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学習塾の存在意義
個別指導の学習塾のアルバイトをしている大学生です。 先日公立高校の入試の合格発表があり、その日の夜は講師みんなで飲みに行きました。話題にのぼるのはもっぱら今日の生徒たちの笑顔のことで、今までずっと一緒に頑張ってきた生徒が満面の笑みで報告に来てくれたこと、先生につっかかってばかりだった子が最後に握手しながら「ありがとうございました」と言ってくれたこと、ほとんど(9割近く)の生徒を無事第一志望校に送り出すことが出来たことなどで、みんな胸がいっぱいになり、感極まって涙を流す先生もいました。本当にみんな受かって良かった、この仕事を続けてきて良かった、来年は絶対全員合格させよう、またあの笑顔を見たい、一人も落としちゃいけない、と。 しかし、「一人も落としちゃいけない」という言葉がひっかかりました。まず現実的に不可能のことだし、仮に全員合格させられたとして、そのことにどんな意味があるのか。うちの塾で受からせた分だけ他の塾で落ちる子がいるわけであり、最後に笑う子の絶対数は変わらないではないか。例えば市内の中学生全員がうちの塾に来たとして、同じことを言えるのか。これは私がかなり前から疑問に思ってきたことでした。 場の雰囲気を冷めさせたくはなかったのですが、私のような考え方があることにも気付いてほしくて、「でもうちの塾で受からせた分だけ他の塾で落ちる子がいるわけですよね・・」と口にしたら、五秒くらい誰も何も言わない重い沈黙が続きました。 うちの塾は、先生と生徒、先生同士の仲がとても良くて、バイトを探している人がいたらぜひ紹介したいくらい雰囲気がいい塾なのですが、このことだけはどうも納得出来ません。生徒を合格させる喜びとお祭りムードのような高揚感にかまけて、自分の塾だけよければいいという考え方に気付いていないと思うのです。いったい塾の存在意義って何なのでしょうか。
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何度も スミマセン。 他の方への お礼を読んでいて 思った事を書きます。 =========== 公立中学の校長や教諭も 「自分の学校以外の生徒にサービスをしてる」んでしょうか?ねぇ・・・。 高校受験で「他の中学で不合格者が出ると困るから うちの学校では そこの受験者を減らしましょう!」なんて 検討するのでしょうか? 更に 地域の学校で調整なんかしているのでしょうか? してたら、それこそ 生徒の意思なんか無視されてるってことになりますし・・。 元々、受験と言う「競争」を 文部科学省が採用しているから 仕方ないんだと思います。 また、「社会に貢献する」は 多くの企業が企業理念などでうたってます。 (CSR:Corporate Social Responsibility) でも 自分の売上を伸ばすことも 重要です。 ひとつに片寄ってはいけません。 自由経済のなかで 生きているので、利潤追求も大切ですが もちろん 周囲に対する配慮(社会的貢献)も重要です。バランスが大事です。 ストレスが溜まるようでしたら、その塾の講師をやめられると良いと思います。 (あと 自分たちのことを「先生」と呼ぶのは おかしいですよ。恥ずかしいのでその呼び方はやめたほうがよろしいです。)
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- overtone
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はは 質問者さんとは 概念レベルで かけ離れていることが多いかもしれません。 >塾の負うべき責任・・・。 「塾」の定義さえ 難しいと思います・・。 >ここまで小中高で教えないのは・・。 「考えてない」んだと思いますが。学校、保護者(私も自省)、社会が・・。「やっぱり 民主主義がいいよねー」って 総合なんかであると面白いですよね。投票に行くようにもなると思うんですが・・。 (反対は、寡占政治・独裁政治とかですよね。) こういうことこそ 受験とは無関係に 話し合う場を持たねばならないと思っています。 こども達とは、話してますよ。決して難しい話とは思いません。他にも小学生のこどもは、「議院内閣制」について 話したりもしています。参考URLの質問(No.6あたり)をご参照下さい。 ※先生の件は、 保護者など 大人同士(教諭同士も)で 「××先生」とむやみに呼ぶことをきにしております。児童などが「××先生」と呼ぶのは 小さいうち(何年生かわかりませんが)は気にしてません。私は、こども(小学校)の校長には 「あっ 校長 どうも」って 挨拶してますし 上の子(中学)の校長も「××校長」って呼んでますよ。担任教諭は、話の内容で使い分けますね。「××さん」「××先生」両方使ってます。 自分のこどもには、「尊敬できる教師以外は 先生つける必要ないよ。でも、機嫌がわるくなるから 本人の前では 先生はつけたほうがいいよ」と言ってます。
