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私は死なない
死後の世界がないと仮定するなら、 私にとって私の死を自覚できないので 私にとって私の死は無いという結論になりました。 別な言い方をすれば私は死なないとも言えます。 他人から見た私の死ではなく、私から見た私の死のみが問題です。 理屈は合ってますよね?
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- essees
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No.56です。 >故にこんな見方もあるのではないかと私が私に回答を与えたんです。 >今回、それをお題にしたので死を否定しているわけじゃないのです。 あー、質問者さんはすでにご自身の回答をお持ちだったわけですね。 ならば、もう回答は出てるわけですから私が語るべきことはございません。 ただ、そうなると既に質問じゃないような気がしますが。 しかし、質問者さんがそのような倫理的態度をお持ちになることは大変結構なことだと感じます。 以後のご壮健をお祈りいたします。これにて本当に失礼いたします。
No.55です。 (そういえば わたしは質問して 回答が70件を超えたことがあったと思いますよ。まだまだいけそうです)。 電磁波の中でも 引力のごとく引き合うのは やはり 男女の関係です。そして やはり想像どおりにというべきか どういうわけかと言うべきでしょうか 女のほうが 断然 その力が強いです。わたしの経験からです。 イエスが《ガダラの悪魔憑きを治す》記事があります。 イエスが向こう岸のガダラ人の地方に着かれると、悪霊に取りつかれ た者が二人、墓場から出てイエスのところにやって来た。二人は非常に 狂暴で、だれもその辺りの道を通れないほどであった。 突然、彼らは叫んだ。 ――神の子、かまわないでくれ。まだ、その時ではないのにここ に来て、我々を苦しめるのか。 はるかかなたで多くの豚の群れがえさをあさっていた。 そこで、悪霊どもはイエスに、 ――我々を追い出すのなら、あの豚の中にやってくれ。 と願った。 イエスが、「行け」と言われると、悪霊どもは二人から出て、豚の中 に入った。すると、豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中 で死んだ。 (マタイ8:28-32) おそらく 二人の体から 放射線でも出ていて イエスの体にあたると (1)おどろいたことに どういうわけか 全部 吸収してしまった (2) 全部 はねかえって来て 自分たちの心理状態として どうしようもなく いらだって来た このいづれかが起こったのではないでしょうか。 《さて、ここに十二年間も出血の止まらない女がいた》と始まるもう一編の記事をも載せさせてください。 多くの医者にかかって、ひどく苦しめられ、全財産を使い果たしても 何の役にも立たず、ますます悪くなるだけであった。 イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの服に 触れた。 「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったか らである。 すると、すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体 に感じた。 イエスは、自分の内から力が出て行ったことに気づいて、群衆の中で 振り返り、 ――わたしの服に触れたのはだれか。 と言われた。 そこで、弟子たちは言った。 ――群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それ なのに、『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのです か。 しかし、イエスは、触れた者を見つけようと、辺りを見回しておられ た。 女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり、震えながら進 み出てひれ伏し、すべてをありのまま話した。イエスは言われた。 ――娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさ い。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。 (マルコ5:25-34) あれっ わたしは 欧米か!! いや 説教師か!!?? N極もS極も どんな色も 自由自在・・・かも。 死も 言うとすれば すでに 経験済みのような状態であったかも・・・。 《ヤイロの娘》の記事では その死んだ少女の手を取り 呼びかけて 《さあ 起きなさい》と言うと 娘は息を吹き返し すぐに起き上がったとあります。(ルカ8:40-56)――こうなると 脱線気味と言うべきでしょう。
お礼
新しいお客さんも来なくなったし、 ページも変わるのでそろそろ閉めたいんですが・・・・ 聖書の内容は物語を通じて何かを示唆しているんでしたっけ。 現代の人間に伝わるものは何でしょうね。 >娘よ、あなたの信仰があなたを救った。 この一文は気に入りました。 ご回答ありがとうございました。
- essees
