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『勤労は美徳』という考え方についてです。
こんにちは。こちらで初めて質問させていただく者です。 現在、労働について研究しているのですが、 かつての中世ヨーロッパでは、労働は奴隷のする卑しいものとされていました。 そして貴族はいかに自分の手を汚さないか、労働しないかが美徳とされていました。 ですが、現在ではそれらが逆転し、懸命に働くことこそ美徳であり、 働かない者(最小限しか働かないフリーターやニート)は、軽蔑、批判の対象となっております。 このように価値観が転じた大きなきっかけは一体何なのでしょうか? また、なぜ現在では、働かない者が蔑まれるのでしょうか? (この価値観の変容は、蔑みを正当化するほどのものなのでしょうか?) 気分を害された方がおられましたら申し訳ありません。 拙い文章で恐縮ですが、よろしくお願い致します。
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ニートと貴族を同列に論ずるのは、余りに馬鹿馬鹿しいでしょう。 自分の財産によって働かずに済む特権階級と、 親の収入に頼って働かないニートでは、 全然、意味合いも違うし、比較にならない。 日本のニートで問題になってるのは、親も中流程度の収入しかない上に、 親の食いつぶすような生活をしている点にあります。 またフリーターを最小限しか働かない、というのは事実誤認もいいところです。 フリーターは人並み以上に働かなきゃ食っていけませんよ。 むしろ正社員以上に働いている人が多いでしょう。ワーキングプアの時代ですよ。 実社会を知らない、幼い質問者かもしれませんが、 フリーターは昇給などで格差があるという点も加味して厳しい世界ですよ。 (働かないフリーターはただのプータロウ) それから労働が忌み嫌われたなどいうことは、ありません。 中世ヨーロッパにおいては、勤労と清貧が美徳とされました。 よほどの大領主でもないかぎり、一般的な貴族は同時に農業などに従事しており、 中世において働かない人は極めて稀です。 封建社会は、集団共同体なので、全ての人に役割があり、子供から老人まで働いていました。 価値判断の変化という意味では、後のウェーバーの著書の プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神に見られるように、 近世に入ってくる頃に、清貧ではなく、労働とその成果である富と繁栄を容認するようになって、 がんばって金持ちになることはいいことであり、 貧しいことは怠惰の現れであるという考え方が生まれたとされます。 しかしこれは働く働かないの問題ではなくて、 当時はどっちにしろ働かなくてはいけないわけで、 働く上で成功者と失敗者をわけて、成功/つまりは営利主義を奨励する内容です。 よって現在では、働かないものが蔑まれるというより、 そもそも働かないで生活できる(と思い込んでいる)人がいる現代日本ってのは単に異常であり、 幼稚なのであって、 ニートが単に先の見えない生活を好んで、馬鹿な親もそれを放任しているというのに過ぎません。 ニートはそのまま放置されていれば、明らかにホームレスになるのは当然です。 親はいずれ死にますからね。 ホームレス予備軍であるからこそ、ニートは社会問題化しているのであって、 これを社会保障で生活保護するようになると、関係ない勤労世帯の負担になるというのが問題なわけです。 大金持ちが働かなくても、羨ましがりこそすれ、 (よほど厳格なプロテスタントや原理主義者で無い限り)軽蔑したりはしないでしょう。 しかし働かないというよりも、大人になっても親に甘えてているってところが、 ニートが恥知らずな連中だと思われている主なポイントでしょうし、 そもそも働くということは実社会のなかで生活するということであり、 社会の一員となるということです。 社会つまり共同体は一員とならない存在を自衛の観点から敵視するわけで、 ニートには未来も何もありませんから、 長崎の銃乱射事件のように、自暴自棄なって犯罪を犯す人間もでてくると、 潜在的な反社会的集団としての性質が注目を集めて、 ますますニートが忌み嫌われるわけであって、 働かないから蔑まれているというわけではないのです。
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- y1y9y8y1a
