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理系として失格?

以前、数学ができないということで思い悩み、質問させていただきました。 http://okwave.jp/qa3493197.html 最近になって、自分はやはり理系の頭ではないと思うようになってきました。 数学の問題を解いたりすることが普段あるわけではありませんし、数学・物理学が研究のメインテーマではありません。 ですが、数学・物理学に関する式を見ても、その式の意味を頭の中でイメージできないことがしばしばあり、このままではまずいのではと感じています。 そもそも、理系に必要な「センス」がないような気がしてならないのです。 私は大学時代は理系の学部でした。 その大学にはセンター入試で合格したのですが、合格したのは理系科目ができたためではありません。 数学・物理学ができないにもかかわらず理系学部に入学してしまったのです(なお、高校時代は物理は未履修です)。 大学時代にはなんとかなるだろうと思っていたのですが、結局理系的センスが養われることはありませんでした。 そのまま他大の大学院に進学したのですが、高校・大学時代のツケがまわってきたのか現在いろいろと行き詰ってしまっています。 今の状況を悲観していても仕方がないですし、ともかく何かに取り組むしかないということはわかります。 「『慣れ』が足りない」というアドバイスを受けたこともあります。 ですが、周囲の学生と自分の状況を比較すると規定の年数で修了できないのではないかとかなり不安です。 私と同じような経験をされた方や、文系から理系の大学・大学院に進学したことがある方がいらっしゃいましたら、苦境の切り抜け方、学生時代の過ごし方について何かアドバイスしていただけませんでしょうか? また、大学・大学院で取り扱う数学・物理学に理系的な「センス」はやはり必要でしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.9

「周囲にわからない部分を聞ける人は実質ほとんどいません」この部分については甘いと思います。いないならば、ここでどんどん聞いて下さい。私の質問履歴を見れば分かると思いますが、電子回路のことをばんばん聞いています。会社では周囲の人は忙しくて相手にしてくれない場合もあるのでここで聞くんです。世の中その道のプロがいるもので素晴らしい回答が返ってくることが多々あります。ここで聞くのも嫌だ、周囲には聞ける人はいない、好きかどうか分からないではあまりに態度が真摯でないように感じてしまいます。私はどうしても知りたいことは恥をかいてでも知りたいので「聞くは一時の恥 聞かぬは一生の恥」と思ってばんばん自分をさらけ出しています。また、勉強に限らず、どんなことであっても話の中で自分の知らないことが出てきたら絶対に知ったかぶりはしません。例えば、私は全く車に詳しくないですが、周囲には車に詳しい人が多数いてそういう話題になった時はかれらの使っている専門用語が何を意味するのか聞ける状況であれば聞きます。知らないのにうなづいたりしません。それは聞く立場として相手に失礼だと思うからです。会話はキャッチボールです。こちらが何を意図しているのか、分からないことがあるのならば何がどう分からないのか明確にする必要がありますし、相手が何を答えて欲しいのかきちんと理解して、相手に納得してもらえるような回答をするよう心がけています。あなたの場合どんな理系の学問がどう分からないのか何もかかれていないので答えることが難しいです。この時点で理系的なものの考え方ではないなと感じてしまいます。本当にピンチを感じているのならば誰が何と言おうと自分の信念を貫いて物事を行うべきだと思います。説教じみた内容になってしまいましたが、要は言いたいことははっきり言ってはどうですか?ということです。この文章であなたが不快に思われたら申し訳ございません。こちらはあなたに対して喧嘩を売っているわけでも何でもありません。この質問の回答を見てそう思っただけのことです。何でもはっきり言う日本人は少ないですが、そんな日本人がいてもいいと私は思うのです。

