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物乞いへの接し方

インド等海外旅行に行っていつも悩むことがあります。 物乞いにはどうしてあげるのがいいのでしょうか。 子供に取り囲まれた場合、一人にお金をあげてしまうとキリがないため逃げています。一人でしつこく付いてくる子や赤ん坊を抱いた母親には根負けして少しばかりの金額を渡したり、渡さなかったり・・・。 一緒に行く相手には「渡すな」と言われますが、私としてはあげたい気持ちでいっぱいなんです。お金を乞うことは人の道としては良くない事ですし、私も頑張って稼いでいるお金ではあります。 外国人相手に極端に貧しそうな演出をして物乞いしている子もいますが、貧しいことには変わらないと思うのです。それともあげなくても充分やっていけるのでしょうか。 自分が渡した少しばかりのお金で何日かは物乞いをしないで(するでしょうが)安心して暮らせる日もあってもいいのではないかと。 みんなどんな暮らしをしているかはただの旅行者なので分かりません。 「貧しくてもみんな幸せです」と言ったインド人のガイドがいました。浮浪者に小銭をあげたガイドもいました。お金をあげるよりも似顔絵を書いてあげた方が嬉しそうだったという人もいます。 以前物乞いしている女性に少しばかり渡した後ではあるのですが、じゃあねという感じで笑顔で手を振ってみたら、笑顔で振り返してくれたことが印象的です。これで心の交流が出来たはずもありませんけれど。 しかし、旅行者の私としてはお金をあげることしか出来ないのです。外国旅行が出来るほど恵ませているのです。しかし、よかれと思ってやったことが本当は良くない事だったら・・・と実態を知らないだけに心配です。意見を頂けたら幸いです。

みんなの回答

回答No.9

わたしがロンドンに滞在した時のことです。 ロンドンにも多くのホームレスの人がいました。 子供をみかけることはほとんどありませんでしたが、 まだ若い女性がスターバックスの空のカップを差し出して コインを乞う姿は見ていて理解できませんでした。 また、No.6のelectricdreamさんのように「お金をくれ」と 話し掛けられた経験もたびたびありました。 ただ「すいませんわかりません」と日本語でいって その場をやりすごしました。 mainohazuさんと同様に複雑な気持ちが残りました。 でも、現地の英国人にきいた話で少し考えが広がりました。 それは、物乞いをして得たお金を、 "薬物"にかえる人もすくなくないということです。 "目のまえの情けだけで判断するのもではない"とおもいました。 かといって彼らを(日本のそれも含め)無視するわけにもいかず ことは深刻です。

mainohazu
質問者

お礼

お返事が遅くなりごめんなさい。aizawaさんの経験談をお聞かせ下さりありがとうございます。ロンドンにもホームレスや物乞いっているのですね。もらったお金を薬物にかえる人がいるとは思ってもみませんでした。本当に困っているのか判断が難しいところですが、やぱりあげないのが一番いい方法なのではないかと思うようになりました。あげないことでへんな罪悪感を持たないようにしたいと思います。ありがとうございました。

  • Torako3
  • ベストアンサー率19% (24/121)
回答No.8

私はメキシコに行った時に同じ目に会いましたが、物乞いにはあげませんでした。インドと比べれば悲壮さがなかったせいかもしれませんが。ウチの娘くらいの子がお金をねだる姿は確かにちょっとショックでした。でも、この子達にお金をあげたら、私もこの子達に物乞いを「させている」事になるのではないかという気がして、どうしてもあげたくなかったのです。お金じゃ人は幸せになれないと思っているので、とにかくお金はあげたくありませんでした。だから代わりに「気持ち」を上げました。 何をしたかというと、買った食べ物や持っている物をあげたり、売っているものを買ってあげたりしました。買うときは少しだけ値切りました(商売の仕方を知ってほしかったから)。もしどうしても離さない子がいたら、きっと肩でも揉ませてからお金をあげたかもしれません。私の自己満足かもしれませんが、そうした方がずっとその子の為になるように思えたのです。 私は募金はしょっちゅうします。ボランティアも賛成です。人の為になることをしたい、と考えています。だから、貴方のお気持ちも良く分かります。でも、だからこそ、相手のためになるのかならないのか、あいまいな事はしたくないと思っています。本当に必要な物なら喜んで差し上げますが、彼らが必要なのはお金ではない別の物なんじゃないか、と考えています。だから私は私達があげられる、お金以外で相手が喜んでくれる物を探して、相手に上げたいです。 でも、これは私です。大切なのは自分の「善意」を相手に上げることで、私にとっての「善意」とはお金でなかった、と言うだけのことです。貴方にとって、お金が相手にあげられる最高の物でしたら、お金をあげることは正しいことだと思います。でも、ご自分で心の迷いが晴れないのでしたら、別の方法を考えるのも一案だと思います。

