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直観の分析について
直観の分析については、どのようなことが行われてますか? ネットで調べても全然ありません。 心理学でなくても、哲学宗教でもいいのです。 仏教の直観智、あたりの話なら知ってはいるのですが。 できれば論理的なものがいいなと思っています。 ご存じの方おられたら教えてください。よろしくお願いします。
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No.2です。お礼ありがとうございます。 私も4つの関係についてわかりません。その解説を読んでも更にわからなくなります。 直感の私見を経験律から述べてみたいとおもいます。 直感というと何もないところから突然沸いてくるようなイメージがあります。しかし、そう思いません。ある時期ピアノを習いました。ピアノの初歩といえばバイエルです。それを練習してから、あるイメージに対してメロディーをつけられるようになりました。それを分析してみると、バイエルのメロディーの組み合わせでした。 直感やひらめきは、その下地になる物があると思います。それは、フロイト流に言えば無意識であり、本人にとって認知できないと思います。また、脳生理学的に言えば、バラバラの状態になってシプナスで結合されていない状態だと思います。 脇道にそれますが、人間の脳の記憶容量はスーパーコンピュウターよりあると言われています。しかし、コンピュウターはきちんと整理されて記憶されていますが、人間の場合はバラバラの状態です。また、忘却してしまいます。 人間にとって忘却は悪いように思われますが、新しい物を覚えるには忘却しないといけません。忘却できないという障害のある人は、いつまでも忘れませんが、新しい物を覚えられません。 さて、話を元に戻すと脳の中でバラバラになっている状態で、ある条件下でよく結合するのだと思います。その条件というのは、よく天才と言われる人が朝起きたときに閃いてすごい発見をしたというエピソードがあります。 それは睡眠で脳がリラックスして、回路が結合しやすい状態になっていると思います。脳の思考には集中思考と拡散思考とがあります。集中思考はそのことだけを考えている状態で、拡散思考はいろいろな面から考えている状態です。集中思考では、そのような閃きや良い考えは出てこないと思います。 よく「天才は99%の努力と1%の閃き」と言われていますが、99パーセントの努力というのは、フロイト流の無意識下のもの、脳生理学的に言えばバラバラの記憶だと思います。だから、普段から自分の課題を追求していると思います。 無意識下の物ですから、本人に説明しろと言っても本人はそれは分からないと思います。ですから、他人から見ると何もないところからポッと出てくるような印象を受けますが、その人の脳の中でそのような動きが起こっていると思います。 長嶋監督が「閃き、天才、直感」と言われてますが、彼は彼なりの理論があって動いていると思います。それを本人が言語化できないだけだと思います。直感の元となる物は、日頃の練習からもあるし、DNAに書き込まれているかもしれません。 天才と凡才の違いは日頃の蓄積とバラバラのものをいかに結合させるかという違いになると思います。
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- hipotama
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心理学で「直感」という言葉が出てくるもので、思い出したのはユングです。 ユングはフロイトの精神分析に対して分析心理学と称しました。その中の類型論の中で述べてます。人を類型化するのに、外向性、内向性に分け、更に思考、感情、直感、感情の機能で分類しました。 その組み合わせで、以下の8つに分類しました。 外向思考型、内向思考型・・・思考という機能をよく使う人 外向感情型、内向感情型・・・感情という機能をよく使う人 外向直感型、内向直感型・・・直感という機能をよく使う人 外向感覚型、内向感覚型・・・感覚という機能をよく使う人 ここでは、類型化するために直感を使っているので、直感そのものは述べていなくて、あなたの回答にはならないかもしれません。 しかし、ユングは古今東西を問わず人間本来そのもの元となる「元型」があると思い、いろいろ調べました。錬金術から日本の曼荼羅まで 調べています。 最後に参考となるリンク先を書いておきます。その最後に「ユングは直感の不思議さに興味を持ち・・・」とあるので、ユングを調べていけば何かは出てくると思います。
お礼
回答ありがとうございました HPも見させてもらったのですが、正直なところ 思考と感情と感覚と直観、この4つの要素の関係が見えません。 微妙です。 教えていただいたことを自分なりに咀嚼してみます。