お礼
>「やっぱり 民主主義がいいよねー」って 総合なんかであると面白いですよね。 >小学生のこどもは、「議院内閣制」について 話したりもしています。 民主主義や独裁制の長所・短所について、子供達でディベートする時間があったりすると、面白いかも知れませんね。私は大学の憲法の授業で初めてそういうことを習い、興味深く聞いていたのですが、小学校からわかりやすく教えてくれたら、どんなにか投票率が上がるか知れませんね。 たくさんのご意見ありがとうございました。私の思考レベルがなかなか追いつかなくて、回答の全部を受け止めきれない部分もあったのですが、非常に参考になりました。
- overtone
- ベストアンサー率22% (191/833)
半チャット状態ですね! ==以下 的外れでしたら、その旨お書き下さい。更に書き込みます。============= たぶん 質問者さんが考えておられることは、 「現在の自由競争や民主主義の矛盾」 なのかなぁと 電車の中で考えたりしました。 質問者さんの質問では、愚痴にしか思えないとも感じるので、愚痴と感じた方々は それなりのお答えでしょう。 愚痴ではなく 更に 大きな問題提起(自由競争や民主主義の矛盾など)として捉えれば 新しい社会モデルを回答せねばならず 難しすぎます。(それ以前にこんな 教えて!では 書ききれないですよね。) また、ふと 思うのですが、 「疑問を持つこと」を「くだらないこと」「余計なこと」などと大人がこどもに日々の生活で教え込んでいるように思います。そうだろうか?と私は考えます。 「疑問を持って 自分なりに考えて納得すること」は たとえ 結果として現状に甘えたとしても 何も考えないのとは 違うと思います。 (ゆとりの教育なんかは、まさに「なんにでも疑問を持つこと」から始まると思うのですが、現場の教諭はもちろん 社会全体が それになじんでいないと思います。なじめば、飲み会の場でも いろいろと議論ができるようになると思います。) (例えば 民主主義 これは、こういうものです と国が教えるんですが、民主主義自体が 納得できるものかできないものかは 改めて考えないですよね。) まぁ 質問者さんは もうすぐ 社会を背負って行く一員になられるので、是非 肩肘を張らない程度に がんばってくださるよう (勝手に)期待させて戴きます。 ===================== やっぱ 先生はおかしいよ! 少なくとも 「担任の先生」「校長先生」「教頭先生」はおかしい!! 「担当教授の先生」「教授先生」「学長先生」とは 呼ばないもの・・・。
お礼
私がした質問は、愚痴に近いかも知れません。私は自由競争や民主主義といったことまでは考えておらず、ただ、飲み会での周りの講師の発言を偽善と感じてしまったことに、何らかの解説を加えてほしかったのです。加えて、塾の負うべき(いろんな意味での)責任とは何なのかも。 しかしそれを疑問に思うんだったら、教育に関わる社会モデル全体を見直さないといけない、ということですよね・・。 >例えば 民主主義 これは、こういうものです と国が教えるんですが、民主主義自体が 納得できるものかできないものかは 改めて考えないですよね。 大学では、代表制と民主制それぞれの長所や問題点といったことまで習いますが、ここまで小中高で教えないのは、受験に必要ないからということもありますが、そこまで理解する教養レベルまで子供が達していないから、という判断もあるのだと思います。それがいけないのでしょうかね。 >「担任の先生」「校長先生」「教頭先生」はおかしい!! 「担当教授の先生」「教授先生」「学長先生」とは 呼ばないもの・・・。 言われてみればそうですね。「校長、おはようございます」というとぞんざいな感じがしますが、それも普段先生とつけるのに慣れすぎているからで、本来はそっちの方が正しいのですね・・。