mainohazu
質問者

お礼

相手のためになるのかならないのかをきちんと考えなくてはと改めて考えさせられました。私にも子供がいたらTorakoさんのように「お金をあげたら子供達に物乞いをさせてしまうことになる」と考えると思います。今までは自分の考えが固まらずあいまいな態度をとっていたと反省しました。「気持ちをあげる」方法が一番いいですね。お金をあげるとどこか心が晴れないのです。これからは自分の気持ちをどう表すか考えていきたいです。アドバイスをありがとうございました。

  • miki12
  • ベストアンサー率28% (720/2495)
回答No.7

私は冷たいようですが一切あげません。 なぜならその人に渡したお金がその人のものになるともかぎりません。 (つまりそれを搾取する上のボス的存在もいるのです) 働くのがいやだから物乞いをする人もいます。 その国の事情によっていろいろあるとおもいます。 私はあまったコインは総額いくらでも全部赤十字などの箱に寄付します。 (成田空港入国するときありますよね)あるいは帰りの飛行機の中で 寄付をお願いする封筒があればそれにいれて機内で渡してます。 あと、某空港内でボランティア集団に取り囲まれました。 英文で(日本語訳もついてました)恵まれない子供に寄付をお願いしたい とかいてあり、日本人の署名などもありました。 私も手持ちのコインくらい・・とおもったらなんと小額では、いらないと 言われたのです。私のお財布に1枚だけあった1万円をよこせというのです。 寄付するのに金額まで決められるなんてそんなの善意の心じゃないですよね。 もちろんこれは帰りの電車代だ、と単語を並べて返事して(笑)一銭も あげませんでした。それ以来疑り深いのは事実ですね・・。

mainohazu
質問者

お礼

赤十字のような団体の募金箱に寄付する方法、いいですね。 今までは「自分の手から直接貧しい人に」小銭が渡ったことにほっとしていました。目の前にいるこの子の空腹が少し満たされればいいななど思っていたのです。しかしただの自己満足かもしれません。mikiさんがおっしゃるようにやくざが絡んでいる場合、小銭は受け取ろうとしない物乞い、世界にはいろいろいるようですし「一切あげない」という心の強さも必要だなと思いました。ひどいボランティア集団?もいるもんですね。アドバイスをありがとうございました。

