#3です、まだ見られているならと思い追記します。
「お金」は大切なものですから、信仰する神様に身銭を切って、
賽銭として自分の気持ちを表しているという行為になります。
お参りをしたからといって、別に賽銭を必ず支払う必要もないと
考えており、信仰する神様に感謝する気持ちが重要と考えます。
境内の掃除を手伝ったり、弱者を手助けするでもいいと思う。
それが簡単にはできないから、賽銭という簡単な方法を選んで
いるのだと解釈しています。(専門家や宗教家ではないので、
間違っているかも知れませんので注意して下さい)
そういう意味で「賽銭をお供え」しているのであれば、
(何も考えずに)投げ入れるのは失礼になるという考え方です。
混雑して仕方がなく、「申し訳ない」と感じている・いない
では全然違うという意味で書いたつもりです。
「誰に対して」とは神社に祭られているものに対してです。
それが何かというのは信仰であり、場合によっては宗教です。
(それを分かり易く、「神様」といっています)
それを信じている人は「必要」としています。その行為も
「良かれ」と考えているので、そのような状態において意見を
したところで理解もされ難いとは思います。
(これは「信仰がいい」とも「悪い」とも断定はしていません)
そういう意味合いがあって、「昨年も無事に過ごせました、
ありがとうございました。今年も見守って下さい」という
ご報告に行きます...なので、信仰がないなら単純な年越し
イベントであり、詣でる必要もなければ祈る必要もありません。
素人ながらに書き過ぎましたが、最後に...
「誰かを助けたい」と思う気持ちは、とてもいいことだと思います。
でも、その人は本当に困っているのかは判断が難しいです。
貧しそうな人でもその原因は「自分の怠慢(仕事をしない)」で
あったり、場合によっては「悪い人(犯罪者)」の可能性もあります。
分かり易く書くと、路上で困っているような素振りをして、
裏路地ではそのお金でお酒を飲んでいるだけかも知れません。
海外援助で助かった人が、実は人を殺めている可能性もあります。
そう考えると人助けって、すごく難しい行為なんですね。
お礼
こんにちは。お返事をありがとうございます。”信仰する神様に感謝する気持ちが重要”←そうですよね。それが簡単なお賽銭を入れる行為=感謝としてお正月に行う人も大勢いるのかもしれませんね。”神社に祭られているものに対してです”←なるほど・・・神社やお寺などの建物には神様はいないと思うのですがこれは私の考えなので深く追求しないで下さいね。そして、困っている人に関してですが、本当に難しいですね。だから直接ではなくてボランティア団体などを介して寄付などをしますが、それでも以前流行った○○○○リングみたいに寄付金額が含まれていない物を売ったりする団体もあり助けたい気持ちを利用する人達もいて難しいですね。二度もお返事をいただきありがとうございました。皆様のお返事から感謝の形としてお賽銭を入れに行く・毎年のイベントだから・お願いする気持ちの後押しの為とそれぞれですが神様を思い出し感謝する人がお正月に増えるんだなとほんの少し解りました。そしてお金ではなくて、気持ちだという事、4番さんのおっしゃる通り一年を通じて感謝の気持ちが持てる様になるとすばらしいでしょうね。