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「なぜ人を殺してはいけないのか」

「なぜ人を殺してはいけないのか」…当たり前の事なのに、私には説明できないのです。 ・「法律」で禁止されているから ・「悲しむ人」がいるから、殺された人にも「家族」がいるから ・「神様が決めたこと」だから …などの倫理・宗教・法律を持ち出さず、かつ情に訴える以外の方法でお願いします。 ※こんな質問をすること自体がおかしいのかもしれませんが、そこはノータッチでお願いします。 私はこの質問を友人からされて、言葉につまってしまったので、皆さんのご意見を伺いたいのです。

みんなの回答

回答No.18

「人を殺してはいけない」とは、私は思いません。 殺したければ、殺してもいいと思いますよ。 ただし、その後法によって裁かれ、ご自身と被害者の家族友人知人を不幸にし、死刑は免れても社会的に葬り去られることになりますが。 それでもよければどうぞ・・・ということだと思います。 実際それを覚悟で殺人を犯し、死刑を望む人だっていますしね。 殺人自体がいけないことではない証拠に、「合法的な殺人」っていうのもあるじゃないですか。 「死刑」です。(廃止している国もたくさんありますけどね。) 「戦争」という国家による殺人も、戦勝国なら罪に問われにくいですね。 ではなぜ古今の法律や宗教家は皆「人を殺してはいけない」と言うのか? それは集団の秩序を維持するためだと思いますよ。 大昔、人間が家族単位で狩をしながら移動していたような時代なら、気に入らない外部の人間やいい物を持っている外部の人間は、はいきなり殺してしまえばよかった。 でも定住が進んで集落が形成されると、その集落を維持するために内部の決まりごとが必要になるのです。 「盗んではいけない」「殺してはいけない」といったような。 始めのうちはそういった決まりは内部にのみ適用され、他の集落の人間は平気で殺したりしていたんでしょうね。 その後、人間の生活が複雑化し集落同士の交易が生まれてくるとそちらの関係も維持しなければならないから、決まりごとの適用範囲も広くなってくる。 そんなこんなで「殺してはいけない」が定着してしまったのだろうと思います。 でも、質問者さん気づいておられるかどうか知りませんが 質問者さんも私も、実はすでに間接的には殺人をしているかもしれないのですよ。 例えば日本で売られているチョコレートの原料のカカオ豆のほとんどは、遠い国のカカオ農園に不当に安い給金で雇われた貧しい労働者が作ったものです。 給料が安すぎるので、幼い子どもたちも学校にも行けずに働いています。 中には、貧しい家庭から売られてきてただ働きさせられている子もいるそうです。まさに奴隷です。 私たちがスーパーで100円で買えるおいしいチョコレートの向こう側には、命を削られている人たちがいるのです。 これは間接的な殺人と言えると思いますよ。 もちろん法には触れないから罰せられないし、直接手を下したわけでもないから罪の意識も持ちにくいですけどね。 でも遠い将来、現在の先進国と呼ばれる国々が、他の国を搾取したことで罪に問われることもあるのかもしれません。 色々な「殺人」があります。 うまく言えないけど 「私はもしかしたら殺人者である」という思いも、必要なんじゃないかな。

  • gootaroh
  • ベストアンサー率47% (396/826)
回答No.17

>「なぜ人を殺してはいけないのか」 簡単に言うと、 「そういうことにしておかないと、自分自身も誰かに殺されてしまうから」 です。 なお、 >・「法律」で禁止されているから とありますが、直接的に、人を殺すことを禁じる法律はありません。 刑法第199条は、「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。」という条文になっており、「人を殺してはいけない」のではなく「人を殺したらどういうペナルティが待っているか」ということだけが定められています。 常識的には、これをもって間接的に殺人を禁じていることになりますが、逆に言うと、「ペナルティ覚悟であれば勝手にどうぞ」ともいえます。 これは、法学部の学生が最初に習うことなのですが、要するに、法は誰に対して定めているか、ということです。専門用語では「行為規範」とか「裁判規範」なんていいます。 「行為規範」とは、ここでいうと、先に述べたような「これをもって間接的に殺人を禁じていることになります」ということです。要するに、物事の善悪是非を判断する基準ということですね。 一方、「裁判規範」とは、違法行為があった場合、裁判官がどういう判断をすべきかを示す基準がないと、裁判官によってブレが生じてしまいます。その基準が法というわけです。 実際は、どちらが正しいというわけではなく、両方を含んでいます。つまり、法は「行為規範」として一般市民を対象にするとともに、「裁判規範」として裁判官も対象にしているわけです。 後者だけをとらえると、「ペナルティ覚悟ならOK」という屁理屈も出てしまいますよね。 なんか禅問答のような感じになってきましたが、なぜこんな条文が生まれたかというと、もともとは、倫理・宗教あるいは常識からきているのでしょうね。 ただ、もう一歩踏み込むと、市民社会あるいは法治国家が成立するためには、その構成員(人)が生きていればこそ、という考えがあると思います。 構成員の安全が保障されていなければ、他のすべての社会・経済・行政活動が保障されませんよね。 ですから、市民社会あるいは法治国家として、構成員の安全保障のための基本的な規定だといえるでしょう。 ただ、 >倫理・宗教・法律を持ち出さず、かつ情に訴える以外の方法で という制約の下で、最も簡潔な理由を挙げるとすれば、やはり、冒頭に述べたように、 「そういうことにしておかないと、自分自身も誰かに(無条件で)殺されてしまうから」 ということになるでしょう。