回答No.6

世界のあちこちにある貧困には,日本人の想像を絶するものもありますね. 以前,海外旅行したとき,ロンドンの街角でホームレスらしき人に話しかけられ, なんだ?と思って振り向いたら,「コインをくれ」と手を差し出されたことが ありました. そのときの私の対応は,「What is "coin" ? 」という,オトボケな質問で相手を 煙に巻いてしまったのでした. もちろん,逃げる行為に抵抗感がわきましたが,貧乏旅行をしている身分では とっさにそう言って去るしかなかったのです. そもそも,自分が日本人(金を持っていそうな外国人)であることを簡単に 悟られるから,手を差し向けられるんだろうと思い,その後は,屋外での行動 や服装に,より慎重にならないといけないと思うようになったものでした. (そのときは,汚い格好をしていたにもかかわらず,高級レストランの前で ショーウィンドウを見ていたのでした.) というのは,それが単なる物乞いならよいのですが,自分が簡単に日本人だと 見破られるということは,悪人にも目を付けられ,犯罪に巻き込まれる可能性 が大きくなることを意味するからです. それと,「ボランティアとは,誰からの強制もなく,自らの自由意志で行う ものである」という定義をよく耳にしますが,募金の行動も,そうであるべき だというのが私の考え方です. つまり,物乞いに”絡まれる”または”目が合う”ということは,ある意味, 「他者からの圧力」であって,しぶしぶ行うという側面がどうしても避けられ ません. だからその場から逃げるような行為に及んでも”罪”にならないのだと考えて います. 逆に,自らが事情を納得していて,なおかつ財政的に余裕があるときであれば, 進んでお金を出します.(というか,自然に手が出る) たとえば,私は神戸には縁もゆかりもありませんが,大震災が起こったとき には,何のためらいもなく義捐金(確か1万円くらい)を送りました. 韓国・慶州のの仏国寺に行ったときには,400年前,秀吉の軍勢が建物を焼き 払ったという事情を知らされ,思わず500円玉を賽銭箱に投げ入れている自分が いました. さて,国内だけで見回してみても,募金の対象は,それこそあちこちにあります. 海外においても,経済のグローバリズムが加速している今日にあっては,世界的な 貧富の差はこれからも広がっていくことでしょう. 結局,全部に対応していたらキリがないので,自分の身勝手な選択で出すか 出さないかを決めていくしかないですね. たとえば,乳飲み子を抱えた女性に腕を掴まれたら出す,オヤジなら出さない みたいに... 無責任な線引きをしてしまうのが正直なところです.

mainohazu
質問者

お礼

お返事が大変遅れてしまいごめんなさい。 物乞いに絡まれるということは、相手に日本人だと「目を付けられた」ことであり、悪人によって犯罪に巻き込まれる可能性もあるという言葉にハッとしました。今振り返ると目を付けられる不気味さは感じていましたが、目の前の悲惨さについお金を渡したり、気持ちの上でとても甘かったですね。本当はおっしゃるように「圧力」に負けたのかもしれないです。今後自分の中で寄付をするかどうかの境界線を決めて行きたいです。回答を下さりありがとうございました。

  • ginga3104
  • ベストアンサー率23% (510/2208)
回答No.5

私はあげませんね。ボランティアにもあげません。特に子供がやっているのは大嫌いです。 理由は、生理的に嫌だというのが一番です。その根底には、お金は自分で稼ぐものという考えがあるから。更に、知らない人にあげるのは嫌だからです。 海外では、子供に物乞いをやらせているケースが多いと聞きます。もちろん、そんな国は大人が働く場所が無いというのが実情だというのはわかっています。でも、それなら、「仕事が無いので子供にミルクをやれません!」と、親がやれ!と、思います。私が本当に子供達の為にお金が必要なら、自分で頭を下げて貰いに廻るでしょう。 また、日本での、ボランティアの方々の募金も嫌いです。それは、目標金額、お金の使い道、その効果が明確でないからです。 集め方も確かに昔はその方法でしかお金は集められなかったけれど、今はもっと効率の良いやり方がいくらでも有ります。それを、子供達に「恵まれない子供達に愛の手を!」なんて、言わせるなんて悲しすぎます。 そんな訳で、私はお金はあげません。

mainohazu
質問者

お礼

お返事が大変遅れてしまいごめんなさい。gingaさんの考え方、とても参考になりました。お金は自分で稼ぐものですし、知らない人にお金をあげる行為は冷静に考えると少しおかしいことですね。子供を使って物乞いをさせるケースですが、もし私ならと考えてみました。やはり自分が頭を下げ身をけずって子供のために頑張ると思いました。日本の募金は使途不明ではありますが、海外での臓器移植のために多額のお金が必要なケースもあるので寄付しますが、物乞いに対してどう接するかについては自分の気持ちを整理していきたいです。回答をありがとうございました。

