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「女」が嫌

最近悩んでいることがあるので、質問させていただきました。 私は「女の子」と呼ばれるのが嫌いです。(「○○ちゃん」も、ちょっと・・・) そのほかにも学校の制服。なぜスカートなの?なぜ男子用の制服 じゃないの?・・と思っています。 「女の子なんだから」と言われるのが一番苦痛で、 普段の一人称は「僕」です(学校では「私」ですが)。 でも異性には恋するときもあるし、可愛いいモノや服に対して 「可愛い」という感情もあります。 親に「女じゃない」と言うと冗談だと思われ、笑われますが、 本当に「女」というのが嫌でたまりません。 なぜ女なのか?どうして?といつも考えてしまいます。 過去に性的に辛い思いをしたことは全くありません。 私はおかしいのでしょうか??ご回答、お願いいたします。

みんなの回答

  • beer002
  • ベストアンサー率55% (5/9)
回答No.10

正常だと思います。 そういう考えの人は多かれ少なかれ男女問わずいらっしゃるようです。 ジェンダー論に関する本を一度読んでみてはいかがでしょうか。 こういう本にかぎらずですが、偏った考えにならないように 何冊か読まれることをおすすめします。

  • gumbosoup
  • ベストアンサー率38% (106/273)
回答No.9

あのぅ・・・質問者様がおいくつなのか分かりませんが、もし25歳以下なのなら全く問題無いかと思われますが・・・。 ある意味の少女期(要はお若いうち)にはかな~り普通に見受けられる事だと思うのですけどね? 少なくとも20年以上前からそういう人は普通にいましたよ。まぁ、大抵は高校生とか、10代の方がほとんどでしたけどね。 私は男性なので詳しくは分かりませんが、何か女性の成長過程で必ず通る事の1つではないかと私は認識していたのですが、違うのですかね・・・? ご心配無いと思いますけど。

noname#47253
noname#47253
回答No.8

何度か同じような質問を見た気がしますが、いつも考えることは、変えられないものは受け入れるしかないということです。 私は、周りが女の人ばかりの環境だったので、比較する男の人というものがあまり具体的でなかったこともあるのかも知れません。 性的に嫌な思いをしてもそれを受け入れて生きていくかないわけで、 制服にズボンを選択できる学校もできていますよね。運動部などの活発な女の子の中にいると 女の子なんだから意識も薄らぎませんか。 受身が嫌だということもなく、自分の役割としてできることをすればいいということだけで 生理痛が嫌、その前の情緒不安定が嫌というのはわかるのですが、変われないものについて考えたこと今までないですね、私は。 女の人らしさが、生かせる場所、人としてこの人は素敵だということに出会えれば、性別はあまり関係ないかな。そして競争もですね。能力のある女性は男性以上に戦っていませんか。 男の人の視点の範囲で女性としての在り方を評価されることは、それでももっと昔を考えてみれば なくなってきているのかもしれませんよ。 ある本を読んでいて、女の人が成人してから、スポーツをしたりピンクの服を着たりするのは質問者様のおばあさまの時代には考えられなかったとあり、首を傾げました。(着たいものきて、やりたいことして何故いけないみたいな) 迷惑かけない範囲で自由なのではないでしょうか。 お嫁さんは今も家に入れば昔どおりだったりもするけど、人から見てどうというより親御さんが悲しまない程度、自分がどうしたいのか、それこそ今だからこそ好きにすればいいと思います。

