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前置詞
A of B というように名詞を補足したい場合A for Bという場合もあるのでしょうか? 前置詞をどのように使ったらよいかいつも悩みます。 法則みたいなものがあれば教えてください。
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- Ganbatteruyo
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アメリカに住んで40年目になりました。 私なりに書いてみますね。 文法とはと言う点で日本での多くの人たちが苦労してきたところだと思います。 学校側としては試験の配点がしやすい、文法を知っていると何か英語を知っているように終わってくれる、実際の英語表現を知らない人が多いから文法にあっていればどんな文章を作ってもみんなすごいと言ってくれる、などで優等生たちは得をしていましたね。 しかし時代が変わり英語が分かる人が多くなり、DVD・インターネットや海外旅行・留学・駐在などと非常に多くの人が実際の英語に接する事になり優等生の中で本当に英語を使えると言う人が実はそんなに多いわけではなく、実際の英語に接してきた人(別に外国に行った経験者だけではなく日本でがんばってきた人たちもですね)が文法学者さんたちが言ってきた事大きな疑惑の念を持ち始めてもうかなりになりますね。 これが文法自体の変化にもなって文法を正当化するための努力(私に言わせると無駄な努力)をしてきてどんどん専門用語を増やしてきました。 それにもかかわらず、文法学者さんたちの英語表現がおかしいと言う事は実は中途半端な文法しか持っていない、あるいは、一つの文法にこだわり他の部分とのつながりに気がつかないでいる、と言うことも大きな問題になっているわけですね。 つまりリンク・応用と言うものを使わないと言うことになり、一項目に関しての説明はうまい、でも、その知識を応用できていない、よって、おかしな英語表現や英語解釈、あるいは文法的に理解が実際とはずれて来てしまうわけです。 英語ネイティブが「それはおかしい表現だよ、意味が分からない」と本を出版する事になるわけですね 前置詞についてです。 これは日本の英語教育で大きな問題を持った項目だと私は思います。 分類してできるだけやさしくしようとしたことが裏目に出てしまった品詞なんですね。 ofを「~の」と覚えさせてしまって一時的「記憶達成感」を持たせてしまうわけですね。 A of Bであれば「BのA」the top of the tableとなればテーブルとのトップ(物を置く表現の部分)とことですね。 つまりof the tableでthe topを修飾しているわけですが、言い換えると、どこに属しているのかをさしているわけですね。 そして英語に接する事を増えてくると同時に「文法と言うもの自体に疑惑を感じるようになる」わけです。 今なければそれでもまったく問題ありません。 いつかそうなるはずですから。 つまり、文法ではカバーできない事が多すぎる事に気がつくわけです。 文法学者さんですら、文法は絶対的なものであり文法さえ分かっていれば英語表現が分かり正しい英語表現ができるようになる、と言ったにもかかわらず、だんだん英語を身につけるには英語にもっと接しフィーリングを感じ取るように努力する事で英語力を増えると考えを変えてきているわけですね。 じつは私もその道を歩きました、40年も前になりますが。 こちらに見て文法のクラスはまさしくオールAなんですよね。 でも、授業にはついていけない、レポートは書けない、エッセイを書いても分かってくれない、そして、最後には「お前の英語は文法としては正しいが何を言いたいのか全然分からない!!! 特に前置詞の理解が出来ていない。 その理解がないために文章の意味が成り立たない」と教授に言われたときは「一度日本で習った文法を捨てて実際に使われている英語からアメリカ人みんなが認める文章の使い方を習いそれを俺の文法力としよう」と決めたわけですね。 そして、文法の知識は応用できなければ文法ではない、知識のリンク、実際の使用法、などを注意して自分の文法を身につけてきたわけです。 専門用語は本当に基本的なものだけ。 文法の説明に必要なものだけ。 専門用語を使って知識見せびらかすような努力はしない、と自分に決めたわけです。 名詞of名詞、の理解を身につけるためには、A of Bの時に、一つの常識を身につけて欲しいのです。 その常識とは、この表現は、「BのA」と訳す時もあるし「AのB」と訳す時がある、と言うことをしっかり身につけるのです。 つまり、両方に訳す事があるから、BのA、だと言う先入観は捨てろ、と言う事なのですね。 そして、A of Bがどのように使われているかを感じ取っていくのです。 