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No.47です。もう書かないつもりでしたが、覗いてみたら補足までいただいているようで。 私の見過ごしでなければ補足がついてるのは私だけで、しかも2回… 私は質問者さんのおっしゃるところのカチンとくるタイプなんでしょうか。 まぁ、それは置いておくとして、せっかくなので逆にお聞きしたいのですが。 存在概念について ある試験に向けて勉強している人がいます。 不幸にしてその試験を受験することが叶わなかったとき、つまり試験を体験することが無かった場合、その試験はその人にとって存在しないのでしょうか。 もし、その人にとって存在しないとするならば、その人が試験に向けて何百時間と勉強してきたことはまったく指示対象をもたない行為だったのでしょうか。 理解概念について 犬を見たことがあるだけで、飼ったことも触ったことも無い人は犬を知っているのでしょうか、理解しているのでしょうか。 知っているから理解しているの境界はどのあたりに引けるのでしょうか。 とりあえず、質問者さんと私の概念観の違いについて確認したうえで回答をしてみようかと
お礼
この質問も50件の回答をいただいて、中盤からは文法的?な突込みが出てきました。 これに関してはいろんな意味で返す言葉がないです。 ただ、私自身は正直その部分に興味が無く、言ってみれば小説家に字が下手だと突っ込みいれてるみたいで『そこ~?』って感じです。 死について人それぞれ色々な考え方があり、文化や宗教、育った環境や経験に影響されると思います。 それはそれで結構で、自分の胸のうちにしまっておけば問題は無いのですが、やれ死んだらどうなる、死後の世界はあるのか、自殺したら地獄に落ちるのか・・・・等々、死への不安が分かりもしないことへの想像を掻き立てるのです。 もうそんなことに頭を使うのはいやだ、そんなに死が重荷になるなら何とかシンプルで分かりやすい納得のしかたはないだろうかと思うわけです。 もちろん私も死は怖いです。 故にこんな見方もあるのではないかと私が私に回答を与えたんです。 今回、それをお題にしたので死を否定しているわけじゃないのです。 おっしゃるとおり「知っている」と「理解した」の境界線はありません。 ただ、愛という言葉を辞書で引くのと、人を愛するということは違うというのは分かりますよね。 それくらいの理解度の落差が『死』にはあるんじゃないでしょうかという意味でした。 答えになっていますか?
補足
なぜ補足するのかって・・・・ うきゃー、今はいえない。
No.53です。 とうとう入り組んできましたね。 ★~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 向こうってどこですか? 他人や社会という意味ですか。 それでいじけちゃうって言う意味ですか? 迫害されたキリストはいじけちゃってたんですか? なるべく分かりやすくお願いします。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ うぅーん。 《向こう》とは 自分より先に生まれていた人びとすべてですから 親や《他人や社会からという意味です》。そうなると どうして わたしが 《それでいじけちゃう》と解釈されるのかが 分かりません。 もし そうだとすれば みんなが それぞれ 《いじけちゃ》っていると取ってください。 ★ 迫害されたキリストはいじけちゃってたんですか? ☆ うぅーん。空の思想にもとづけば 自分は いわば白紙でいることができると思うのです。その白紙の上に むしろ 《向こうから》 いろんな形態と内容の時間複合を輸出してきます。こちらが 貿易を望まなくても さみだれのように いろんな意識や欲望を 勝手に 搬入してきます。 (こんなことを言うと おかしいと思われるでしょうが 体から出す電磁波でそうするのが 一般です。この電磁力が 経験現実であることを 別の質問で知りました)。 よくわかりませんが――と言いますか 安易に簡単に言いのけても よくないとおそれますが―― キリスト・イエスは 白紙あるいは透明の意識体としてのように存在しており(=この場合です) 他からのコンプレックスは ひっきりなしに あたかも電磁波の飛び交うようにして やって来ていたと思います。 《いじけちゃっていた》人びとが この意識の排泄を 勝手に 人に向けて おこなうのです。もちろん 違法行為です。そこは わたしのこころの庭ですから 明らかに不法侵入なのです。 shift-2007さんとの対話は 軽妙に 少しづつ しゃれたことばで 進めなければいかんと思いました。やっとです。今回も まだ ぎこちないですか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 だいぶ分かりました。 「向こうからやってきた」を「俺が悪いんじゃない、あいつが、社会が悪いんだ」と解釈しました。 shift-2007もまだ若いなと許してください。 もちろんキリスト・イエスがどうだったかは分かりませんが、 自分を白紙に保つのは色(いろんな意識や欲望)の理解が必要なのじゃないだろうかと思いました。 ある意味、プラスとマイナス、N極とS極、のような関係で自分自身がそれを引き寄せている部分があるんじゃないでしょうか。 自分の側の理解が無ければ他人のそれも理解できないように思います。 自分のそれから自由になれば他人の色にも影響されなくなるかもと思います。
せっかく哲学カテゴリーに立てられたので カントをおすすめしておきます。 不可知論ですけど、要請という考えもあって面白いですよ。 結局、死後のことなんてわかんないから、無いってことで。 って立場と。 死後のことなんてわかんないけど、一応あるって事にしたほうがいいのかな って立場と。(これが要請) 不可知論にも色々有るんだなって思いますから。 唯物論者みたいにそんなもの分からないとかじゃなくて 絶対無い。って言えば話も早いんですが。
お礼
学問としての哲学は苦手なのですが、機会があったら読んでみたいと思います。 ご回答ありがとうございました。