  • nomonomo2
  • ベストアンサー率29% (42/143)
回答No.7

女です。 >私は「女の子」と呼ばれるのが嫌いです。(「○○ちゃん」も、ちょっと・・・) 自分にも似たような感覚があります。(最近は大分緩和<諦め?>されましたが) 年齢的に「女の子」と呼ばれる事はないですが、 ことあるごとに「女性」「女性」「女性限定」「女性の為の~」ともてはやされるのにうんざりします。 女の人が数人で、ある種の連帯感を持ちながら、「生理(月経)」について、どんな痛みか、周期が長い・短い、生理用品は何を使っている、等の話をしている時も入っていけず、いつも聞いているだけでした。 自分は化粧もオシャレもしませんが、「女性」というだけで、男性から羨望(?)の眼差しで見られる事もあって、そんな時には完全に無視します。 それプラス、自分は「男嫌い」もあります。(これも、最近は大分緩和されてきましたが) ですが、自分は「性同一性障害」ではありません。 もちろん質問者様も違う(性同一性障害ではない)と思います。 >本当に「女」というのが嫌でたまりません。 なぜ女なのか?どうして?といつも考えてしまいます。 前の回答者の方も言われておられますが、女性でそう考えておられる方は少なくないと、自分も、思います。 自分は、「時代」のせいではないかと思っております。 今の日本の女性全体の意識が、窮屈な「女性」という性から解放されたがっている気がします。 と、同時に、女である事への嫌悪感、男性への嫌悪感、対抗心や反発心が生まれている気がします。 「男女平等」と言っても、戦前まで延々と続いてきた「男尊女卑」の風潮は色濃く残っており、政治を行うのも男性、男性主体の社会です。 そんな中で、小さな頃から「男女平等」と教育されてきた女性は、現実との隔たりを見つけ、「女だから」という理由だけで不当な扱いを受ける事(女らしさを求められる事も含め)に疑問を持ち、人によっては「女」という性を嫌悪してしまうのではないでしょうか。(人によっては逆に、「女性」を強調し、権利を追求したがる方もあるように思います) 自分の場合は、上記の理由で男性を嫌悪してしまいます。(汗) 社会全体がそういう風潮なのだと思います。 質問者様は学生さんだそうですが、実際に社会に出ておられなくても、社会のそういった雰囲気を無意識の内に肌で感じているのかもしれません。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.6

まず、ある程度の年齢に達した女性を「女の子」と呼ぶ感覚は男尊女卑がまかり通っていた封建時代の名残りと考えるべきでしょう。 そう呼ぶ人のほうがおかしいのであって、「>嫌いです」とおっしゃるあなたが正常なのです。 「○○ちゃん」という呼び方に関しては、つい先日、そう呼ばれた女性が起こした裁判で相手がセクハラで有罪となったばかりです。 普段の一人称が「僕」というのも特に不自然は感じませんよ。 女性には潜在的に男根願望というものがあり、つまり、体の構造的に凹である分、当然のこととして凸に憧れる無意識を持っているものです。 俗に言う性への目覚めということでは、第一次の開花期は大体3、4歳頃で、第二次開花期は12、13歳頃とされています。 この二つの開花期に挟まれた期間を性の氷河期と呼びます。 この時期に抑制されているために、第二次の開花は華やかに彩られことになり、これがいわゆる思春期です。 ただ、今述べた時期はあくまで一般的なものであって、人により多少の差異が出ます。 受身としての性がどうにも我慢ならない、という感覚を持つ方もそう少なくはないようです。 そういう方は、一般的に言って精神的な向上度が非常に高い方に多く、それだけに肉体(の構造)的な受身状態を嫌だと感じてしまうわけです。 また、多かれ少なかれそのような傾向はどんな女の子、もとい女性も持っています。 「学生時代」という歌はご存知でしょうか。 「その美しい横顔 姉のように慕い」という歌詞があります。 賛美歌を歌う同性の友人の横顔を見つめながら、一人の女子学生が募らせる思いです。 ご質問の趣旨とは多少ずれるかもしれませんが、これなども女性が女性に対して(無意識的には性的な)憧れを抱いていることになります。 つまり、海に流れ込む河口の水が淡水とも海水とも言えないのと同様、思春期という時期は性の過渡期と言えるために、全ての女性を画一的に語ろうとすること自体に無理がある、ということです。 >過去に性的に辛い思いをしたことは全くありません。 :こう言い切れるだけで十分あなたは健康です。 性同一性障碍という可能性をお考えになってるかもしれませんが、上に述べたような理由で、今の時期においてその心配をされるのは意味がないように私は思います。  

