか分からない知識をいつまでも覚えておかなくてはいけないことは苦痛でしょう。しかし、本当に必要となった時にその知識を獲得すればよいとすれば、ずいぶん気は楽になるはずです。人間にはそういった機能が備わっているのです。一度真剣に学んでおけば、たとえ学習した内容を忘れたとしても、再学習が非常に容易になるのです。これは、大いに意義があると思います。 それだけではなく、学習すると、学ぶ過程で知識内容以外の様々な知的機能が形成されます。複雑な事象の中から共通点を見つけ出したり、新たな関連性を発見したり。抽象的思考や創造的思考を支える能力も培われます。あるいは、あることを学んだという経験が、それと類似した事柄を新たに学ぶ際に役立つこともあるでしょう。更に不確定な事象に遭遇したときの耐性や難問に直面した時の決断力も養われます。これらは、いわゆる『見えない学力』というやつでしょうか。『ノートを写すことに何の意味があるんだ』という考えは、受験学力など『見える学力』しか着目していないのかもしれません。もっとも、社会が今まで『見える学力』だけに注目しがちだったという背景もありますが。 『ノートを写してしっかり覚える』。この地道な学習方法は決して悪いものではない。私には、そんなように感じられます。
お礼
再学習と原学習の関係・・・大事なことをご指摘いただきありがとうございます。 大げさな理屈にならず、理解してもらえそうな内容だと思います。私自身が子供の心に響くように日々の授業の中で個々に応じて話していけるよう、頑張って参ります。
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お礼
私の教育者としては情けない質問に二度も丁寧にご回等くださり感謝しております。 そうですね、先日の新聞記事で高校生が土曜日に母校の補習に先生役を引き受けて、良い成果をあげているとの記事がありました。同じ言葉でも、受けとめ方がちがうでしょうね。 少しでも、一人でも・・・良い方向へ歩いていけるお手伝いができるよう頑張ってみます。