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ご存じかもしれませんが、マックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの精神と資本主義の精神』ではダメでしょうか? 質問者様への回答にあたる部分を本当にざっくりと簡潔にまとめると以下のようになります。 カトリックと違い、プロテスタントの人々は自分の職業を神から与えられた「天職」と考えました。 なぜなら、現世での成功は神から約束された、神の加護によるものだからです。つまり、仕事に打ち込んで成功すれば、それは神に救われる身分であることを示したことになるのです。 ここからしっかり働く、そして成功することが肯定的にとらえられる論理が生まれたと言われます。 最近はこの説が完全に否定されてるという話も小耳にはさみましたが…。 それから、現在働かない者が蔑まれる理由ですが、まずは福祉社会ということが理由に挙げられます。 福祉国家では、国民が税金を払い、それが年金、保険、教育などの福祉として分配されます。 つまり、全員で自分たちの社会を支える構図になります。 とりわけ、よく働ける若いものはバリバリ働いて税金を納めてもらおうという構図になります。 しかし、フリーターは所得が少ないので、収めることができる税金が少ないです。 また、ニートは働いていないので、みんなで社会を支えるという前提にそもそも反しています。 ゆえに、彼らは社会の支え手、担い手という役割を果たしていないという理由で批判、蔑みの対象となるのではないか…と思います。 また、これは穿った見方になりますが、フリーターやニートのような身分の人たちを批判し、蔑む風潮が社会に蔓延すれば、ほとんどの人はそこへの“転落”を避けようとするでしょう。 だれだってそんな対象にはなりたくないでしょうし。 それによって正社員として働いている人は、仕事がどんなにつらくても辞めようと思いづらくなると思います。 また、あくまでも効果は薄いと思いますが、学生も「フリーターになろう」「フリーターでいいや」とは思わなくなり、一生懸命勉強したり、スキルを身につけたりしようとするでしょう。 つまり、フリーターやニートへの“転落”の恐怖によって、人々はより労働へ、自己啓発へと駆り立てられる。 そうすれば、経営者たちは監督や教育のコストを下げることができます。 さらに、フリーターやニートに“転落”する者達が、彼ら自身の意欲によってその道を選んだのだということにしておけば、本当はまっとうな雇用の口がないのだとしても、そのような経営者側の意図は隠蔽されます。 これは渋谷望『魂の労働』を読んで考えたことです。 上記はだいぶ主観なので、あまり参考になさらないほうがいいかと思います。 長々と失礼しました。
お礼
いえとんでもございません。大変参考になります。ありがとうございます。 お恥ずかしながら『魂の労働』は初耳です。ぜひ読んでみようと思います。 本当にありがとうございました。
- oska
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>かつての中世ヨーロッパでは、労働は奴隷のする卑しいものとされていました。 現代でも、EU諸国の旧貴族階級の方々は「労働はしない」のですよ。 爵位制度が残っているイギリスでも、貴族・地主は「自分では重労働」をしません。 (株・預金・投資・土地生産物の利益だけで、生活できます) 行なっても、非常に軽い作業です。 保母・金融マン・証券マンが多く、(没落貴族でない限り)汗水流して働く貴族は存在しません。 貴族の子息が「大人」として認められる条件として「舞踏会デビュー」があります。 庶民は、宮殿に入る事は出来ません。^^; >このように価値観が転じた大きなきっかけは一体何なのでしょうか? 福祉向上による、経費の増大。つまり、重税が関係しているとの見方があります。 「こんなに税金を払うのは、非生産階級であるニート・フリーターが原因だ」 「世界的な統計としての、失業率が独自の評価基準として認められた」 などが原因でしようね。 そこで、金持ち・政府は一丸となって「働かざるもの食うべからず」となったのです。 >なぜ現在では、働かない者が蔑まれるのでしょうか? 失業者の増大・生活保護世帯の増大で、納税者が怒っているのでしよう。 貴族としての特権も、中世と比べて無くなってますし・・・。 日本では、働いても働いても、生活保護世帯よりも生活水準が低い世帯の増大しています。(ワーキング・プア) 1円でも収入があれば、生活保護を受ける権利がありません。 反して、生まれながらの生活保護受給資格を持つ方々も存在します。 (某団体を非難する意図はありません) 「働かざるもの、食うべからず」という諺が、世界の認識になってきたようです。
お礼
お忙しい中、回答していただきありがとうございます。 「舞踏会デビュー」は大変興味深いですね。お恥ずかしながら初耳です。 また、ワーキングプアについても、今後調べていきたいと思います。 ありがとうございました。
- GAG666
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逆転などしていません。 貴族などの特権階級は、今でも「働かないことが美徳」ですし 「労働は労働者階級がするもの」とされています。 要するに、かつては「奴隷」という枠組みだったのが 「労働者」という枠組みに変わっただけの話ですよ。
お礼
お忙しい中、回答していただきありがとうございました。 自分の認識が過っていたのかもしれません。 大変参考になります。
お礼
なるほど。厳しいご意見ありがとうございます。大変ありがたいです。 自分の認識の甘さを実感いたしました。確かに、実社会には目を向けておりませんでした。 社会の一員という観点からも考えていきたいと思います。 あいがとうございました。