korochama
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 実を申しますと、以前に数学などでわからないことがあり質問させていただいたのですが、回答を見てもやはりよくわからず、基本的な能力がないかセンスがないかのどちらかだと思っていたのですが、それ以前に 私の質問の仕方に問題があったようですね。 今思うと、今回の質問も含めて自分の中でうまく整理がついていない状態で質問をしてしまったような気がします。 おっしゃる通り、こうした無計画な行動をとっている時点で理系ではないですし、こうした質問文も理系の人間が書くものではないですね。 私は筋道を立てて物事を考えること、物事を的確にとらえること、多くのものを一つにまとめること、要点をうまく人に伝えること、が昔からどうしても苦手で、日常生活はもとより、こうした提示版においても様々な方にご迷惑をかけてしまうところがあります。 自分でも年相応のコミュニケーション能力が備わっていないとは思っていましたが、時間をかけて何度も修正できる筆談形式をとった場合ですらこのありさまです。 私の質問や回答で気分を害された方、大変申し訳ございません。 並びに、私の質問や回答に対してアドバイスをしてくださった回答者様、ありがとうございます。 これまで自分はなんとなく理系だと思ってきましたが、やはり理系ではないようですし、どうも直りそうにないですね。 これまで回答してくださった皆様、本当にありがとうございました。

その他の回答 (8)

回答No.8

化学、物理学系の大学→電子回路関係の会社に就職した者です。 中学、高校の成績は優秀なほうでした。 大学も偏差値60以上の大学です。 大学では有機、無機、熱力学その他の電子回路にほとんど関係のない理系の学問を学びました。 そして今は大学で得た知識とはまったく無関係な電子回路関係の仕事をしています。 初めは電子回路が全く理解できず、周りの人のように回路図が読めたらなあともどかしく感じていました。 それほど多くの時間を費やして回路の勉強をしたわけではありませんが、電子回路系の仕事を始めてから1年半後くらいから雪だるま式に回路図が分かり始めました。 どうして分かるようになったのか?それは分からない部分を分かる人に自分が理解できるまでとことん聞いたことです。 もちろん分かりたいという強い意志があったからに他なりません。 もともと数学、物理学がとても好きだったことも影響していると思います。 「センス」が必要か? 私は「センス」よりやっていて楽しいかどうかだと思います。 「好きこそ物の上手なれ」ということわざがある通り、私は理系の学問とりわけ物理学が好きだったので電子回路も楽しんで勉強することができました。分かり始めると益々楽しくなっていき益々奥深いところまで調べて学ぶようになりました。周囲からもこの一年で一番成長したなと言われるまでになりました。 つまり、「好き」かどうかです。「嫌い」であればどんなにがんばっても分かるようにはならないと思います。 私は国語が大嫌いでした。ですが、必死に勉強し続けました。結果分かるようになったかというと、高校の成績は全然上がりませんでした。 いくら勉強しても古文や小説が解けるようにはなりませんでした。 勉強していて楽しいと感じたことは一度もありません。 以上のことからあなたが現在学んでいる学問を楽しんですることができるならばどこまででも上達することが可能でしょう。 逆に楽しくなければどんなにがんばっても周囲のようにはなれないと思います。以上ご参考までに。

korochama
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「好きかどうか」 実際のところ、それほど好きではないような気がしています。 必要だから仕方なくやる、といった感じでしょうか。 数学については、好きだと思ったこともありますが、嫌いだと思ったこともあります。 なお、周囲にわからない部分を聞ける人は実質ほとんどいません。 自分は何が好きなのか、ということがいまだによくわかりません。 一時的に好きだと思って何かを勉強したことはあります。 それが功を奏したのか、好評価を得たこともあります。 ですが、今になって考えてみると、それが好きだったとはいえないです。 ちなみに、勉強以外で小さな時から親しんでいる趣味などはありますが、実生活において役に立つことではないですし、むしろマイナスにとられるようなことです。 ですが、それは好きな方だと思います。 そういえば「好きこそ物の上手なれ」ということわざがありましたね。 私の場合、自分の本心に嘘をついてでも「好きだ」という暗示を自分自身にかける必要があるのかもしれません。