参考URL:
http://jp.youtube.com/watch?v=kJuumQD_Weg
回答No.5

ご兄弟、いらっしゃいますか? もし、姉妹ばかりで男兄弟がなく ご両親の両方か、どちらか片親が、男の子を望んでいた場合 その親の願望(男の子が欲しかった)が子供に影響する場合があります。 そういうことではないなら、 貴方は、まだ学生さん、高校生でしょうか? その自分の女の子が、同性に恋することは、有ります。また自分の一人称は、僕ということですが、 私は、性同一性障害では、ないであろう友人が、自分のことを僕と言っていたこと、記憶してます。 性同一性障害ということですと、なぜ、女の体に生まれてきたのか、どうして男性の体ではないのか、という苦しみになります。 なぜ女なのかという言葉には、どこまでの意味があるのでしょう? 何か女には制限された生き方があるという風に考えて、いやなのでしょうか?それとも、肉体が女性であることが苦痛ですか? いずれにしても、このことを、はっきりさせるまで、もう少し時間を置いた方がいいと思います。 後、数年して、大人の女性になって、お化粧して、おしゃれして、自然に女性として振舞えて、違和感がなくなる日がくるかもしれません、そして男性に愛されたとき、女性としての喜びを感じたら、貴女は、何の疑問もなく女性だし、今のことを、あの時は、まだ幼かったのだと思うでしょう。でも大人の女性になったとき、自分の女性としての体に違和感があり、同性にしか、性的な感情がもてない、男性としての肉体を欲求するそういう気持ちがあれば、性同一性障害の可能性を感じて、専門医を訪ねられるといいと思います。 最後になりますが、ご家族との関係は、良好ですか? 特に、お母さんとはどうでしょう。充分な母性愛を受けて育つことができない場合も、影響があると思います。 できれば、女性を美しく感じる何かに触れることをお勧めします。たとえば、ここ数年、クラシカルな曲をうたう、女性の歌手が人気ですが、そういうものを聞いてみてください、もしなにか、女としての性に嫌悪感があるということや、社会における女性の立場への不満が、そういう感情の根っこになってるということであれば、解消できる可能性もあると思います。

noname#47076
noname#47076
回答No.4

私個人の考えですが、学校や職場での制服が男性用と女性用に分かれていることは、昔の名残であり、仕方の無いことだと思っています。「男性は男性らしく」「女性は女性らしく」というのが日本の昔からの文化であり一般論ですので、それは日本に生まれた以上諦めざるを得ないのではないでしょうか。 生まれてくるには性を決めなければ生まれてこれないんです。 別にどっちでもいいんですよ、性別なんて。 質問者様がたまたま女に生まれてしまっただけのこと。 そんなに気にすることではありません。 男であれ女であれ、みんな同じ人間なのです。

  • yrgfrkw
  • ベストアンサー率24% (45/182)
回答No.3

参考までに。 まだ学生さんみたいですので、想像して書いていることをご了承下さい。 いままでの生活を振り返ってみて、特にこれ、というイヤな思いはなくとも、記憶が形成される前の無意識での体験というのもあるかもしれません。乳幼児の頃ですとか。 それから、いまは学校で「男子、女子」と最初からグループ化され、制服もいわゆる既成の概念から作られてきたものを自分の本意ではなく着せられていることと思います。 「女の子」である自分を求められ、「女の子」が着るべき制服を押しつけられていることが窮屈で、そういった感情が溢れているのかもしれません。 まだお若いようですから、当たり前に周囲から「女の子」である自分を求められ、「自分という一人の人間」をみて貰えていない、と感じておられるのかもしれません。 成長の過程で、様々な価値観に触れ、人々と出会うことで、そういうご自分を客観視出来るようになると思います。ですので、おかしいということはないと思います。自分の中味が女性の器に入っていることを、認められる日もいつか来ることと思います。 20歳過ぎて、就職して、男性に好意が持てないとか、結婚なんて気持ち悪い、とか実感したら、一度専門のクリニックに行かれてみてもよろしいかもしれないですが、たぶんそうではないと思います。 あくまで参考意見です。失礼いたしました。

  • zzz_sheep
  • ベストアンサー率21% (36/166)
回答No.2

私は性同一性~じゃないと思うけど…。 男性でも「男の子」扱いとか「男の子なんだから」とか言われたら苦痛に感じる人がいます。 一般的な理想の男性像は、喧嘩が強く、人情に厚く、筋が通っていて元気で明るい人です。 そんな理想像にかけ離れた男性は、周囲から「男なんだから」その理想像になって欲しいと願望を押し付けられることによりストレスを感じたりします。 大人になる成長過程で、他人は他人、俺は俺みたいな自分なりの価値観が出来上がれば、周りから何を言われても平気だと私は思います。 質問者様がなぜ「女の子」扱いや「○○ちゃん」呼称が嫌いなのか。 まず、そこから考えてみませんか。

  • nonno36
  • ベストアンサー率27% (114/422)
回答No.1

質問者様の質問内容から可能性として、「性同一性障害」の可能性が あるのではと考えます。一度専門病院もしくはクリニックにて診察を される事をお勧めいます。参考URLはウィキペディアの同項目の 詳細がありますので参考にして下さい。恥ずかしいと感じないで下さいね。 私は立派な躁鬱病患者ですから・・・

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E5%90%8C%E4%B8%80%E6%80%A7%E9%9A%9C%E5%AE%B3