- overtone
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申し訳ございません。 質問をよく読んでいませんでした。 講師さん達の打ち上げの飲み会だったのですね! そこで 「・・・」と口にして、五秒くらい誰も何も言わない重い沈黙が続きました ですよね。 打ち上げで、こんなこと質問されるとも思わないし (気分的に)議論する気もなかったのかもしれませんね。他の 講師さん達。 場合によると 質問者さんの質問に「一緒に講師をやってきて 何を今更」と 呆れていたのかもしれません。 No.3で「情け無い」と書いてしまったのですが 情けなくないかも知れません・・・。 (議論の場で 何も言い返せなければ 情け無いですが。) ============================ 本は 予約状態となりました。まだ 手にしていませんが。週末から 読み始めます。 (毎年 出ているようですね。数年分予約ができました。)
お礼
こちらこそ言葉足らずですみません。「打ち上げの飲み会」とはっきり書くべきでしたね。 紹介した本に興味を持って頂けて嬉しいです。ちなみに続編の『中学生の教科書‐美への渇き』『中学生の教科書‐ここにいること』(タイトルちょっと違ったかも知れません)も出ているので、お読みになって面白かったらこちらもいかがでしょうか?私はまだ全部は読んでいないのですが・・・。 ところで、みなさんへのお礼の中で、かなり乱暴というか一人よがりなことも書いてしまったように思うのですが、overtoneさんはこれらを読んでどう感じられましたか?余裕がありましたらお聞かせください。
- chiharu-sm
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No9でコメントしました。 ちょっと誤解があるかもしれないのでもう一度コメントさせてください。 親というのは、自分の子供が一番可愛いと言いますよね。同じだと思うんです。塾・指導者は親、生徒は子供。自分が育てた子だからこそ、幸せになればいいとも思うし、つらい思いはさせたくない。そういう意味でみなさん、「一人も落としちゃダメだ」なんだと思いますよ。 納得できないのは、この塾の指導者ではなく、入学枠という社会の仕組みに対してではありませんか?日本も他の国のように入学はできるが卒業が難しい、ってなればいいですよね。
お礼
ご指摘の点は、理解しているつもりです。当然の論理ですよね。しかし私が前述のように、打ち上げの席でのみんなの雰囲気に偽善的というか盲目的なものを感じて、反発を覚えてしまったのは、「学習塾は、自分達が教育において果たす役割を自問しながら、社会を見据えて活動していくべきである」みたいな、かなり無理のある、ひょっとしたら自分勝手な理想が、私の心のどこかにあるからなんだと思います。
- overtone
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質問者様にひとこと。 疑問を持たれること、ご自分で考えられることは素晴らしいことです!! より 情報を収集されて、情報を精査し、討論をし より良い方向への解決策を見つけてください。 ================== 折角 いろいろと考えてらっしゃるのに (私も含めてですが)おやじ(あっ 女性もいるかも)連中から叩かれてるように感じなので・・。フォローです。
- overtone
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質問者様にひとこと。 疑問を持たれること、ご自分で考えられることは素晴らしいことです!! より 情報を収集されて、情報を精査し、討論をし より良い方向への解決策を見つけてください。 ================== 折角 いろいろと考えてらっしゃるのに (私も含めてですが)おやじ連中から叩かれてるように感じなので・・。フォローです。
- chiharu-sm
- ベストアンサー率17% (32/187)