回答No.7

物理科の大学院にいる女から言わせてもらいます。 理系のセンス、が何であるか私には分かりません。 私は問題を解くのはヘタで、また現象に対する理解も遅い方でした。 それ故多くの時間を図書室で過ごしていました。 今大学院で非平衡現象に取り組んでいますが、そこでやっていけているのは多くの問題を解き、多くの本を読んだ結果だと思っています。 理系の先生方は自ら教える事はしません。指導はしますが。彼らも研究者です。 彼らの授業は教科書の目次を読んでいるだけで中身は自分たちで勉強するしかないのです。 そうして自ら勉強していく中で理系でやっていく為のスキルが培われていくのではないでしょうか。 私はセンスよりスキルの方が大切だと思います。

korochama
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 おっしゃる通り、先生から直接いろいろ教えてもらったことはないですね。 私自身、大学の時からある程度独学に走るところがあり、大学時代はなんとかなったのですが、現在はそうした手法が通用しない気がしてしまっているのです。 センスよりスキル・・。 私自身まだまだ努力不足ですね。

回答No.6

自分は現在大学3年生ですが,まず理系であるために物理や数学,化学がマルチに良く出来る必要はないかと思いますよ? 自分は化学が大嫌いな車好きという理由で大学では車体運動制御を勉強していますが,ハッキリ言ってイメージできない公式や数式は山ほどあります.自分に必要とされている科目を必要なぶんだけ勉強するしかないかと思いますけど,『俺,物理センスあるわ~』などと思ったことは一度もありませんね. 好きだから,興味あるからその先が知りたい!!という感じで勉強するしかないですよ. 自分は高校時代物理の偏差値が35でしたが夏休み頑張って60まで上げたので,必要になった場合イヤでも勉強しなくてはいけません. 大学院に進学されるほどの頭があるのでしたら自分の努力次第で何とでも出来ると思います.物理や化学なら高校生向けの初級問題集もありますし,大学の教科書からでも勉強出来ますんで,まずは簡単な問題集から取り組まれてみてはいかがでしょうか?? くれぐれも自分は『センス』ある人間ではありません.笑

korochama
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 おっしゃる通り、必要な箇所だけ勉強すればいいのかもしれませんね。 高校生・大学生向けの参考書で図や挿絵がたくさん使用されているものがありますよね。 独学の際にはそうした本で勉強しています。 時々、大学の教授が書くような本も見ることがありますが、どうもアレルギーがあるようです・・。

noname#221368
noname#221368
回答No.5

>数学・物理学ができないにもかかわらず理系学部に入学してしまったのです(なお、高校時代は物理は未履修です)  私はあなたと逆でした。といっても理系学部に入学したのですが、センター試験などを考慮すると、語学・社会系の科目が、文系でも理系でも合格不可能と思えるくらいに駄目でした。それが運良く(?)理系に入ってしまった・・・。 >大学時代にはなんとかなるだろうと思っていた・・・  なんとかはなりませんでした。第一・第二外国語で惨々な目に合いました。特に学部の最後の2年間は、語学を履修できなければ、放校になるところまで追い詰められました。というわけで、最後の2年間は週15コマほど、英語と独語の講義を(それらだけを)持っていて、その2年間は、4年間+αの2年間というわけです。  ところがそのとき、再々々々履修の独語の成績さえも、最終的には良評価でした。2年間語学漬けになった結論としては、「やりゃ~できたのか」というものです。ここで「今まではやってなかっただけだった」と言うつもりはありませんが、どんなに不得意なものでも、時間さえかければ「できない事はない」とは思えます。  その後会社員となりましたが、そこでは毛色の違う仕事を、5業務くらい同時にやらされました。そのとき思ったのが、個々の業務の精度が次第に下がっていく、というものです。この状況は、 >私の専攻は学際的な分野です という、いまのあなたの状況に似ている気がします。+αだった2年間と、個々の分野に時間を集中できない事を考え合わせると・・・。  専門家は決して、見た瞬間に数式を理解してはいないと、私は思っています。設定状況を集中的に考える事で、与えられた数式を再導出していると思えます。そのような事が出来ないときには、広い意味での処世術が必要と思えます。  考える必要のない「公式」または「呪文」は、設定状況のどの部分か?。どの部分を限られた時間内で集中的に考え理解すべきか?、を見分ける能力です。  また実現は難しいですが、自分の座標を持つ事も大事だと思えます。これだけは完全に理解していると思える分野が、一つある事です。これがあれば、別の領域もその領域に「翻訳」して、ある程度は理解時間を短縮できます。 >「ハミルトニアンは、悟るしかないんだね」 は言い当て妙ですが、堀先生は、天文学におけるハミルトニアンの役割や意味は、完璧に理解されているはずです。でなければ使えません。  「悟る」しかない部分は、古典力学,ラグラジアン,ハミルトニアン,力学系,ルジャンドル変換,余接バンドルなどを並べて見たときの、その数学的意味や動機付けの部分と思われます。  後者は、考える必要のない「公式」または「呪文」の部分です。ですが、天文学におけるハミルトニアンの役割や意味は、天文学を行う上で、理解すべき部分と思えます。  以上の漠然とした分類を技術的に行える事が、研究や勉強の重要な側面の一つ(処世術)だと思えます。