  • Melody
  • ベストアンサー率0% (0/0)
回答No.4

僕も一人旅を始めた当初は物乞いとの接し方について悩みました。確かに一人ひとりに与えていたらキリがありませんし、ダライ・ラマの言葉で 「全ての人に平等に与えられないのなら止めなさい」というものがあります。 旅行者からお金をねだるのがクセになってしまうからあげてはいけないと思いながらも、相手の目を見ると迷ってしまい、結局逃げるように目をそらしてしまう。 そんな自分が嫌でした。目をそらせば事実が消えて無くなるわけではないのに。 物乞いが手を差し出したら反射的に目をそらしてしまいましたが、物乞いでなければ 普通握手をしますよね。 いざそうしようとすると、とても切ない目で見てくるので戸惑ってしまいますが、勇気を振り絞ってやってみる「違う」というような態度をとる子もいましたが、中には握った手をずっと離さない子もいました。その瞬間、とても気持ちが楽になりました、笑顔で手を握り返しただけで。 単なる自己満足ですが、そうすることで旅の中でずっと感じていたしこりが取れたような気がしたんです。 あげるとしたら、僕はいつもポラロイドのカメラを持って行って写真を撮ってあげています。 異国を歩く旅行者には責任があります。それがどんなものか考え、あなたなりのあなたの為になる接し方が見つかるといいですね。ただ個人的には、お金をあげてしまってはいつまでも自立出来ず旅行者から当然のようにお金をせがむ、喜ばしくない文化が生まれてしまうので良くないと思います。そういったところで旅行者が物乞いやその国に与える影響は大きいので、常に旅行者には異国においての言動に対する責任があると思います。

mainohazu
質問者

お礼

お返事が遅れてごめんなさい。やはり最初は物乞いへの接し方に悩まれたのですね。 好奇心旺盛な子供にとって外国人との心の触れ合いは貴重な体験で嬉しいものなのかもしれませんね。お金よりも写真をあげる方法もいいなと思いました。そして「旅行者として言動には責任を持つ」よう心がけたいです。今後自分なりの接し方を考えて行こうと思います。とても印象的な体験談をお聞かせ下さりありがとうございました。

  • kyonn
  • ベストアンサー率29% (80/272)
回答No.3

私は物乞いには一切お金をあげません。そう決めています。 街頭では子供たちが様々な商売をしています。 子供ながらしっかりしたたかに生きています。 外国人には平気で何倍もの金額をふっかけてきます。 たかがガム1個、絵葉書1枚で、こちらは相手のしたたかさに対抗するべく、躍起になってまけさせようと交渉します。 私は何らかの労働あるいは商品の対価として、その労働や商品に見合ったお金を払うことしかしたくありません。 物乞いのほうが、せっせと汗水流してリキシャを漕ぐリキシャマンより金持ちだなんて話も聞きます。 外国人旅行者、特に日本人は、その国の貨幣価値を考慮することをせず、その国の人にとっては大金かもしれないお金を無自覚にばらまいているかもしれない。 労働せずともお金を得られるならそのほうが楽と思っている物乞いがいるかもしれない。 物乞いは、それで生きていけるなら働かない、このままでも外国人旅行者が養ってくれると国も何ら対策を取らないことに、金持ち旅行者が手を貸しているかもしれない。 彼らは我々にとっては貧しく不幸に見えるけれど、思うほど不幸ではないのだと割り切ることにしています。 また、私があげなくても他の誰かがあげるだろう。。。 そう思わないことにはほんとに切りがない! ・・・・・・・・・・・・・・・ というのは自分を納得させる言い訳かもしれませんね。 私は、日本では目にすることのない悲惨な状況から逃げているだけかもしれません。 特にインドでは、身体に障害のある物乞いを目にすることが多いです。 そういう現実に向き合うと、辛いし、目をそむけたくなってしまう。 だから目を合わせないようにして、その場から逃げるように足を速めて立ち去ってしまうのです。 私は”あげない”。でもそれは私のやり方です。 どちらがいいとか、どうすべきとか、私にはわかりません。 幾ばくかのお金をあげることで彼らが救われると信じて(実際救われると私も思っています)施しをするという人もいるでしょう。 持っている者が持たざる者に喜捨するのは当然という考えもあると思います。 自分が思うようにやるしかないのだと思います。

mainohazu
質問者

お礼

お返事が遅くなりごめんなさい。お金はそんなに簡単に稼げるものではない、その苦しい労働の代償としてやっと手にすることが出来るものだと改めてそう思いました。海外で苦しい現実を見てしまうと情けないことに考えがあやふやになってしまいます。寄付をするかしないかは自分の考え次第で、あげる場合はその国の貨幣価値を考慮しなければいけないですね。旅行者が高額をあげることによって、より高い金額を吹っかるようになってしまう、そんな悪循環はもうやめたいです。物乞いよりリキシャマンの方が金持ち?とは驚きです。今後自分の考えを整理してみます。ありがとうございました。

