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研究室の人間関係(長文です)

こんにちは。美術大学内でプログラミングなどを学ぶ研究室の M2です。 今、研究室の同級生や先輩に対して不信感を持ち 自分が悪いのかと落ち込むことも多くなり、 学校に行きたくなくなってしまいました。 M2ですが、美術大学なので、作品を制作し、修了ということに なります。そのため、ゼミでその作品の進み具合や内容を報告します。そのとき、先輩(D1)や同級生の一人にかなり強い意見を言われてしまいます。 この一年半そうだったので、いまさら気にすることもなかったのですが、最近は特に私とそのどちらか一方、など二人きりの時に、さらに語調を強く、具体的な指示に近い意見を言われることがあり、ストレスがたまってきました。作業中であるとか、展示中であるとか、こちらが一人でいるときに、話かけられて始まるといった感じです。 それがもっともだと納得できる内容であればいいのですが、 分野が美術であるだけに、具体的な意見(例えば機材はこれにしろ、とか)には納得できず、反論に近い返答をしてしまうことがありました。 先日、そのD1の先輩にいろいろ言われ、その荒い口調や納得のいかない 内容に苛立ち、最終的に「あんたの言ってることは理解不能なんだよねー(半笑い)」とまで言われたため、ついに切れてしまいました。 切れたといっても、「私の話を理解していないのはあなたなんじゃないですか?だからわからないストレスを私にぶつけているだけなんじゃないですか?」といったくらいですが・・・。 私は、美術作品なんて全部理解できたり説明できたりするものではないし、出来ていない作業途中の段階でこちらが望んでいないにもかかわらず話し合いを求め、わからないとをまくし立てる彼が理解できません。 それはお互いのプラスになる話でないばかりか むしろこちらの作業を遅らせようかと考えているのではと、邪推したくなるほどのマイナスなことばかり言います。 同級生の一人も作業中の私に「そんなことやっても無駄だよ」とか突然言ってきたり、私がある美術館がよかった、と話すと次の週すぐに行き、「すごくつまらない。○さん(私)の趣味はよくないね。」と言ったりします。(こちらも行くように勧めたわけではなく、いいのある?と彼に聞かれたので答えたような状況です) さらに、研究室内で女性は私一人で、私が研究室外の男性と飲みに行ったと言うと、必ずと言っていいほど「○さん、今度は年下ですかー」 「狙ってるんでしょー。」と言ってきます。それを、最近は先生まで言うようになってしまいました。(主査の教授ではなく、講師の方ですが) 今日も、ゼミ内の数人と件の講師の方で飲み会がありました。 私は途中から携帯で呼ばれ、参加しましたが、そのときも 講師に「ちょうど○さんの噂をしてたんだよー」などといわれましたが、どういう噂か聞いても答えてもらえませんでした。 こういったことが続き、最近は本当に研究室に行くのが嫌になってしまいました。もともと、私は他大学から院に入学し、学科もコンピュータではなくファインアート系の学科でした。方向性が違うことをわかって いながら今の研究室に所属したので、最初に話が合わないと感じたときは、自分の勉強不足が原因だと思っていたのですが、最近は苛立ちがつのり、謙虚な気持ちが消えていっています。 私は4月から助手として働くかも知れず、出来ればあまり 嫌な状況になりたくありません。しかし、このストレスはたまる一方で 教授に全てぶちまけたい気持ちでいっぱいです。 教授のいない場で、こういったことを言うのはとても卑怯でねちねちしたことだと感じています。 最近はずっと家で作業をしており、別の研究室の人に心配されてしまいました。 この状況で自分がだんだん暗くなっていくのがわかります。 どうしたらいいでしょうか?

みんなの回答

noname#140971
noname#140971
回答No.1

「人をして言わしめよ!わが道を行く!」 カール・マルクスが Das Kapital の巻末に掲げた一言です。 1800年代後半のことですから、随分と昔のことです。 しかし、今尚、座右の銘として通用する名言かと思います。 >哲学者たちは世界を単にさまざまに解釈しただけである。 >重要なのは世界を変えることなのである。 (フォイエルバッハに関するテーゼ11) これも、カール・マルクスの言葉。 「フォイエルバッハ論」に収録されています。 しかし、質問者は、実に長々と研究室の人間関係を説明したものです。 何か、そういうどこにでも転がっている人間関係を解釈し評論でもして欲しいのでしょうか? 私に言わせれば、重要なのは研究室での質問者と他者の関係を変革することであろうに。 フォイエルバッハに関するテーゼ流に言えば、<グチグチと解釈する暇がありゃー状況を変革せよ>です。 さて、 Das Kapital でカール・マルクスは、事象を実に細かい部品の集合体として分析。 本質的でない部品は横にどけ、更に、本質的な部品が指し示す一つの概念を解明。 次に、この本質的な概念をより本質的に再現すべき具体的な部品で肉付けして現実化しています。 この手法は、正に、今、トヨタ生産方式において、工程バラシと組み立て=カイゼンとして継承されています。 「下向的分析と上向的具体化」は、正に、カイゼンをカイゼンたらしめている方法論。 <グチグチと解釈する傾向の質問者>は、押し並べて、目の前の事象を分析することを忘れています。 <グチグチと解釈する傾向の質問者>は、分析結果に基づき新しい現実を組み立てることを忘れています。 <グチグチと解釈する傾向の質問者>は、とどの詰まりは事象のカイゼンを放棄しています。 カール・マルクスが Das Kapital の巻末に掲げた一言とフォイエルバッハに関するテーゼ11。 この二つを質問者に紹介しておきます。 どんなに高度な研究成果を研究室で残そうとも、カイゼンと程遠ければトヨタ自動車の生産現場じゃオハライ箱。 トヨタ自動車の生産現場でオハライ箱ならば、まあ、一般社会でもオハライ箱。 院生として、もっとも肝心なベースとなる<人は人、我は我。解釈より変革>を身に付けられよ。

kassel
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 自分でも驚くほどの長文になっていたことをお詫びしたいです。 >院生として、もっとも肝心なベースとなる<人は人、我は我。解釈より変革>を身に付けられよ。 そのとおりですね。どうも、状況を気にしすぎ、また友人に話すことも ためらわれていたので、愚痴っぽくなっていたようです。 ありがとうございました。

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