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曲のコードについて

コードというのがありますが 曲によってコードをピアノ(楽器はどんなものでも)で弾いてる音があったり コードを弾いてる音がなかったりもしますよね?(聞こえないだけって事は・・・無いですよね) コード付けというのが重要なのは分かるんですが 後者の曲の中でコードが鳴ってないならコードを付ける必要はないんでしょうか? また曲中にコードの音がある場合とない場合のメリットデメリットみたいなものもあれば教えてください。 よろしくお願い致します。

みんなの回答

回答No.6

 自分の考えを一度、確認するために、コードとスケールについて整理して書いて見ます。 1、 メロディーは楽譜にしてそのまま、演奏できます。  メロディーからどんな感じを受けるかは、誰もが、同じような感じ、似たな感情を受け取ると思います。 2、 コードは音楽の感じを、表現して、演奏したときの感じを伝える。  コードを鳴らすと、たとえば、起立・礼・着席、といったような感情とは少し違う、  音楽の構造を伝える・表現できる。……のではないでしょうか。  このとき、コード進行からは、好悪・悲哀など、直接には感情は、伝わらない。 3、 スケール・演奏の調は、それらの基本となる音の分割の、基点になると思います。  スケールで演奏するということは、現在の演奏調を、判ってなければダメで、  演奏中に調性が変わったら、それも、判らないとダメです。  そこで、転調をどうやって表現。するのか……と、考えてみると。  テンションコードで表現されているのは、演奏中の一時的な転調ではないでしょうか?  メロディーの流れ、歌詞がある歌など、転調を表記するのは、難しいのではないでしょうか?  特にメロディーの半音操作など、複雑で読みにくいでしょう。  そこで、   コード進行には、前提になる調ありますから、それから外れれば、     暗黙、の転調ということで、テンションコードを使う。    9thの場合なら2度転調か   5度転調の、5度、   つまり、C>G 転調で、そのG調5度はDということになる。  ここで、起立・礼・着席、でみなが行動するように、   コードは誰でも感じことができます。   しかし、演奏している音楽の調性は、音楽の勉強をした人でないと判らないでしょう。  演奏家同士では、スケールのほうが包括的で、会話としては伝えやすいでしょう。  そのときに、演奏している調整がわからないと、会話にならない。の、ではないでしょうか?  その点、コードで音楽の構造を表現すると、演奏してなくてもコードの組み合わせだけで、  構造を伝えられると、……推測する。のですが、……どうでしょうか?

回答No.5

もともと日本の音楽には和音と言う考え方はありませんでした。 日本の国家の「君が代」も歌いだしは独唱で始まっています。 独唱の部分が本来の日本の音楽のスタイルで 伴奏が入りだすと西洋音楽のスタイルになります。 独唱の部分と伴奏ありの部分を聴き比べると コードのある、なしの印象の違いがわかると思います。

回答No.4

あんまり、難しく考え過ぎることはないと思いますよ。 音楽理論の本には、和音や調性のことについて、いろいろ 書かれてはいますが、要は音楽なんて、聴いた人がどう感じる かが大事なんだと思います。 例えば、楽器によっては、それのみでは、単音しか出せないもの も多くありますね。管楽器はほとんどそうですかね? 極端な話、ハーモニカやリコーダーであるメロディーを演奏しても それは、それで立派な音楽だと思います。 ただ、立派な音楽とは言え、聴く側にしてみたら、そこに和音 があるのとないのとでは、曲の印象もずいぶん変わってくると は思います。 要はどちらが正しくて間違っているという基準ではなくて、 演奏者や作曲家が、聴く側にどう聴かせたいかという基準で 判断し、和音をつけたり、つけなかったりすればいいという だけのことではないでしょうか? あと、メロディーの中に、上手く和音の構成音をとりいれたり、 分散和音(コードの構成音を同時ではなく、1音づつ、順番に 演奏する方法)をとりいれることで、単音の楽器でも、コード感 を感じる演奏が可能な場合もありますね。

  • Chap-chap
  • ベストアンサー率50% (20/40)
回答No.3

ご質問者の方は、何かの楽譜をご覧になっておっしゃられているのでしょうか?・・・どのようなジャンルのどんな曲なのかなど、音源によって答えが難しくなってきますネ。 そこで、一般的なPOPSを例にとって述べてみます。 市販品や付録などで見かける譜面ですが、これは作曲者が直接手がけている例はほとんどありません。『音』が完成した“楽曲”を“コピスト”と言われる専門の『音採り屋サン』がキレイなスコアやコード付きの譜面に仕上げてくれています。 この業者サンは簡単に言うと通訳みたいなもの。その際に担当した業者さんのセンスでコードネームが確定してしまいます。難しいコードを付けたがる理論派の人、音優先で分数コードを多用する人など様々です。 作曲者が意図的に和音ナシにしていても、そこの部分に担当者が何らかの響きを感じてコードを付ける場合もあります(採譜業界では和声が無い場合、“N.C.(No Chords)”と書くことになっていますケド・・・)。 つまり、その曲を担当したヒトのセンスがコードネームに反映され、皆様に伝わっているという事です。 楽譜に付けられたコードネームは絶対だ!ではなく、その曲のその部分の響きのヒント程度に考えてみてください。

  • mackid
  • ベストアンサー率33% (2688/8094)
回答No.2

どういう主旨のご質問なのかよく判りませんが、楽譜に載っているコードというのは原曲に対して後から他人が勝手につけているものです。 つまり、このメロディの部分はこのコードを弾けば伴奏としておかしくない、という程度のものであって、それをどう弾こうと弾くまいと、それは弾く人の勝手なのです。

回答No.1

コードで表せる音楽なんてほんのわずか 人工的に体系が作られただけなんだし コードで表せない和音の方が圧倒的に多い 和声が潜在的になっている調性音楽もあるし、まったく和音がない本当の単旋律もあるし、メリットデメリットっていうより音楽の性質によると思う。音楽は必然的な動きしかしません