たとえば、よく引用される表現ですが、love of Godです。 これは「一応」BのAではなく「BへのA」と訳される良い例ですね。 つまり、神の愛(つまり、神がする愛、ではないわけです)ではなく、神に対しての愛、と理解されているわけです。 そうすると、love for God神に向かっての愛、つまり、神への愛、となり、フィーリングとしてはlove of Godとlove for Godは似ていることになるわけです。 これは参考書にもよく出ていることですね。 私もこっぴどく覚えさせられました。 なんで、A of Bの形なのに!!!と言う不満を持ちながら、試験に出るんだから覚えないと!!と言う気持ちで覚えたわけですね。 しかし、文法の応用をしていいなかったのですね。 文法書もしていませんでした。 他に習った大切な文法項目とリンクさせていなかったのです。 日本人は冠詞と前置詞が一番弱い、とされ、監視と前置詞をマスターすれば英語がわかると言える、と言われるくらいこの二つが弱点なんですね。 冠詞のことを説明させると文法学者さんたちは詳しく教えてくれますね。 参考書を見ると非常によく書かれています。 そして、文法書には「冠詞は日本人にとって非常に難しいと思われますが身につけないといけないものです」としっかり教えてくれていますね。 しかし私はこれを「能楽に過ぎない」「あんた結局は英語文法を知らないだけではありませんか」とこの国に来た40年前、日本で習ってきた文法、読み漁ってぼろぼろになった文法書とそして信頼して書いていることを100%鵜呑みにした著者(名前を出す事は控えますが)たちに暴言をたたきました。 なぜだと思いますか? 冠詞と前置詞のつながり、これを文法を知っていると大口をたたいた文法学者さんたちはリンクさせていなかったのです。 love of Godは「神への愛」としのイディオム的表現方法、また、THE love of Godで「神がもたらす愛」で冠詞の持つ限定しやすい表現方法で意味合いを変えることが出来るわけです。 こうすると、the love of Godが本当にthe love for Godになるかと言うとならないとする状況のほうが多いとなってくるわけですね。 こうすると、ただ、ofには主格と目的格を作り出す用法がある、と言われたって、結局、そういう逆の用法があると言うことを知ることだけとなり、「じゃ、区別はどうするの?」と言う突込みがこれからの英語修得には必要となって来ているわけですね。 区別が出来るように教えてくれないでここでは主語を示すために使われています、といわれただけでは「困るわけです」。 事実それを鵜呑みにした私も「困った」わけです。 the love of Godと書いても「神への愛」と解釈する人もある可能性を含めているわけですから、誤解を減らすための表現力が物をいうことになるわけです。 神への愛、と言いたいのであれば、love for God、love to Godを使い、神からの愛、と言いたければlove by GodやGod's loveと言う表現を使うことで誤解を避けることが出来るわけですね。 これが、文法の知識として身につけていくことでもあるわけです。 誤解をされると言うことを知識として持っているなら、本当に文法としてofは主語も目的語も表現するように使われると認識していると言うのであればその「対策表現」も英語力、社会文法の実力、そして、参考書のとしての責任とも言えると私は考えています。 >前置詞をどのように使ったらよいかいつも悩みます。 実際に表現しなくてはならない状況でどちらを使ったら良いかわからない時には文章を変えるのです。 今回のA of Bの「困った表現」を別の表現で表しましたね。 そして、時間がある時にはこのカテで聞けばいいのです。 後は、回答を鵜呑みにするのではなく、「なぜそうなるのか」「なぜそういえるのか」「どうやったら区別がつくのか」などを聞くわけですね。 自分の英語力を高めるために聞いているわけですから、回答者のご回答を鵜呑みだけして理解をしようとしないと言う事は実は非常に「礼儀正しくない」と言うことになってしまいますね。 さあ、どうですか? 私の回答に突っ込みをかけてみませんか? ありましたよね。 当然ながらの突込みが。 the love of Godが「神がもたらす愛」と解釈したり「神へのその愛」と解釈したりするその区別はどうしたいいのでしょうか、と言うことになりますね。 なぜなら、love of Godがいつも「神への愛」と言うことではない、と言うのであれば、その区別を知らなくてはならないと言う意欲を持つべきだからですね。 