noname#194289
noname#194289
回答No.16

人を殺すというのはその人の肉体を殺すことと心を殺すこととの両方を含んでいます。他の動物を殺すと言うのは前者だけです。又複雑なのは人の場合肉体を殺せば心も殺したような結果になることです。普通人といっているのは心のことですから、無視とか差別とかそういうものも本当は殺人なのです。戦争では人を殺してもかまいません。これは肉体としての人が対象ですから、戦場では牛や豚と同じに扱ってもなんら罪悪感をもたらしません。しかし相手の心までが殺されることを考えるとなかなか戦争でも殺しにくいと思います。

  • MS-Gothic
  • ベストアンサー率50% (7/14)
回答No.15

地球上からヒトがいなくなってしまうから。 【次のように考えます】 「殺していい」となりますと、人口が減ります。 減るということは、遅かれ早かれ、いずれゼロになることを意味します。(X>0) 人間がゼロになれば、「殺していい」という命題さえも生まれません。 のみならず、人間に関わるあらゆる命題が生まれません。 いい悪いの問題ではありません。 数理的に考えて、「殺していい」という選択肢を選ぶことが出来ないのです。 逆に「生き続けていい」という選択肢も選べません。(X<∞) 無限に向かって増えることがあっても到達できないからです。 善悪などの価値観を含まない事象論です。

  • aporo1
  • ベストアンサー率0% (0/6)
回答No.14

なんでもかんでも殺していいのならそこらの動物となにも変わらない。 人間と畜生との違いとは何か?といったらそういった事なのではないか? 我々は人だからああはならないとか、人だからああいう風にはならないとか尊厳の頂点にくるのが人間だからじゃないかな? 神やら悪魔やら色々と御座いますが、結局人間という存在についてはまだ未知数。 人類が何処まで良くなれる存在かは分からないけど、今のところ人類以上に良い存在は多分いないんだと思う。

回答No.13

命は尊いものです。

  • woodpark
  • ベストアンサー率28% (67/236)
回答No.12

特別な場合を除き、他人の生命を奪ってもよいとされる合理的な理由が存在しないから。

  • aburakuni
  • ベストアンサー率30% (470/1562)
回答No.11

他の方も仰っていますが、人間の行動とは集団生活のなかの個人と集団の調和を前提にした、「倫理・法律」に基づいて行なわれるものです。 集団は「全体の利益が個々の利益に繋がる」事から成立し、生存の利益は個々構成員にとって最も基本的なものであり、現在社会でも正当防衛は他に優先します。 「倫理・法律」は集団構成員の持つ宗教・感情等を要素として造られ、単なる個々の欲望だけでは実現しない集団を成立させる基本条件です。 従って集団=社会に敵対するのであれば「人を殺す」事は当人には問題ありませんが、社会は当然その行為を罰し当人を排除します。 「悪い」と言うのは社会の基準であり、絶対悪というものは存在しないので、貴質問の趣旨が判りませんが、この質問は本来哲学の項目に属すると思います。

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.10

基本的に集団生活をするというのは、その集団でいることにより他から攻撃やに対して身を守るためという部分があります。 それなのにその集団の内部同士で殺しあってしまってはその集団で身を守る意味がなくなります。 人間という生き物は単体では非常に弱い生き物で集団で武器を持ってはじめて他の動物と戦えます。 またそのように集団化できるため、自分たちの財産を狙う他の人間のグループから身を守る必要性もあります。 そのために人を殺したいから集団での行動をしないということも難しいです。 そのため、自分が生きて財産を守るためには同じ集団や協力関係にある集団の他の人を殺してはいけないとなってきます。 今の日本は世界的にどこかとそこまでの争いになっていないので、日本という国(集団)以外の他国(他の集団)の人も殺してはいけなくなります。 これが戦争になるとその戦争の相手は協力関係にない集団となるので、相手の国の人間を殺しても問題ではなくなるのです。

回答No.9

  生きる権利があるから。  

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