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「生きめやも」を肯定表現にすると?
堀辰雄の『風立ちぬ』で訳されているポール・ヴァレリーの詩の一節、 il faut tenter de vivre. は彼のように「いざ生きめやも」と訳すると、「やも」が反語(あるいは疑問)ですので、原詩の意味からは誤訳になる、と知りました。 では、「さあ、生きよう」「(努力して)生きてゆこう」「生きようと努めよう」という積極的、肯定的な意味の古文にするとしたら、どういう言い方が適しているでしょうか。
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堀辰雄の訳を「誤訳」と断言できるかどうかについては留保しますが、 少なくとも堀辰雄は何らかの意図があって「反語」を使ったのでしょう。 この点を踏まえると「反語」の要素は残したいものです。 そこで、 生きざらめやも はいかがでしょうか。「否定+反語→強い肯定」です。
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- aster
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>「さあ、生きよう」「(努力して)生きてゆこう」「生きようと努めよう」という積極的、肯定的な意味 質問はこうなっているので、「さあ、生きよう」ではないというのがあります。「生きようと努めよう」というのは、「……しよう」という「意志」だけでなく「積極的努力意志」ともいうべき表現です。 ただ、「生きようとしよう」ではなく、「生きようと努力しよう」です。 どうしてこういう「努力意志」になるかというと、元の詩が: >il faut tenter de vivre. であって、これは、「わたしは、生きようとする必要がある」「わたしは、生きることを試みるべきだ」などの意味で、「生きよう」という単純意志ではなく、かなり屈折した心理表現になっているのです。 わざわざもってまわった言い方になっているので、文脈解釈次第では、「わたしは生きることを試みるべきだ(そうなのか)」という「反問」があるようにも見える可能性があり、そで「やも」を入れた可能性があります。 少なくとも、フランス語は、「いざ、生きむ」というような、単純なことを云っていません。だからこそ、「(努力して)生きていこう」と「生きよう」に強調などの付加があるのだと思います。 私見では、「(努力して)生きていこう」なら、「いざ、生きむとせむ」という風な表現がよいのではないかと思います。「生きむとす」で、予定の「生きようとする」の意味で、これを更に「む」で意志にすると、「生きようとすることにしよう」で、意志が強調になります。 あるいは「生きむとつとめむ」もよいかも知れません。 原文のフランス語は、「生きむとすべし」「生きむべし」「生きむとつとむべし」のような感じだとも思えます。 専門家が回答しているので、自信なしにします。
お礼
原詩の分析も加えて検討していただき、ありがとうございます。 tentreは英語でいえばattempt 努力する、つとめるという意味を含んでいますから、おっしゃるように単純に「~しよう」とは訳せないと思います。 ただ、「いざ」という感動詞によって、ある程度、意志が強調されているとも思えるのですが。 もっともil faut~(不定詞)de.......は「せねばならぬ」という義務、強い要請の意をもちますから、「いざ」程度では不足でしょうか。 このあたりで堀辰雄も悩んだのだと思います。(笑) 「生きむとせむ」が一番適した表現だというご指摘はまったくそのとおりだと思います。
- chidzu
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「いざ生きむ」=「いざ生きん」 「む」は意志を表す助動詞。 校歌の文句によく出てくるようです。 http://www.wbs.ne.jp/cmt/kitachu/kouka/kouka.htm http://www6.ocn.ne.jp/~kun-h/koukun.html http://ww4.enjoy.ne.jp/~jigozensho/kouka.htm
お礼
なるほど、一番ストンと納得できる言い方ですね。 ありがとうございます。 「風立ちぬ いざ生きむ」 堀辰雄もまずそう考えたのでしょうね。 しかし、どうも語調が整わないので、いろいろ試行錯誤した結果、「生きめやも」という表現になったのだと思います。 「いざ、つとめて生きむ」ぐらいにしておけば、よかったのに……。 でも「生きめやも」という耳慣れぬ言い方だからこそ若い人たちが口ずさむようになったのでしょうね。功罪あい半ばする「やも」です。
お礼
なるほど、「生きずにはおかない」という感じですね。 強い意志を感じさせます。 つくづく古文というのは難しく奥が深いと思います。 ありがとうございました。m(__)m