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水子供養したほうがいいでしょうか?
妊娠2ヶ月。 正式には5週目で流産してしまいました。 普通なら生理と間違えてしまう時期の出血だったのですが、虫の知らせか偶然知ることになりました。 5週目というとまだ形というほどのものではないため、水子供供養をされない方のが多いのでしょうか? それとも、数週に関係なくそこに命があったということでしたほうがいいのでしょうか?
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一応、しておいた方がいいですよ。気持ちの問題でもありますし、基本的に亡くなられたお子様の事を忘れない事が大事です。 方法は水子供養の寺にお世話になるかあるいは比較的大きな葉っぱの上にビスケットなどを乗せ、綺麗な小川にビスケットを載せた葉っぱを船みたいに流して合唱しするといいですよ。
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- amida3
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amida3@坊さんです。 すぐ前に、同じように「質問:水子供養に関して」と言うところでもお答えさせていただきましたが、 もし、供養をなさりたいのでしたら、まずは、ご先祖方と同様に、自己に縁のあった者の供養として、ご自身の菩提寺や同じ宗派の寺院を訪ね相談されることをお勧めします。 水子供養なるものだけをまったく異なる宗派で行い、そこでもらったものを、あとになって自分の宗派のお寺に来て、「これどうしましょう」と相談されても、菩提寺では困ってしまいますのでね。 たしかに仏教では生命の誕生は受胎の時にあると考えます。ですから水子といえど も、この世に姿を現さなかっただけで、生命をもった立派な人間であるとみなければなりません。仏教では満年齢よりも数え年を用いるのも、こうした理由があるからです。したがって、私たちが人の生命を大切に思うと同じように、流産した未だ見ぬ赤ちゃんの「いのち」を重んじなければなりません。その意味では、供養をされるのは良いことです。 ただ、水子となった方を他の亡き人と同様に供養するのでしたら良いのですが、水ことという理由で、まったく異なる特別な供養が必要と御考えになるのでしたらそれは間違いです。 最近、水子の霊がいろいろな障りをもたらすと言って、その供養をさせる寺や宗教が盛んに流行し、マスコミにも取り上げられたりしていますが、供養につきましては、まずは、ご自身の宗教宗派の中で御考えいただくのが筋です。 なにか悪いことがあると、それを水子に責任転嫁するかのように、水子がたたるとか、水子だから特別な供養をと考えるのは大きな間違いです。「水子のせいで」と水子を悪者にしてしまいかねないのは、私たち自身なのです。 水子という用語も、本来、江戸時代の飢饉などで、出生後、口減らしで故意に殺害した子供に対する用語だったのが、現代(もっともこの20年前ごろから新たに生じた言葉ですが)では、主に人工中絶した子を指し、その後流産した子をも含むようになってきています。 現在、行われている一部の寺院や新興宗教的寺院等で行われている水子供養というのは、わずか20年ほど前からできた新しい風習です。水子が「タタリ始めた」のもその頃からのようです。単なる迷信、いや、単なる脅しであります。 現在、世間一般でなされている形の(多くの人が思っている)水子供養など、仏教とは一切必要ない世界です。その点に関しては、水子供養寺や霊能者と称する者たちによる「霊感商法」に似たようなものでしかないことを強調しておきます。 ただ、いわゆる「水子」をつくると(自然な流産などの場合もそうですが、特に、人工的な堕胎を行った場合)体調が崩れたり、人間関係などに亀裂が入ったりすることはあります。 これは、タタリではなく、自然の摂理として縁無く命終わっていくにすぎません。 人間は、順調なときは、すべて自分の手柄にしますが、ひとたび、うまくいかなく なると、何かのせいにするのです。悪いことがあると、先祖のせいにしたり、自分が流産やおろした水子のせいにしたり、墓が悪いとか、仏壇の向きが悪いとか…、きりがありません。それを「迷い」と言います。 しかし、どうしたら、この弱い存在の私が、人生を迷うことなく、生ききることが できるのか。それは、「どんなことがあっても、あなたを捨てることがない」と、わが「いのち」を支えてくださる「まこと」なるものに、出遭うしかありません。 まずは、ご先祖方と同様に縁のあったものの供養として、ご自身の菩提寺や同じ宗派の寺院を訪ね相談されることをお勧めします。 以上、多少、乱暴且つ乱文で、また前回の別のかたへの回答とも類似して恐縮ですが、amida3@坊さんからでした。
お礼
