死刑制度になぜ賛成できる?
死刑制度になぜ賛成できる?
死刑というキーワードで検索をかけますと、死刑制度に関連した質問をいくつか見かけます。そんな中でも「死刑制度に賛成。なぜ反対できるの?」といった質問を多く見かけます。
中には、「死刑制度に反対できるやつは頭がおかしい」といった少々過激な質問もいくつかあり、死刑制度に賛成できない私としては、正直不気味に思えます。
死刑制度を考えていく上で、今回死刑制度に賛成されている方に質問したいことがあります。まず質問を先に書きます。冤罪についてです。
・過去に死刑が確定後に、冤罪であることが明らかになった事件もいくつかある。冤罪である可能性を考えても賛成の立場をとるか?
1.とりあえず冤罪の可能性は除外して、賛成の立場をとっている。
2.たとえ、冤罪の可能性があったとしても、賛成の立場をとる。
上の質問で2の方にさらに質問です。
・過去にすでに死刑執行がされた犯人の中に冤罪だった者がいる可能性を考えていますか?
(参考URLのように死刑確定後に無罪であることが発覚した人も多くいます。そう考えると私は過去に死刑に処せられた人の中に無罪の人がいるのではないかと思えてなりません。)
・また仮に無罪の人が冤罪で死刑に処せられた場合、それについてどのように考えますか?
3.死刑確定後に冤罪が明らかになった事件は全体の事件のうちのほんの微々たるものであり、もっとたくさんの犯罪者を正当に裁くためには、仕方がない犠牲である。
4.その他
質問は以上ですが、私が死刑制度に賛成しない理由などを以下に書きます。よかったら参考にしてください。
私は死刑制度に賛成しない立場をとっているため、よく「最愛の人を殺されたとしても死刑制度に賛成しないといえるの?」という風に聞かれることがあります。
確かに、最愛の人を殺されたら、正気ではいられず、犯人を死刑にしてほしいと思うかもしれません。
しかし、犯人を死刑にしたところで、傷が癒えるかどうかも少々疑問であります。
また、そもそも論、この具体例自体が一般性があるかどうかも少し疑問です。感情的過ぎではないでしょうか。
それに、遺族のことを配慮するのであれば、死刑を存続させていくにしても今の死刑制度には遺族が立会いできないという大きな欠陥があります。存続させていくにしても、今の死刑制度は刑場の公開はされたにせよ、まだまだ謎につつまれた点が多く変えていかなければならないというのが私の考えです。
人間の命を奪うという重大な刑があるにも関わらず、冤罪が多すぎます。(URL参照)
冤罪をとりあえず除外して死刑制度を考えたら、確かに犯罪抑止や税金の無駄をなくすといった死刑制度の長所が全面に出てくると思います。
しかし、冤罪を含めて死刑制度だと私は思いますから、そう考えると死刑制度に簡単に賛成するわけにはいきません。
また、簡単に死刑賛成という風に言ってしまうことについては疑問を覚えます。
最後に、死刑賛成の方には失礼な質問内容になってしまったことお詫びします。
ご協力ありがとうございました。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/year/enzai.html