司法権は,(かなり端折って言えば)当事者の主張する事実を法にあてはめて,法律上の権利関係(権利の存在・不存在,発生・消滅 等)を確定する権限です。
このため,法にあてはめて結論が出せないものは,司法権の範囲外になりますし,事実関係だけの確定を求められても,そのような権限はないから困るわけです。
この,法にあてはめて結論が出せるということの必要条件として「法律上の争訟」であることが要求されます。
宗教上の教義が正しいかどうか,という争いは法律にあてはめて答えが出るものではありませんから,法律上の争訟足り得ないわけです。
板マンダラ事件などは,訴訟物は,私法上の法律関係であるため,それ自体が法律上の争訟ではない,とまでは言いにくいのですが,判例の多数意見は,前提問題として教義の解釈に立ち入った判断が必要であることを理由として,法律上の争訟性を否定しています。
これに対しては,教義の解釈に関しては,当該宗教法人の自立的判断を尊重して,それを前提として,法律上の争訟にあたると考えるべきだという意見もあります。
>板まんだら事件のように宗教上の事件があるから
というのは,考える順番が逆ですね。
補足
それは板まんだら事件のように宗教上の事件があるからということではないのですか?