korochama
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 皆様の回答を読んでいて気づいたことは、大学まで「答えが最初から決まっているもの」「答えが一つしかないもの」「人から与えられたもの」にしか取り組んでこなかったということです。 私の場合、今なおそうした受動的な取り組みすらきちんとできていません。 このような状態で「答えがあるのかないのかわからないもの」に取り組むことは困難なのですね。 本来であれば、そうした物事の方が多いにも関わらずこの年になるまでそれに気付かなかった他、意識的にそうした物事から目をそらしていました。 もしかすると大学院を修了できないかもしれませんが、ここでいろいろと自分の考えていることを多くの方に聞いていただいた上、回答までしていただいていることは意味があることでしょうし、私自身本当に感謝しています。

noname#69788
noname#69788
回答No.4

式を図形的に理解できないのであれば解析幾何学の勉強をお勧めします。

korochama
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうした勉強もしたいのですが、私にはあまり時間がありません。 そもそも、今になって悩んでいる時点でだめなのかもしれませんね。

回答No.3

 う~~ん、結論から言うと、悩んでいる割には考え方(分析)が大雑把すぎるように思います。  まず、理系、文系と大きなくくりでグループ分けして、自分はセンスがあるかないか、どうしたらいいかというのは、乱暴すぎる気がします。  少なくとも、話から行けば、センスがあるかないかは別にして、平均よりかなり数学力が有るように思います。  ただ、貴方が何をしたいか、何を目指しているかによって、その数学力で足りるか足らないかが決まります。  一言で理系と言っても、幅が広いですし、高等な数学を使わないものはたくさん有ります。  専門が数学・物理学では無いと言うことなので、それほど高度な数学力は要らないと思いますが? 専門は何ですか?  高校程度の数学力があれば、専門分野の公式をある程度理解すれば事足りますし、理解していないでうまくやっている人も山のようにいます。  もう一つ、数学力に非常にこだわっていますが、その理由が良くわかりません。他は、大丈夫ですか? 全てを数学力のせいにしていませんか?    大切なのは、センスと言うより(これをセンスと言うのかもしれませんが)、理系的考え方をできるかということと数学、物理、化学などが好きかということだと思います。嫌いなものは身につきません。  理系的考えと言うのは、物事を理論的に考えるかどうかと言うことです。物事には原因と結果があるわけですが、結果だけにとらわれるのではなく、何故そうなったのかと言うようなことを分析したり、ある結果を得るためにはどうしないといけないかと言うことを順序だてて考えるとかです。  今から大きな軌道修正は難しいかもしれませんが、自分の興味のあることや(もし数学が苦手でやりたくないのなら)数学をあまり使わない業種を目指した方が良いかもしれません。  単に、大学の単位のことを気にしているだけなら、試験に出そうなところを重点的に覚える(あまり考えることは不要)ことに専念すれば良いと思います。

