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死刑制度撤廃の動きについて
死刑制度を撤廃しようとする動きが理解できません。 欧州の多くの国はすでに死刑制度を撤廃していますが、私刑の横行など、問題は起こってないのでしょうか? 例えば、私は、自分の娘が強姦されて殺された場合、もし国に死刑制度がなければ、必ずや自らの手で犯人を殺します。 あらゆる意見に耳を傾けよと言われますが、凶悪犯罪が横行する現在、死刑制度撤廃の動きはどうも理解できません。特に、死刑制度撤廃が世界的潮流などというのは、まったくのナンセンスであり、真に納得できる理由が示されるべきです。 唯一説得力があるのは、冤罪の可能性ですが、冤罪の可能性がない(現行犯)の凶悪犯罪はどうするのでしょうか? 死刑制度に代わる代替刑(絶対的終身刑)の導入も、問題の本質を隠すものであり、死刑制度撤廃の理由になりません。 以上、とりとめもなく不満をぶちまけてしまいましたが、ご意見等いただければ幸いです。
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- E-FB-14
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これは私一個人の考えとして書かせてもらいますので誤解のないように・・・ まず日本の裁判制度は日本の法律を犯したから裁かれるのです。 ということは被害者の恨みつらみを晴らすことではないのです。 ですから裁判が始まると被害者は蚊帳の外になり裁判には一切口出しは出来ないのです。 ですから自分の身内が被害に会ったわけではないので一人殺して無期懲役という判決が出るのです。 俗に日本の判決は求刑に対して7割の判決しか出ません。 「江戸時代のように10両盗むと首が飛ぶ」といわれるくらい厳しくすると犯罪も少なくなります。 これは統計で出ているはずです。 ですからこの時代はものすごく治安が良かったそうです。 今のように何人殺しても死刑廃止のために加害者は天寿を全うできるのです。 歴史的に見ても刑罰を重くするということは犯罪の抑止力になると私は思います。 余談ですがつい最近までは窃盗(万引き)には罰金はありませんでした。ですから万引きは無くならないのかも・・・・
死刑制度を肯定する者です。 人間も生物である以上、社会が成立する以前から遺伝子レベルで持っている欲求(自然権)があります。 社会(国家)を形成していく上で、人間一人ひとりが持つ「自然権」を、どのようにコントロールしていくのかは重要な問題です。 自然権を過度に抑圧してしまうと、民衆の社会への不満が高まっていきますし、逆にあまにりも自由にしてしまうと、社会秩序が維持できなくなり、殺人などいわゆる「犯罪」が横行し、民衆の社会への不安が高まっていきます。 個人の持つ自然権を尊重しつつ、社会秩序の維持が保てる範囲でルールを定めたのが「法」なのです。 死刑というのは「代理殺人」です。 自分の家族(遺伝子を継承する人)が殺害された場合の「報復権」というのは、社会が成立する以前から人類が元々持っている自然権の一つですが、この報復権に対する考え方は、民族の違いや宗教観の違いによってかなり異なっており、これが死刑制度の是非論となっているのです。 日本の場合は江戸時代まで「仇討ち」が認められていましたよね。 仇討ちというのは儒教では忠孝の美徳として肯定的に捉えられています。 ですから、儒教国である中国はもちろん、儒教の影響を受けた日本でも死刑制度について概ね肯定的な意見が多いのです。 これに対して、欧米諸国の多くは死刑制度について否定的な意見が多く、廃止した国も多数に上っていますが、この主な理由はキリスト教的宗教観によります。 つまり、人を創ったのは神であり、裁けるのもまた神のみであるという考え方です。 死刑廃止は世界的潮流であるという意見も多いですが、それはあくまで西洋文明の価値観によるものであって、裏を返せば西洋文明が世界中を支配しつつあるということでしょう。 イスラムとキリストの対立を考えるまでもなく、こういう価値観の統一化を図ろうとする考え方は危険であると思いますね。 冤罪の可能性については、死刑制度と分けて考えるべきでしょう。死刑制度を無くすと冤罪がなくなるわけではありませんから。
お礼
ご回答ありがとうございます。たいへん勉強になりました。 >冤罪の可能性については、死刑制度と分けて考えるべきでしょう。 私はそうは考えません。死刑執行後に冤罪が発覚すれば日本の司法は崩壊します。死刑制度は冤罪に対して取り返しのつかない結果をもたらします。 私は、死刑撤廃の理由を冤罪のみに求めるなら、死刑制度撤廃にもある程度は理解を示せます。冤罪をゼロにすることは事実上不可能でしょうから、死刑制度は成立し得ないという理論です。 しかし、実際の死刑撤廃の動きでは、奇麗事が並べられて何ら説得力がありません。ただ一つ、「冤罪だけは絶対にいけない!」と強く訴えるべきなのではないでしょうか。
- viva_chiru
