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判例と判決
なぜ判例と判決を学ぶ必要があるのですか??
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その疑問をもつに至った経緯にもよりますが… 法律は、その意味内容を解釈して適用するものです。 日本の法律は日本語で書かれていますから、まぁたいていの場合、 意味内容が不明瞭になることはないのですが、 時に意味内容自体が問題になる場合があります。 「要件成立の境界線に近い部分(境界『線』とも限らないし)」 「立法時に想定していなかった事態の発生」 「条文の出来が悪い」 などの理由で、その場合は、意味内容を明らかにするという作業が重要になってきます。 法解釈は好き勝手には出来ません。 他の法令解釈と矛盾の無いように、体系的に行われなければなりませんし、 問題の妥当な解決を図れるものである必要があります。 個人がこれをやるとなると、途方も無い作業になることは容易に想像できると思います。 だから法学者、法解釈を必要とする人は、それまでの蓄積を参考にします。 判例はその蓄積の1つであり、裁判所がその意味内容に一定の解釈を与えた事例です。 法解釈を学ぶ上では資料の1つという位置付けですが、 特に実社会にて通用している解釈、ということになります。
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何をするのに当ってですか? 大学入学試験の勉強なら必要ありません。 自動車運転免許取得でも特に必要ありません。 一般人の実生活においてもまずほとんど必要ありません。 行政書士試験でも別に必要ありません。もちろん「判例の採った結論」くらいは憶えますが、それは別に「判例を学んでいる」というレベルではないし、それが「判例であることを知っている必要もない」です。 司法試験ですら憲法以外は必要ありません。「判例を勉強したことがないから答案に判例同旨と一切書かなかった(書けなかった)」が受かった人もいます。もちろん、「判例と意識していないが結局は判例だった」のではありますが、そういう状態は「判例を学んでいる」とは普通は言いません。 実務では逆に判例を知らないと仕事にならないのは明らかです。判例を基準に実務が動いているのに判例を知らなくてどうする、ですし、判例の理由も知らないと「今回の件は判例とは違うケースである」という主張もできません。 また、学問上は、卑しくも日本で唯一強制通用力のある解釈である判例を知らずにどうする、と言うか、判例を(良くも悪しくも)批判するのが学者の仕事の半分だから知らなければ仕事の半分を放棄しているようなもの。 ちなみに「(判例と区別した)判決を学ぶ」に至っては意味が分かりません。
- mat983
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例えば危険運転致死傷罪です。 昨年できた法律で、最高25年の懲役刑が科せられますが、 適用にはハードルが高いと言われています。 福岡の事件では、検察側は危険運転致死傷罪を想定し25年を求刑しましたが、地裁は業務上過失致死傷を採り、懲役7年半になりました。 こうした判例が蓄積され、司法の判断基準になっていくのです。 なお、中国新聞の社説では、 『同罪の適用要件「正常な運転が困難な状態」の立証が難しいとして、警察や検察が断念するケースも目立つ』とあります。
- Sasakik
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法は、最終的な結果だけを求めるものではありません。 むしろ、結果に至るまでのプロセス(考え方)を重要視するものであり、同じような結果でも誤ったプロセスを経ていると「間違い」となってしまうこともあります。 また、単に法の条文だけを眺めてることは国語的理解であって、法的理解ではありません。行間を読み、法の精神、立法趣旨を読み取れなければ、法を理解できたことになりません。 正しいプロセス(考え方)を導き出すためには、過去の判例の積み重ねから学ぶものが多いのです。
- kishitako8
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法律にはすべてを書き尽くせないからです。 先の判例を踏襲することが多いですので、ある事件が起きた時に判例を調べれば、裁判でどのような結果になるかを、予め予想することができます。