こんにちは。 ちょっと不思議な感じがするのでコメントさせていただきます。塾でのアルバイトをあなたはどうしてやっているのですか?生徒さんが合格した時の顔が嬉しい、「わかった!」という言葉が嬉しい、ということじゃないですか? ご自分の教えてる生徒さんに合格して欲しい、と思うのは当然のことだと思うのですが…。どの塾に通うかはその子その子の決めることであり、受け入れた塾側としたら、他の塾に通う見ず知らずの生徒ではなく、自らの指導する生徒さんが可愛いのは当然のことだと思うのですが…。 塾というのはただ単に合格させる事が目的ではないと思います。全員合格して欲しい、というのはもちろん望みです。しかし、もっとも喜ぶべき事は生徒さんが何かを理解できたことでやる気になったり、目的をもてることだと思いますよ。他の先生方も「合格させることが全て」だとは思っていないように思いますが…。 あなたの文面を見る限りでは、多少、勘違いでは?と思う節があります。「一人も落としちゃいけない」=「全員合格させてあげたい」だと思いますよ。だって生徒さんはそれを目的に頑張ってこられたんでしょうから、先生側にしてみたら生徒さんの目的を達成させてあげたいと思うのは当然だと思います。 それを「自分の塾だけよければよい」と捕らえてしまうあなたの考え方がひねくれているように感じます。成績を伸ばすのは、合格させるのは塾ではなく生徒本人です。塾はその補助をしているだけなのですから。他の先生方は自分の生徒さんが努力しているのを知っているから、「一人も落ちて欲しくない」と思ったのですよ。決して、塾の業績を伸ばすためではないと思います。 ちなみに私は田舎の塾講師を大学時代にアルバイトで経験しましたが、この塾は最悪でした。「上の子にレベルを合わせて、ある程度やってわからない子は、見切ってくれ」といわれました。あなたの塾はそうではないのだから、そう悩むことはないと思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 >塾というのはただ単に合格させる事が目的ではないと思います。全員合格して欲しい、というのはもちろん望みです。しかし、もっとも喜ぶべき事は生徒さんが何かを理解できたことでやる気になったり、目的をもてることだと思いますよ。 その通りです。私が塾にいる理由の一つも、勉強を教えることを通して生徒の力になれることで、自分が喜びを得られるからです。 何と言うか、合格発表後の打ち上げの時の雰囲気や話の流れをうまく説明できないと伝えにくいのですが、みんなお酒が入って祝賀ムードに包まれながら、 「ほんっとみんな受かって良かったよね~」 「てか落ちた子が本当かわいそう!」 「ね~!来年は絶対全員受からせようよ!」 「そうだよね!絶対一人も落としちゃダメだよね!」 「みんな受からせてみんな幸せにしよう!」 という流れで、ちょっと待てよ、と思ったのです。私達が幸せにしているのは私達の生徒だけ。それはもちろんみんなわかっていると思うのですが、何か子供たち全体の未来に貢献していると思っているように聞こえて、それは違うだろと感じてしまったのです。やっぱり私がひねくれてるだけかもしれませんね。
- overtone
- ベストアンサー率22% (191/833)
最初のご質問からは、離れてしまいますが・・。 義務教育が何故あるのか考えてください。 私は、民主主義を維持するためにあるんだと考えています。 独裁主義国家にも 義務教育があるかもしれませんが、それは 国力増強のためや思想統制のためであると考えられます。 自国語を学び、社会を学び、理科を学び、また 合理的な考え方を身に付けるためにも算数(数学)を学ぶ。もちろん、芸術などもある程度身に付け 「自分で政治的な判断や 日常的なものの判断を 自分で考え 民主的に進めてゆく能力」を 国民誰もが身に付け、将来の日本国が民主主義国家であるようにするため 現在の日本の義務教育はあるのだと考えますが。 (自分のこども 小学生・中学生 には このように言っていますので、「何で 勉強するの?」なんて 聞かれたことはありません。「民主主義は正しいの?」って聞かれたことはありますが。) 好きな人だけ義務教育のレベルを学べばよい。 それでは、賢人政治になってしまいます・・・。 かつての中国で 行われていた 科挙を例にとりますが (なんでいきなり こんなの思いついたか自分でもわかりませんが) テストがあれば 結局 競争となり、「塾的なもの」は存在します。 芸術家では 競争があったとしても、これは 自己表現の競争でありテストではありませんので 「前人に習うこと」は 受験よりも少なくなりますね! ご紹介の本を 探して、読んでみます!!
