• ベストアンサー

南北朝時代には、「メートル」ってどういっていたの?

距離を表す「メートル」という単位の言葉がありますよね。 そこで質問なのですが、日本の南北朝時代(西暦1340年ごろに限定する)には、この「メートル」のことを、なんといっていたのですか? 例えば、「百メートル」だったら、どういうのでしょうか? おそらくなにかしらの漢字があったのだと思うのですが、よくわかりません。 誰か教えて頂けないでしょうか。 どうか宜しくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#58692
noname#58692
回答No.3

1間が1.8mですから http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BA%E8%B2%AB%E6%B3%95 100mだと55間といっていたんでしょう。 蛇足ですが、アルプス一万尺は3000m 三十三間堂は60mのお堂っちゅうことですね。(笑)

water5
質問者

お礼

返信、ありがとうございます。 >100mだと >55間といっていたんでしょう。 「間」という漢字は、なんと読むのですか? 「かん」? それとも「げん」? ん、「けん」? どうか教えて下さい。

その他の回答 (6)

回答No.7

横から訂正を。三十三間堂の「間」は柱の間が33あるということで1,8mと関係ございません。13間の兜とは筋の」間があ3あるという計上です。横からごめんなさい。

water5
質問者

お礼

補足、よく分かりました。 さらに色々と調べてみたいと思います。 本当に、ありがとうございました。

回答No.6

江戸時代からある旧街道の道標の石には「丁」という単位が多く彫られています。寺の参詣道に「右 ○○寺 十丁」などのように。 「一丁」=約109m ですので、「ほぼ百メートル」だと考えていいです。 ややこしいことに、10進法でなく、 「一里」=「三十六丁」=約3900m でした。 但し、江戸時代と南北朝時代で同じかどうかは、もっと確認しないとわかりません。

water5
質問者

お礼

結構、ややこしいんですね。 とっても勉強になりました。 返信、どうもありがとうございました。

noname#57571
noname#57571
回答No.5

なぜ西暦1340年頃に限定するのか分かりませんが、当時は国内がかなり乱れていたので、尺貫法も統一基準がないに等しい状況だったと思います。一応下記を参照してください。ただしこれは、明治時代に決められた基準(1尺 = 10/33メートル)です。 度量衡換算表 http://homepage1.nifty.com/~petronius/kana/doryaukau.html

water5
質問者

お礼

上記のサイト、参考にしてみます。 ご親切、どうもありがとうございました。

  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.4

吉川弘文館から「日本の時代史」というシリーズ本がでている のですが、その最終巻からその前の巻(30か29巻)に詳しく出 ています。いま別宅なので詳しい情報をお伝えできませんが、 お読みになると大変ためになると思います。

water5
質問者

お礼

図書館で借りて、読んでみます。 ありがとうございました。

回答No.2

尺間(貫:重さの場合)を使っていたのでは? 何間(なんげん)とか百尺(ひゃくしゃく)とか でも南北朝時代で有ったかどうか定かではありません。 少なくともメートルは使っていません。

water5
質問者

お礼

早速の返信、ありがとうございます。 >尺間(貫:重さの場合)を使っていたのでは? >何間(なんげん)とか百尺(ひゃくしゃく)とか 西暦1340年ごろのいいかたが知りたいです。 「百メートル」を南北朝時代のころには、どういっていたんでしょうかね? 誰か、この難しい質問に答えられる人はいないでしょうか?

  • bari_saku
  • ベストアンサー率17% (1827/10268)
回答No.1

メートル法は、18世紀末(1790年)にフランスで使用が決議されました。 よって南北朝時代には絶対にメートル法を表す漢字は存在しません。

water5
質問者

お礼

返信、ありがとうございます。 >南北朝時代には絶対にメートル法を >表す漢字は存在しません。 そうなんですよね。 それは分かっていたんですが……。 「百メートル」のいいかたを知りたいんです。 もし分かれば、教えて下さい。

関連するQ&A