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単数なのに友達
ふとした疑問です。 知人の中で親しい人を 友、友人、友達と言いますよね。 よく複数になれば「~達」などといいます。友人が複数になれば「友人達が集まって・・・」などと使います。 でも単数として「友達」と使います。 友の複数が友達ではないのでしょうか。 となると、友達の「達」と 友人達と使う時の「達」は意味が違うのでしょうか? なぜ単数で友達と使うのでしょうか。
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これまでの回答者さんのご回答で、おおむね正しいように思いますので、差し控えようかとも思ったのですが、部分的に誤りがあるので、補足のみ添えようと思います。 該当する回答者の方が、お気を悪くされないといいのですが・・・ 確かに、古語の「達」は、神や貴人などに付ける、敬意を含む接尾辞ですが、これも、もともと複数を意味するという原則は現代と変わりません。 ただし、場合によって、「公達」が、複数の貴公子や貴婦人を表す場合と、単数の貴人を表す場合があることは確かです。 用例としては、複数の場合が圧倒的に多いように、私は思います。 高貴な人への呼称として、複数形にして「ぼかす」(明確に一個人を指すことを避ける)という意識から、単数の貴人にも「達」を用いたのではないかな、と思います。 次に、現代の口語においては、「達」からは「敬意」のニュアンスは完全になくなっていて、どちらかというと、発言者と同等以下の者に対して用いる接尾辞です。 「貴様」や「御前」から、時代と共に敬意が脱落して、逆に蔑称に転じたように、「達」も、やはり、時代の流れと共に敬意が薄れて、今や「ら」や「ども」ほどではないが、比較的目下の者への人称に付けられるようになったのです。 面と向かって、目上の人に「あなたたち」とか「先生たち」とか呼びかけるのは、失礼に当たります。 親しみを込めるという感覚はあるかもしれませんが、それは、自分の周辺領域に引き寄せるという意味で、いわば卑近なものとして認識するということですから、「敬意」とは正反対のベクトルになります。 敬意を含む複数の接尾辞としては、「達」ではなく、「方」が用いられるのが一般的です。
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私はまったく知らなかったのですが、今調べてみたら、下記に解りやすい説明がありました。 「ことばのおじさんの 気になることば」(NHK) http://www.nhk.or.jp/a-room/kininaru/2006/12/1213.html これによると、 元々は高貴な人々を指す複数形の言葉だった ↓ やがて一般人にも使われるようになる ↓ 一部が次第に複数形の意味を失う ↓ その結果、複数形の「達」と単数形の「達」が並存することに‥ という流れらしいです ( ^^
お礼
ご回答ありがとうございます。 ことばおじさんでやってたんですね。 ここに出てくる『伊勢物語』の「友だちども」とは面白い使い方ですね。 ありがとうございました。
- Parismadam
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はじめまして。 ご質問: <なぜ単数で友達と使うのでしょうか。> この「達」が古語からきているからです。 1.古語では「達」は「尊敬の気持ちを含む呼称」として使われていました。 例: 神達(かんだち)、公達(きんだち) 2.君達(きみたち)は、「公達」が転じたもの言われています。 3.友達の「達」の用法は、この「尊敬の呼称」が残存しているもので、複数の「達」とは種類を異にする用法なのです。 4.その点で「友」に比べ「友達」にはやや敬意のこもった表現ということになり、話し言葉でも敬語を使う場面では「友」ではなく、「友達」「お友達」が使われます。 ご質問2: <友人達と使う時の「達」は意味が違うのでしょうか?> 違います。 1.友人達は「友人」+「達」で、この「達」は複数の人を表す用法です。 2.なお、「友人」は漢語で、「友達」は和語になります。 3.従って、「友人」には「友」と同じく、敬意のニュアンスは入っていません。 4.一方友達には「達」に敬意のニュアンスがありますから、「友達たち」と「友人たち」では、主観的な「友への感情」にやや違いがあることになります。 5.「友達たち」の方が「友人たち」に比べ、「達」に現れる「敬意」「親しみの感情」がこもっています。 5.従って、感情を出してはいけない公の場面などでは、「友達」より「友人」を使う方が適切な場合もあるのです。 以上ご参考までに。
お礼
ご回答ありがとうございます。 人の複数を表す言葉の尊敬の度合いで言うと「がた、たち、ども、ら」の順だと思いますが、友達の「たち」は尊敬の意味が強まり複数の意味が薄まったという事ですね。 あいがとうございました。
- ANASTASIAK
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>なぜ単数で友達と使うのでしょうか。 むかしは「達」はおっしゃるように複数形を表わしました。 それが、単数でも使うようになったのです。これは例外的な 用法ですが、他にも「子供」のように複数形でも単数を表わす ものがあります。理屈ではなく用法の問題です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 複数で使っていたのが、それ自体が名詞となり、単数でも使うようになった「用法」の問題ということですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、「たち」は自分と同等以下に対して使い、若干の敬意を含むという事ですね。 それが「用い方」として単数にも使われる事になったという事でしょうか。 ありがとうございました。