korochama
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 専門について詳しく述べることはここではできないのですが、私の専攻は学際的な分野です。ある問題に関する研究をする上で物理学の知識が必要というだけです。おっしゃる通り、数学・物理学のみを把握していればいいというものではありません。 実は、「なかなかうまく理解できない」という旨を指導教官の先生に相談した時、「すべてを完全に理解する必要はない」とアドバイスを受けたことがあります。 ですが、私自身「私に必要な部分」と「そうでない部分」がよくわかっていません。 悩んでいても仕方がないのかもしれませんね。

  • harepanda
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回答No.2

文系の者ですが、物理は嫌いではありません。 物理の本を読んでいて楽しいと思うことはあるのですが、文系の数学ですので、特殊相対性理論までしか、本当には理解できません。 一般論として言えば、中学生が二次元方程式から、それが示す平面図形を想像できるのと同じように、4次元方程式から、それが示す図形を想像できるセンスがないと、一般相対性理論を実用的に使いこなすことは出来ませんよね。計算が得意なだけでなく、その式がどのような図形を現しているのか想像する能力がないと、現代物理学は、かなり厳しいと思います。 「センス」とは才能ではなく、鍛えられるものだと思います。文系の高校生でも、東大などトップクラスの大学に受かる人は、3次元方程式から、それが示す立体図形を想像する能力があるんですよ。そりゃ、超ひも理論みたいに11元方程式とかが出てきたら問題外ですが、4次元までは自信をもって勉強を進めれば、なんとかなると思います。センスが足りないというより、慣れが足りないという言い方のほうが正しいと思います。

korochama
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 特殊相対性理論を理解していらっしゃるのですね。 私の専攻している分野とは全く関係ないですが、私にはそこまで理解できそうにありません・・。 数式を図形的に理解する。 私にはそれができないのです。 受験勉強をしていた時にも数式を暗記してそれを問題の中でどのように使うかということしかしていませんでした。 というより、図形的に数式をとらえるという発想が当時はできませんでした。 そのせいもあってか、受験結果も振るわずに終わってしまいました・・。 普通の人がやってきたことを大学卒業後にやろうとしている時点で既にダメなのでしょうが、やはり慣れが足りないという結論に落ち着きそうですね。

  • A-Tanaka
  • ベストアンサー率44% (88/196)
回答No.1

こんばんは。 かなり悩んでいらっしゃるようですね。 >また、大学・大学院で取り扱う数学・物理学に理系的な「センス」はやはり必要でしょうか? 確かに、天才的な仕事をするためには必要のようですが、果たしてすべてが天才の所業なのでしょうか? アルバート・エジソンは、こういいました「天才は99%の汗と、1%の霊感である」。つまり、数式に対する「慣れ」というより、「どれだけ沢山の問題にあたったのか?」というところに帰結します。 せっかく大学院まで進学されたのならば、諦めずにやってみることです。林忠四郎氏という有名な天文学者の方や堀先生というこれまた、有名な天文学者が言いました。「ハミルトニアンは、悟るしかないんだね」と。 私も、少しばかり数学や物理の教科書を眺めながら思いました。とりあえず、問題を全部解いてみよう。そこから、はじめるしかないような気がいたします。 まずは、やってみることです。出来ることをこつこつと・・。長い人生です。文系に転部しても、また最初からやり直しです。だったら、最後までやってみてください。

korochama
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「ハミルトニアン」というものがわからなかったので調べてみたのですが、案の定解説に数式が使用されていました。 私が悩んでいるのは、ある現象などを「数式で書くとこう表わされる」と説明された時にそれがすっきりと理解できないことです。 それゆえ、複雑な数式を理解するにはセンスが必要なのではないかと思ってしまうのです。 ですが、有名な学者の方が「悟るしかない」とおっしゃっているのであれば、私の数式理解に対するアプローチが間違っているのかもしれませんね。

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