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私は死刑廃止運動にわずかながら関わっています。その間に感じたことを述べさせていただきます。なお、議論をふっかけているわけでも、ケンカを売っているわけではありません。 死刑を廃止するべきと言う根拠はいくつかありますが、あえて論点をひとつに絞れば「人が人の命を奪う権利があるか」ということです。 死刑が適用される凶悪犯罪の多くは殺人に関わる罪状によるところが多いかと思いますが、殺人を犯した人間を社会正義の名の下に殺害することが本当に正当化できるものなのかという点が、私はどうしてもひっかかってしまいます。 言い換えれば、「自分は死刑執行人になれるのか」と、自問してしまいます。 多くの方から、「家族や愛する人が犯罪によって殺されても死刑反対を訴えるのか」「被害者の気持ちを考えたことがあるのか」としばしばお叱りをいただきますが、そのような反論は国家が人命を合法的に奪う装置を維持すること(=死刑制度の存置)の議論とは、質を異にするものと感じています。 国家が人命を奪うことを合法化する装置は、20世紀型の戦争と死刑制度であるのではないかと私は考えています。 もし、私が「家族や愛する人が殺されたらどうするのか」という感情面を汲んだ議論に応えるとするならば、死刑制度を廃止し、仇討ち免許制度を復活させるべきと考えます。現実的にはあまり相手にされないのですが、本質的に応えるとすればこれしかないと思っています。 そうでないと、国家を個人的感情を解消するための装置にするのは危険ではないのかと考えてしまいます。 なお、お答えにはなっていないかもしれませんが、1.凶悪犯罪の件数自体は年々減少傾向にあり、死刑制度があることによって犯罪抑止効果があることは実証的に証明されていないことと、2.死刑によって被害者感情が救済されると言う一般論は危険だということも申し添えたいと思います。 2.については、犯罪被害者給付金の充実などの社会的・経済的支援と、犯罪被害者が情報交換できる場の創出などの心理的・精神的支援を、社会的に充実するべきと考えています。犯罪被害者給付金制度も死刑制度存廃議論のなかから出てきたもので、死刑制度について議論することを通じて、犯罪被害者の方々のさまざまな支援策を考える機会が生まれる点も重視したいと思っています。 なお、長々書いてしまいましたが、これは死刑廃止に関わる一般論ではなく、私の意見ですので、その点はご理解ください。
お礼
たいへんご丁寧なご回答ありがとうございます。実際に運動に関わっておられるとのことで、勉強になりました。 >「人が人の命を奪う権利があるか」 人が人の命を奪う権利(私刑)を奪われた代わりに、国家にその権利を集中させたのが、近代国家の仕組みなのではないでしょうか。刑罰はあくまで「国が人の命を奪う権利があるか」ということだと思います。 そして、「国が人の命を奪う権利」はあると思います。もちろんここでいう『人』は凶悪犯罪者であって、そもそも「ヒト」と呼べるものではありませんが・・。 >「自分は死刑執行人になれるのか」 国権によって正式に認められれば問題なくなれます。 >20世紀型の戦争と死刑制度 私はそうは考えません。これまで近代国家は国家権力の暴走をいかに防ぐかということに腐心してきました。21世紀、国は次の段階に進むべきだと思うのです。つまり、これからは国家権力をうまく活用する制度づくりが求められると考えます。他人の命を面白半分に奪う凶悪犯に対して国家権力が断固たる刑罰を課すことこそが真の豊かな社会の実現に必要不可欠であると考えます。 >仇討ち免許制度 それこそ前近代へ逆戻りです。社会的弱者は泣き寝入りするしかありません。
- a-gamyl
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あくまで客観的にですが, 「社会が作り上げたシステムによって人が殺されてもよい」 という状態の社会と 「作り上げたシステムによって人が殺されることのない」 という状態の社会との比較では,後者の方がより近代化された社会状態だとは思います. 質問者様が挙げたいわゆる私刑に関してですが,言い換えれば, 「人間の感情によって人が殺されてもよい」 という状態であって,そういうことが許されることのない 「人間の感情によって人が殺さることが許されない」 状態に近づけていくことが,より近代化された考え方ではないでしょうか? 感情で考えると死刑というものは今後も続けてほしいとは思いますが,それとは別に死刑が与えられるような人間が発生するような,人間関係,社会状態をなんとか改善していくような方向に考えを進めていくことの方が,より重要な問題だとは思います. 簡単に思いついただけの意見ですが,参考までに..
お礼
ご回答ありがとうございます。 >後者の方がより近代化された社会状態 私はそうは考えません。犯罪を許さない社会こそ最も近代化された社会状態であると考えます。凶悪犯罪者に相応の刑罰を課すことができない社会は後退した社会であると思います。 >人間の感情によって人が殺されてもよい 刑罰は感情ではありません。凶悪犯罪者に死刑を課すことは論理必然的な結果であると考えます。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 >「江戸時代のように10両盗むと首が飛ぶ」 典型的な悪法ですね。死刑は、人命が奪われた場合以外には絶対に課すべきではないでしょう。