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年越し蕎麦

私はブログを書いていますが 昨日、同じブログを書いている あるグラビアアイドルのブログを見ていたら 「何故、年越し蕎麦なの?うどんじゃ駄目なの?」 という質問が書かれていました 31件のコメントがありましたが どれも「長く健康で…」って意見だけで 何故「うどん」ではなく「蕎麦」なのかを書いている人はいませんでした 私自身もわかりません 何故「蕎麦」なのか 知っている方いたら教えて下さい

質問者が選んだベストアンサー

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  • kishn_an
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回答No.4

今では、晦日と言うと年末の大晦日しかいいませんが、旧暦では毎月の月末日のことを晦日(みそか)といっていました。 江戸の商家では毎月の月末日は棚卸しや集金で忙しかったので、労をねぎらって蕎麦の出前をとる習慣があったそうです。 なぜそばかというと、江戸には蕎麦屋が多かったので近くの食い物屋に出前を頼むということになると自然と蕎麦ということになったということでしょう。 太陽暦になって、毎月の晦日もなくなり月末日に出前を取る習慣も廃れたのですが、大晦日だけは、そばでなくっちゃということになったらしいです。

その他の回答 (5)

  • fumkum
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回答No.6

No5です。金座という話と、金細工師という話の2種類があったと記憶しています。以上補足まで。

  • fumkum
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回答No.5

江戸時代に金貨を作っていた金座で、飛び散った金粉をそばの粉を団子状にしたものにつけて集めたのを、金を集めるとの縁起を担ぎ、年越しにそばを食べる習慣になったと聞きました。細く長く生きるとの意味もあるとか。

回答No.3

いや何で蕎麦なんでしょうね。 わたしは、スパゲッティもイタソバといって食べてますので まあ中華そばもふくめて細くて長いもんは「そば」が代表 なのかと思います。 下記URLは、その蕎麦をいつ食べるかという問題についてです。 http://matsuri.site.ne.jp/taro/taro65.htm

  • gumbosoup
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回答No.2

定かではありませんが、確か”年越し蕎麦”と言う風習が広まったのは江戸時代で、発祥も江戸では無かったかと思われます。 真っ先に考えられるのは、江戸では蕎麦は今で言うところのハンバーガーやラーメンのようなファーストフードであった事(つまり手軽に作れて何処でも売っている)。 現代と違って炊事が大変な時代だったので、「せめて大晦日位は楽に作れて片付けも簡単な」蕎麦になったのではないかと。 うどんや別の食材を使う地方もあるようですが、蕎麦の事が多いのはやはり”発祥の地”である江戸の風習から広まったせいではないかと私は考えていますが。 後考えられるのは、蕎麦が痩せた土地でも育つ作物だった事。 香川のうどんのようにその土地に特化した作物があるのなら、それを代用する事も充分に考えられますが、そうでないあまり豊かでない土地では蕎麦の方が栽培し易かったようです。 意外にも日本全国を見ると名産品が蕎麦、と言うところは非常に多いです。 なので代用品を使うまでも無く、流行に合わせて蕎麦と言う形で広まったのではないかな、と思うのですが・・・・いかんせんこれは想像の域を出ていません(笑)専門家の意見を仰ぎたいですねw

  • nori21st
  • ベストアンサー率15% (134/862)
回答No.1

多くの由来があることから決まった理由はないと思います。 年越しうどんの地域もあるみたいですし。 蕎麦だと様々な理由付けができるから風習として生き残ったとか?

参考URL:
http://www.maruwayushi.com/information/syoku/rensai_038.html