- tumaritouo
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貴方は「神経症」を知っていますか。「直感」とは正反対の事をやっている「症状」が続く事です。例えば結婚をする時にそれを決めるのは、正に直感です。その人と一緒になったら「幸せになれるか?」を論理的に納得してから、好きになりますか? その論理的に納得しないと動きが取れないと言う人や、論理を納得で来ても、今度は感情が納得できなくて、やっぱり動きが取れない「症状」の事です。 その対極に在るのが、「禅」です。プロゴルファーがここ一番と言う時に「平常心」を保たれるためにこれを、学ぶ人が居るようです。 沢庵和尚に剣豪と言われる人がその極意を聴きに来るという事も同じ事です。人間は「意識」する時には自分が「自由」になりません。プロゴルファーがあと一打で優勝と言う時に「意識」する時には体が自由になりません。 直感の話とこの話とどうつながっているかと、お思いでしようが。つながっています。「神経症」の治りとその「禅」が関係しているからです。「禅」の極意は「心をどこにもおくな」ということです。心が滞る事が、「神経症」なのです。或いは迷いと言っても、悩みと云ってもいいのですが。 心が滞るとは何かと言えば、思考、分別なのです。塚原卜伝に弟子入りした人の話が小説の中でのっていました。免許皆伝のときは「思わず、後ろから打ち込まれた時によけた事」その思わずにやれるようになる事がその極意だということです。 そこで、今度は神経症の話です。「神経症」を起こしているものは「意識」です。それも「二つの意識です。」心が二つに分かれてしまって、動きが取れなくなってしまう事です。その事を完全に解消するためには、二つに分かれたものを「幼子」のように一つにしないとだめなのです。 その事を説明するのに「禅問答」を引き合いに出せば、分かりやすいと思います。 禅問答は普通では解けません。是が解ければ「神経症」は解決します。 その訳は、脳の機能に在ります。普通の意識では解けないからです。 「分別を捨てろ」と言います。分別を捨てる事が出来たら、解ける問題なのです。 ところが、分別を捨てるという意味が分かりません。是は脳の機能を説明すれば分かります。今の意識は論理的に物事を処理する機能を持っています。その論理では解けない問題が「人生」には、在るということです。「禅問答」を本当に解く時には、命がけの取り組みが必要になります。命掛けで取り組む時心が降参せざるを得ない事が分かります。 心が「我」といったほうが良いかも知れません。「我」がどうしようもなくなって。本当にギブアップした時に「大死一番」と云って「我」が一度死んだ時にもう一つの意識「仏性」が出てきてその問題を解いてくれると言うわけです。 そこで脳の機能の話しに戻りますが。「現意識」は左脳の意識です「仏性」は右脳にある無意識の中の意識です。右脳は分別出来ないことを扱っています。喜怒哀楽とか、他の人達との連帯感とか、大悲、大智とか、結婚したいとかの直観力です。あの人はなんとなく嫌いだとか好きだとか、その他無意識でやっている時の自分を統率するとか。まだ数え上げたらきりがありません。 その意識は、感動している時などには分かりやすいと思いますが。世界中の人達とつながっている事が感じられます。人間が考えてない時に直感、或いは、閃きで一瞬にして答えを出せるのは。自分には意識でき難いものですが、右脳の意識が自分の知らない間に考えていてくれているからです。右脳と左脳は1,980年代の「分離脳」の研究の成果を踏まえたものです。 その結論だけを二点挙げておきます。 1-左脳に一つの人格、或いは意識が在る。右脳にまた一つの人格が在る。左脳の人格と右脳の人格はそれぞれ違うものである。 2-左脳の機能と右脳の機能は分化の過程を過ぎた時は固定されて、それぞれが違う役割を担っている。
お礼
回答ありがとうございます。 とても興味深く読ませてもらいました。 久しぶりに聞いた話でした。 左右の脳に別の人格があるというのは全く初めての話で驚きました。 脳の科学的解明にはいつも興味を持っていますが、現在のところ、解明からはまだ遠いところにいると判断しています。
お礼
回答ありがとうございます。 すてきな文章ですねー。こういうとげのない文を書きたいなと思ってるんですが、なかなか。 本題ですが、 ユングさんは、性格の傾向を考えたように思います。 僕は性格の(直観という要素を軸にした)構造を考えたいなーと思ってます。思うだけなら自由ですよね。できるかどうかはともかく。 直観の性質についていろいろ教えていただきありがとうございます。書いていただいたとおり、確かにそうだなーと思います。今の現状では、科学が直観の仕組みを解き明かすのがいつになるか予想もできませんね。というかできるのだろうか?との疑問は抑えつつ。