お礼
義務教育が民主主義のためにある・・・一理ありますね。私は、「人間は教育を通してのみ人間となる」という言葉がある通り、人として教育を受ける権利を全うし、豊かに生きていくために教育があると思っていましたが、そういう考えもあるのですね。 私の考えでは、塾は学校の勉強についていけない子に、勉強の楽しさややる気を提供するという意味で存在価値がありますが、受験においてだけ言えば、希望の進路に進める生徒の層をかき回すだけの、社会的に見て毒にも薬もならない存在なのではないかという気がします。じゃあ何で塾にいるのか、という批判を受けたらそれは甘んじて受けるしかありません。お金のため、仕事のやりがいや生徒とのコミュニケーションの楽しさを感じるために、塾にいるだけですから。 私が紹介した本ですが、塾や教育界全体のことは大して触れていないので、期待される内容が含まれているかはわかりません。しかしとてもいい本なので、ぜひ読んでみてください。 度々の回答や励まし、感謝いたします。
- headmaster
- ベストアンサー率50% (1/2)
塾の経営者です。 塾の存在意義=「学力をつけること」=「試験に受からせること」です。それは「他との差をつける」=「商売でやっている」ということです。 >今までずっと一緒に頑張ってきた生徒が満面の笑みで報告に来てくれたこと、先生につっかかってばかりだった子が最後に握手しながら「ありがとうございました」と言ってくれたこと、ほとんど(9割近く)の生徒を無事第一志望校に送り出すことが出来たことなどで、みんな胸がいっぱいになり、感極まって涙を流す先生もいました。 これは業務の「余禄」です。余禄というのは、それを第一の目的でやってはいないということです。突き詰めるとあなたの言うとおり、自分の塾だけよければそれでいいという考え方は、当然です。ただ私は経営者なのでそう思うだけかもしれません。従業員、バイトの人はどちらかというと「余禄」の方を楽しみ、またはやりがいににしている人がいるかもしれません。 それよりあなたが強者の側にいながら、弱者の言い分をしようとしているのが気になります。あなたは大学生で塾の講師のバイトをしていらっしゃる。ということは相対的に見て学力の高い人でしょう。あなたも受験で他人を蹴落としてきたのでしょう。そして9割近くの生徒を第一志望に合格される塾に身を置いていらっしゃる。その上で他の塾で落ちる子を案じてもそれはただの偽善であり、自己満足ではないでしょうか。本当に我慢できないなら、バイトをやめればいいと思いますが。 落ちる子をなくしたいのであれば、為政者にでもなって、システムを変え、その上で主張すればよいのではないでしょうか。また「一人も落としちゃいけない」という言葉がひっかかるのなら、不可能だと思う前にその努力をするべきであるし、不可能だと悟ったなら、「落としたらどうするか」を真剣に考えればよいのではないでしょうか。 私から見るに、厳しいかもしれませんが、塾の講師として未熟なのではないでしょうか。その未熟さを「塾の存在意義」という問題に摩り替えているように感じます。
お礼
回答ありがとうございます。 >あなたも受験で他人を蹴落としてきたのでしょう。そして9割近くの生徒を第一志望に合格される塾に身を置いていらっしゃる。その上で他の塾で落ちる子を案じてもそれはただの偽善であり、自己満足ではないでしょうか。 他の塾で落ちる子を案じているわけではありません。全ての子が最後には笑えるようにしたいなどとはもちろん思っていません。受かる子もいれば落ちる子もいるのは、受験のシステム上仕方のないことです。 言葉足らずでしたが、「一人も落としちゃいけない」というのは、「生徒全員を幸せにしよう」という話の流れの中での言葉です。ここに私は違和感を覚えるのです。何か、自分達は社会的にいいことをしているというような文脈に聞こえて、それこそ偽善と感じられたのです。あくまで、顧客である生徒や保護者のニーズを、企業として満足させているだけであるというスタンスであってほしいのです。 ご指摘の通り、私は講師としての技術も心構えも未熟です。言われて気付きましたが、確かに自分の未熟さから逃げて、問題意識の対象を摩り替えているフシもあったかもしれません。
- overtone
- ベストアンサー率22% (191/833)
いろいろと書いてしまいましたが、1保護者の 1意見とお考えください。 多くの人が このように 考えているかは、わかりません。 正しい、正しくない ではなくて、物事は 多くの人がそう思っているかで 動いて行くものですからね! (単純多数決の原理とは ちょいと 違うけど・・・。)
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お礼
回答ありがとうございます。 >高校受験で「他の中学で不合格者が出ると困るから うちの学校では そこの受験者を減らしましょう!」なんて 検討するのでしょうか? >元々、受験と言う「競争」を 文部科学省が採用しているから 仕方ないんだと思います。 その通りですね・・。そう言われると反論の余地はないです。 >また、「社会に貢献する」は 多くの企業が企業理念などでうたってます。 (CSR:Corporate Social Responsibility) でも 自分の売上を伸ばすことも 重要です。 学習塾が社会に貢献しているかといえば、子供や親の需要に沿った供給をしているという点から見れば、答えはYESなのでしょうが、私には何か割り切れないものがあります。年配の識者の方の文責ですが、「塾なんてくだらないものがどうして世の中にあるのか」という意見も読んだことがあります。 大変参考になったのですが、最後の >自分たちのことを「先生」と呼ぶのは おかしいですよ。恥ずかしいのでその呼び方はやめたほうがよろしいです。 ここだけ理解できませんでした。私の感覚が麻痺しているのでしょうか。もうしばらく締め切らないので、よければ詳しく説明して頂けないでしょうか。