No.52です。 ★ 他人から見た私の死ではなく、私から見た私の死のみが問題です。 ☆ こう前提すれば 《わたしは死なない》あるいは《わたしは 既に死んでいて しかも 日々 死んでいる》と言っていけばよいと考えます。 ★~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 自分にレッテルを貼らなければ他人と比べることもしなくて済むので、 劣等感や優越感から開放されるんじゃないでしょうか。 そういう話じゃ無いんですか? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ とうとう ここまで来ましたね。もう終わると思っていたのですが わたしも おまけやらを書き継いでしまって・・・。 たぶん このように表明される立ち場は 《中庸》とは違うように思われます。実際には 賢く振る舞われるでしょうけれど わるく言えば こうもりの立ち場ではないかと思います。 劣等感や優越感は 向こうから来る場合もあります。と言うより 生まれた時からの過程を思えば――そして 前世があるという条件を取り払うことができれば―― すべて 向こうからやってきています。それこそ 縁起の連関であって そういう歴史過程が基礎になっています。この時空間は 世の中として入り組み 混じり合っているからこそ さまざまな時間複合(コンプレックス)が生じているのだと思います。 言いかえると 誰かから そのようなコンプレックスが おまえにはあるのではないかと言われれば あるよと言っておけばよいのです。もともと こちらは 《中道》なのですから。《空にて諦観している(=事実を 明らかに見ている)》のですから。中庸とは そういうことではなかったですか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ちょっと?なんですが、 向こうってどこですか? 他人や社会という意味ですか。 それでいじけちゃうって言う意味ですか? 迫害されたキリストはいじけちゃってたんですか? なるべく分かりやすくお願いします。
死の問題で余録です。いちどご紹介しましょう。余録というのは 余計になるやも知れないですが。 タカマノハラ神話症候群という現象がある。 トヨアシハラの瑞穂のくにに住むわれらスサノヲ市民にとって 能天気でミーハーなる者は かからない病いである。 それは 自分が 神のごとくに いかなるものの下にも立つまいとして 天高く舞い上がるという《志》を持った大いなる悩みである。かれらは 人一倍の努力をするという症状を呈す。われらふつうの勤勉派にとっては 少々ことばが悪いが ガリ勉派であると称させてもらおう。 症候群の中で 主導的な地位にあるのは アメノミナカヌシに傾倒する場合である。これが いちばん 症状が重い。いわゆるシャーマニスムだと考えると分かり易い。 アメノミナカヌシの神というのは 世界の中心に位置している。位置しているのだが 何もしない神である。これが いちばん 統治にとっては有力だという思想なのである。 《不動の動者》となるのであって このあとの《動》は 動かす・動かしむというふうに 他動詞・使役動詞として捉えなければならない。要は 《不動》とは ゴルファーの名ではなく 《死ぬ》ことである。ここで 死の問題が出てくる。 いかなるものの下にも立たないが 天(アメノミナカヌシ)にのみは傾倒している。この天にみづからが憑依して――それが シャーマニスムであるが―― 身体を空気のようなものにする。そうすると いかなる欲望の刺激や いかなる驚きにも動じない心理の防御壁が出来上がる。ちなみに 占いもできるかも知れない。 空気のような身体にすると言ったが 身体を脱ぐのではない。これは 精神を脱ぎ人格を一たん捨てるのである。しかも これを 精神が行なうのである。精神が行なったというとき 人格の脱け殻は あらためて着ている。意志行為であることに違いないからである。(存在があり 歴史がある。その限りで生きている)。 知性が それでよいと判断した結果なのである。なぜなら そのとき 社会には 一般スサノヲ市民の中にも 自然教徒=アニミストが いるからである。かれらが シャーマ二ストたちの恰好の標的となる。 あとは 自然教徒=アニミストたちを ありがたいお言葉で説教し これによって一定の地位に就くなら 実際にかれらに利益を誘導することを怠らない。これによって 人びとや世の中を《動かす者》となって 君臨するという寸法である。 これも 死の問題である。いまや周知の事実である。言わずと知れたアマテラス物語である。 アマテラシテ( Amaterasity; Amaterasitaet; Amaterasite; amaterasutva; amaterasutaa )=象徴が 人間宣言したあとには スサノヲの中から アマテラス予備軍が出て こぞって このアマアガリ(出世)を果たすようになった。 実際問題として これらシャーマ二ストたちは 庶民である素朴なアニミストたちをこわがっている。なぜなら 後者は 心がさまよいながらも 自然感情を保持し それとして 生き生きとしているから。これが シャーマ二ストには こわい。どうしようもなく こわい。尊敬さえしているかも知れない。けれども そうして お互い 持ちつ持たれつであるようだ。 死と生の物語 ここで いちばん死んでいるのは どちらでもない中間の――《中庸》のではなく――生ぬるい感性と半端な知性をたずさえたわれらであるかも知れない。いや いやいや そうではない。 われらは ふつうの勤勉派にして 無力の有効なのである。うっふん。誇るのなら この弱さを誇ろう。 shift-2007さん どじゃ!!??