お返事ありがとうございました。 行くか行かないかだけの質問にこんなにご丁寧ありがとうございました。 かえって申しわけなく思っています。 お参りには行くことにしました。
- nobunojo
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極端なことを言えば、水子だろうが生まれた子供だろうが 大人だろうが老人だろうが、死んだから(流産したから)といって、 別に供養をする「必要」は全くありません。 妊娠満十二週未満はそもそも人として認められてませんし、 「人」になってからは死亡届(胎児のうちは死産届)等を提出し、 火葬許可証とか埋葬許可証の交付を受け、 それに則って遺体をしかるべく処置すれば御仕舞いです。 わざわざ葬儀・告別式をする義務もないのです。 ということで、亡くなった人(胎児)をどう偲ぶかは、 単なるあなたの心の問題、そして信仰の問題に過ぎません。 単に世間体や慣習の面で気にされるのでしたら、 お金の無駄以外の何事でもありません。やめましょう。 でも、流産したことにに強い思い入れがあって、 気持ちの整理をしたいのなら供養をしてもいいでしょう。 でも、その場合も水子供養をやってるお寺に行って、 なんてのは、さんざん脅かされた挙句にずっと供養をさせられる気が しないでもないですね。偲んであげたい、という気持ちさえあれば、 その方法はどうでもよい、と私などは思うんですが。
お礼
お返事遅くなりました。 >単なるあなたの心の問題。 で解決しました。 お参りに行くことにしました。 ありがとうございました。
考え方一つで、 供養をすることで気持ちが落ち着くのでしたら、 経済的負担にならない程度になされるのが良いかと、 ただ水子供養は昭和30年代後半から始まった宗教事業で、 本来の仏教とは趣が違うと思います、 生れ出でる事無く死んでいく子供は輪廻転生から外れているようですし(生きて修行をしていないので大悟をえる事も無い)、 水子供養は医療技術の進歩と共に子供の死亡率や流産の減少と逆に望まない妊娠による人口堕胎(中絶)増加と(これには米軍相手の慰安婦問題や売春などの風俗問題もあります)、 周辺市町村の都市化と都市への人口集中ともに檀家制が崩れ、 収入が減った一部の寺院が始めた事から普及していきました(いんちき占い師もこれに荷担)、 以下は少し残酷に思われるかもしれませんが、 江戸時代などは水子という考え方自体無く、 妊娠に伴う幽霊などは「産女」や「産まず女や産褥で死んだ妊婦が落ちる血の池地獄」ぐらいしかありませんでしたし、 冷害による飢饉に苦しんだ東北地方などは、 7歳までに死んだ子供は墓に入れず、 竈付近の土間に埋めるとか、 四辻に埋めて埋葬した地域もありましたし、 死産や間引かれた子供の事を「おかえし」「ぶっかえし」と言って、 存在自体を無い事としていた時期もありました。
お礼
お返事遅くなりました。 お参りに行くことにしました。 色々ご説明ありがたいのですが、流産したばかりで、よいお返事をお返しすることができなく申しわけないと思っています。 逆に配慮をいただきたかったかなと思いました。 が、私のためにお時間をいただき感謝はしております。
- syunpei
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ものの考え方というか、あなたの考え方気持ちの捉え方だとおもいます。 あなたが必要でなければ、必要でないでしょう、あなたが必要とおもわれたら 必要でしょう、もしあなたがこうやって質問されているというのは、きっと気がかりに無意識に思われているのだと思います。 流産された命は、残念ながらこの世に誕生することなく、仏様神様の下へお帰りになったわけです。 一度お近くに水子供養をしてくださる、お寺とかあるとおもいます。 まあ、そこのお坊さんなりに能力があるかないかは、判りませんが まあ、何十万もお布施をとるようなところは、やめられて そこそこのポケットマネー程度で、おまつりしていただけるところもあります ご近所の方に聞かれたらわかるとおもいます。・・・お年よりなんか結構ご存知では? きっとまた、あなたの身体に辿って、いつか生まれ変わって誕生してくれるかもしれませんよね。 正式にお坊さんに拝んでもらわなくても、そういったお寺にお参りされるだけでも いいとおもいますよ、 家庭での供養の仕方は素人考えでしないほうがいいとおもいます。専門の寺社におたずねに成った方がいいとおもいます。 いろんなおまつりの仕方ありますし。途中からおまつりやめるようなことがあれば よくないですしね、
お礼
お返事遅くなりました。 お参りに行くことにしました。 どうもありがとうございました。
お礼
お返事遅くなりました。 自分としては行きたいなと思っていたので しておいた方がいい というアドバイスをいただきそうする方向に今考えています。 昨日、子宮内も綺麗になってることがわかり、これですっきりできました。 近いうちにお寺に行こうと思っています。 ビスケットのお話参考になりました。 ありがとうございました。