  • 123npo
  • ベストアンサー率38% (7/18)
回答No.2

海外での物乞いは、日本と違い、貧困の度合いが激しいから大変ですね。 あなたが悩む気持ちも分かります。 言える事は、良心でやることですし、自分に正直に行動すればいいと思います。 すべての人間を救うことは不可能ですし、自分に出来る範囲内で。 仏教の考え方に『お布施』というのがあります。 上手く説明出来ませんが、その人を救うため以外に、自分のため?その人を通して仏への帰依?のような考え方だと思います。 (例として、托鉢してる坊さんが偽物の坊さんでも、それを知っててもお布施する人がいます。それがお布施の意味だと思うんです。) 寺社のお賽銭も同じような意味があります。これを『浄財』ともいいますね。 『物乞い』へのお金と『お布施』ではちょっと違いますが、良心、救済という意味では同じと思います。 仏も、この世の救済を願い、そして、すでにその救済は達成された、救済されることは確約されてると仏典には書いてあります。そして、救われてるんだから、すべてを仏に任せ帰依すると(上手く説明できませんが、浄土真宗の考え方です)。 何かピントがずれた回答になってましたら、すいません。では。

mainohazu
質問者

お礼

これからはあまり固く考えずに自分に正直に行動し、あげたい時はあげよう、間違ったことをしていないんだから自信を持っていこうと思いました。仏教のお布施というやり方も物乞いへのお金も同じ気持ちからの行動なんですね。ある意味自分のためでもありますね。そうは思いたくないのですが。おっしゃるように全ての人を救うなんて出来ないので、自分に出来る範囲のことをしていきたいです。アドバイスをありがとうございました。偽者の坊さんでもお布施をする人のお話興味深かったです。

  • Kakeru-A
  • ベストアンサー率35% (20/56)
回答No.1

夜分(朝?)に失礼して意見を書かせていただきます。 私はmainohazuさんと違って海外旅行ではありませんが、同じことと解釈してアドバイスします。 私は募金活動をしている方たちを見ていると、どうしても募金してしまいます。その理由はというと、募金しないで通り過ぎたあと、悪いことをしてしまったという後悔の念に付き纏われるのが嫌だからです。(募金活動をしている人が一生懸命だったということもありますが)いわゆる自分のためですね。 以前誰かの言葉で、「人に親切にしたり優しくするのも、結果的には自分のためだ」という言葉を聞いてから、そういう考えが植えついてしまったのです。(笑) mainohazuさんは私のような考えでお金を渡しているのではないと思いますが、一応私の意見を書きました。 >外国人相手に極端に貧しそうな演出をして物乞いしている子もいますが こういう子供たちもいますが、生活が苦しくなければこんなことはしないと思います。なので、もしお金をあげられる余裕があるなら、あげることは少しも悪いことではないと思いますよ。万一あげたお金でその子が遊び回ったとしても、その事実は分からないわけですし(苦笑)。 随分曲がった意見だと思われるでしょうが、私はこのことについては悟りを開いてしまったので(笑)こんなことしか書けません。お気を悪くされたらスイマセン、それでは・・・

mainohazu
質問者

お礼

募金をせずに通りすぎた後、なんだか悪いことをしたような気になりますよね。物乞いに渡すこと、募金をすることって、おっしゃるように結局は自分のためなのではと思うこともあります。「情けは人のためならず」、めぐりめぐって自分のところにもいいことがあるようにという気持ちからあげているわけではないのですが、自己満足には違いないのでしょうね。 「生活が苦しくなければ物乞いなんてしない」という言葉に救われた思いです。そうですよね。アドバイスをありがとうございました。

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