お礼
ご回答ありがとうございます。 自分にレッテルを貼らなければ他人と比べることもしなくて済むので、 劣等感や優越感から開放されるんじゃないでしょうか。 そういう話じゃ無いんですか?
- -226-baku-
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明けましておめでとうございますshift-2007さん。 以前、shift-2007さんの問いに 「おそらく死なないと思います」 というように答えたりしてますね、自分は。また、 「死が恐くて仕方ない」 なんて人にも、同じように答えたりしました。 というのもどうせいつかは肉体は滅ぶ、でもその 瞬間に死を自分が捉えるかなんてわかったものじゃないのに、 日常生活に支障をきたすほどに死にとらわれることはなのじゃないか、 という考えでした。 そう思わせる、想像させるものが正しく睡眠でした。 誰でもいつ眠るんだろう、睡眠の瞬間をとらえようといたことが あると思います。でも、気づいたときには起きている。 寝てしまった、いや寝てたらしい。 そうですね、 「寝むったことも無いんです」 なんて回答もしましたね。ただ安楽死というのは、二度と起きないように 眠らせる、って実際に医者(一部かもしれませんが)は考えてるようですよ。 また人生が、二度と止ることは無いバイクに乗ってるようなものだと すれば、(昨年の事故で話題になった人がいます)足が無くなったことに全く気づかなかったかもしれない(ま、事故の時止まってるんでしょうが)。こういうことは、自分の死を想像する時に似てるのかなーなんて思ったりもするんです。 ただ自分は輪廻転生もあるのかもと思ってます。肉体は 魂の器かも。角度を変えて考えると今は死後ですかね(笑)。 何れにしても、そう死にとらわれて生きる必要は無いのじゃ ないか、たとえ 「明日死にますよ」 と医者に宣告されても、悠然と受け止められるように生きたいですね。
お礼
明けましておめでとうございます。 いやー、なんか照れますね。 今度、肩でもお揉み致します。 私も死後の世界があったらいいなと思いますし、初詣にも行って、お願い事もして来ました。 回答者の方々にはぶっ飛ばされそうですが。 いろいろな角度から『死』を見てみると不謹慎ですが面白いですよね。 今回のお題も、こうゆう考え方も出来るという一例でした。 ひとつの考えにとらわれず、『中庸』でいきたいものですね。 ご回答ありがとうございました。
よく続いていますねェ・・・ だいぶ息切れ? わたしなんか単純に 「未だ生を知らず。焉んぞ死を知らんや」です。
お礼
終わらせてー それにしてもこの種のお題は盛り上がりますね。 あ、私の嫌いな言葉は、普通、常識、あたりまえです。 これを上から目線で言われるとカチンときます。 ご回答ありがとうございました。
- littlekiss
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こんばんは、shift-2007さん。 ANo.44へのお礼文を読みました。 ●生まれ変わったら猫になろうと思います。 ↑ との、ことなので、 生まれ変わったら… 記憶は? こころもとないことでしょう 参考までに書き置いときます。.....φ(.. ) メモメモ 『 猫語の教科書 』(ちくま文庫) (文庫) ポール ギャリコ (著), Paul Gallico (原著), 灰島 かり (翻訳), スザンヌ サース http://www.amazon.co.jp/%E7%8C%AB%E8%AA%9E%E3%81%AE%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%AB-%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%AA%E3%82%B3/dp/4480034404/ref=pd_sim_b_img_2 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url/503-1946623-3857564?%5Fencoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E3%82%A2%E3%82%AD%E3%83%95%20%E3%83%94%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%81 【IT Spiral】 http://it-spiral.ist.osaka-u.ac.jp/project/network.html
お礼
にゃー
お礼
私は学問としての哲学にはほとんど興味がないので、カントやデカルトが何を言ったかも興味ないのです。 それゆえいつも質問者は私自身で、回答者も私です。 皆さんを巻き込んだ一人QAを楽しんでいるのかもしれません。 お付き合いいただきありがとうございました。
補足
人の人格は何枚も重なった薄切りハムのようなものじゃないでしょうか。 隣り合ったハム同士はほとんど同じだが微妙に違う。 それがたくさん並ぶと、端と端では同じ人物なのかと疑うほどです。 このQAを通してesseesさんからはどんなshift-2007が見えたんでしょう。