If you want to see the "love of God", look to the cross. "This is how God showed his love among us: He sent his one and only Son into the world that we might live through him. と言う文章を見てこの"love of God"の意味を「神への愛」と訳したら意味が通りますか? Jesus thus channels life back to its true and original direction: love of God and love of neighbor. That is why St. Paul says that he who loves his neighbor has fulfilled the law (Rom 13:8) どうですか? he who loves his neighborと言う表現をしていますね。 これがlove of neighborにつながるのが分かりますね。 >法則みたいなものがあれば教えてください。 これは社会文法と言います。 つまり、ネイティブはどうこの誤解をするかもしれないと思える表現に「出くわした時に」相手の言いたいことを敏感に、それも正確に判断するか、と言うと、文法ではなくなるわけです。 文法では正確にフィーリングをつかめることは出来ない、と言う事なのですね。 ですから、今回のようにA of Bに関して興味が合った場合、その興味を身分の英語力の原動力として使うわけです。 Love of Godと言う表現が今回出てきたわけですが、この表現をインターネットでどう使われているか見てみるのです。 そして、A of Bが「BのA」なのか、「AへのB」なのか「自分の身につけてしまう」のです。 ただ多くの英語に接するよりもインターネットと言う便利な検索法があるわけですから気になる表現をとことんまで興味につけてしまい、この表現なら自信がある、と言わせる自分を創っていくわけです。 広く浅い知識ではなく(もう文法学者さんたちがこの間違いを何十年も証明していますね)、自分のものにする知識、を求めてください。 そして英語の接するたびにこのA of Bを気にしながら「使い方の認識をしていく」わけです。 能書きだけ聞こえはよくても表現力がよくないのを活字に見せ付けられては能書きはあくまでも能書きに過ぎないことが分かるわけです。 参考になりましたでしょうか。 分かりにくいところがありましたら締め切る前にまた突っ込んで書いてくださいね。
- Parismadam
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はじめまして。 ご質問1: <A of B というように名詞を補足したい場合A for Bという場合もあるのでしょうか?> あります。 1.前置詞ofが「関係」の用法で使われる場合です。 例: It is true of every case. It is true for every case. 「すべての場合に当てはまる」 trueを使った正しい語法はofの方ですが、forでも通じます。 2.前置詞ofが「目的」の用法で使われる場合です。 例: love of God 「神を愛すること」 このofは目的を表し、Godはloveの目的語になっています。 これをforに置き換えると =love for God 「神への愛」 となります。 ご質問2: <法則みたいなものがあれば教えてください。> 文法は慣用のあとづけですから、法則があって使うのではなく、使っているうちにそれが法則化されたのです。それが文法(文の法則)になります。 日本語でも「が」「に」「を」などの助詞の使い方を覚えて使うのではなく、言い回しを繰り返し使うことで、語法として肌に染み込むものです。 ただ、日本にいて常に英語にさらされている状況でなければ、英語の慣用が自然に身につくものではありません。自らそうした環境に身を晒す努力が必要です。 テレビやラジオの英会話、英語ニュース、英字新聞、英字雑誌、映画、音楽など、毎日少しづつでも英語に触れ、英語の使い方になれることも大切です。 前置詞の使い方を早急に把握したい、というのであれば、辞書や文法書で前置詞の用法を調べることもできます。また、前置詞句を作る動詞句、形容詞句、副詞句といった、いわゆる「熟語」を覚えるのもひとつの方法です。熟語を覚えていくうちに、ofやinなど前置詞の使い方も同時に理解することができるからです。 前置詞の学習から入るのではなく、英語に接する中でどのように前置詞が使われているかに、注目すればある程度の法則が自然につかめるようになります。 こつこつと頑張って下さい。 ご参考までに。
お礼
わかりづらい質問にも関わらず丁寧な回答ありがとうございました。 前置詞を過度に意識せずにこつこつと頑張ってみます。
お礼
回答ありがとうございます。 非常に参考になりました。 疑問点にたいして興味をもち追求しようと思います。 ・・・ご心配なく、回答を鵜呑みにしたわけではありませんよ。 ありがとうございました。