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時代の変遷
少し年配の方にお聞きします。 1960年代にあった、安保闘争のような反戦運動が無くなり、 今は、政治も世界の動きも「そんなのかんけいねー」という学生がほとんどです。 「青年よ、大志を抱け」と言ったクラーク博士の言葉は何処へ行ったのか人間としてのスケールの大きさはほとんど感じません。 話でしか知りませんが、昔の方がずっと規格外ではあるけれど、将来性のある希望に溢れた若者が多かったような気がするのは、私の間違いでしょうか? 何故こんな、シラケた、ニヒルな若者が増えたのでしょうか? これからの日本を背負っていく若者について少しの間考えてくれませんか?
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コンピューターが普及してない時代はビジネスなどまだまだ余裕があり、ゆっくりとした展開をしていたので、若者は漠然とした夢を持てたのでしょう もちろんハングリーだったことが根底にはあります 現代の若者の知識、理論などは昔に比べれば何倍も複雑であり、さらにコンピューター普及により変化するのもめまぐるしい状況ですが、やる気のある者は目立たないですがかなり存在しています 昔の日本人特有のたとえば駅伝競走的精神 (団体が勝つために各自が責任を持たされる) は最近は少なくなってますが、しかしこれは世界標準じゃないかなと思いますよ
- hupu
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No.1の方に賛成です。 個人的な考えですが、人間のエネルギーというのは、不遇になれば増加し、満たされてしまえば減少するのではないかと思います。 まあ、日本の政治経済も先行き不安な感じではあるので、このまま高齢化や格差社会によって不遇な人が増えてくれば、それだけ改善しようという人達が増えるのではないでしょうか。
お礼
こんばんは そうですね、エネルギーは時代や状況に合わせて使うものなのでしょうか? ただ、満たされている時も怠りなく、努力をすればより多くのもの(物質的なものだけでなく)が得られる筈だと思います。 回答有り難うございました。
>何故こんな、シラケた、ニヒルな若者が増えたのでしょうか? 主観に過ぎませんが、 第一には「日本が経済的に豊かになった」ことだと思います。 貧しい時代には、政治にしても経済にしても、自分達の生活そのものと直結する重要問題です。関心も当然に強くなるでしょう。 今の若者(主に団塊世代の子、又はその子たち)は、普通に食べて生きていくことは何の苦労もいらない「当たり前のこと」という環境で育っています。ニートなどという存在は、その最たるものでしょうね。 政治・経済がどうであろうが普通に生きていくのに何ら支障がない。支障がないことについて「興味・関心を持て」「熱くなれ」と言うほうが無理なのかもしれません。 そして、生きていくことに対して「大志を抱く」必要がないのでしょう。 モノや情報・サービスは嫌という程に過分に溢れています。 「これ以上、何を作れというのか?」「これ以上、どんなサービスを提供しろというのか?」「金の亡者みたいなマネーゲームってそんなに楽しいのか?」「豊かになったけど、好き勝手やってきたツケが環境破壊じゃないか?」とか そんな諦めムードが漂ってしまうのかもしれません。 別に今の若者に何か重大な欠陥があるわけではないし、悪いわけではないでしょう。時代の変貌とその環境(教育等)がそうさせているに過ぎないと思います。
お礼
こんばんは やはり、原因は日本が経済的に豊かになったことでしょうか? しかし、豊かな時代がいつまでも続く保証はありませんし、現に「日本経済はもう一流とは言えない時代」に入りつつあります。 政治経済は貧しい時代はもちろん、豊かな時代にも自分の生活に直結しているんですから、無関心というのはどうも、、、 大きな志を抱くのは若さの特権です。 いくらモノに囲まれていても「もうこれで良い」なんて小さく型にはまって欲しくないなと、私は思います。 回答有り難うございました。
お礼
こんばんは 現代の知識、理論等が昔に比べて複雑化しているのは分ります。 だからこそ、より大きな努力と夢を持つことが必要だと思うのです。 先日の世界の学力テスト、16ヶ国中、日本は14位だそうです。 暗記ばかりやらせたり、何か一つしか出来ない○○バカになるような教育は止めた方が良いと思うんですが、、、、。 回答有り難うございました。