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生きることの意義

 4月から販売職につき順調に行きかけていたのですが、6月中旬に内臓疾患が分り至急手術が必要と言われ会社を休職し3ヶ月休んでいました。   9月になり健康状態もままならないけれど、いつまでも会社に甘えて休んでいるわけにも行かないと復職しましたが、主治医より術後1ヶ月は運動を控えるようにと 言われていたためか20代半ばにして筋肉が少し衰えてしまったのか 以前のように9時間立ちっ放し、かつ車での通勤が1時間との条件また 体調崩す前の職場ではない部署(更に忙しい部署)に異動になったため 人間関係、仕事内容、システム面をすべて一から構築していかねばならず そういった環境の変化にからだが対応していかず、 さらにはパニック障害に陥ってしまい、上司に異動を申し出ようと話をした際に 「辞めた方がいいのではないか」と言われ受け入れてしまい 復職1週間にして会社を辞めてしまいました。 しばらくは 半狂乱のような状態で気持ちの整理がつかずくすり漬けの生活になったり 自殺した方がましなんじゃないかと思ったり。生きる意味がわかりません。 病気は発見が遅かったら命に関わるような病気で会社より自分の体を優先せざるを えなかった。  病気が見つかるなんて思ってなかったし体には自信があってその会社に面接 に言ったけどなんていうか今 物事をマイナスにしか考えられません。  生きることの意義ってなんなのでしょうか?もう死んじゃいたいです。

みんなの回答

  • shibako74
  • ベストアンサー率18% (163/876)
回答No.3

こんにちは。 私は小学校6年の時に喘息が起きました。小児喘息とは違い、ある程度大きくなってからの喘息は治りにくいのだそうです。治そうと思って水泳部に入ったりしましたが、少しでも走ると息ができなくなるためよく夜に病院に運ばれたりしました。高校でもマラソンなどはドクターストップがかかり、テレビを見てても笑ったりして呼吸を乱すことで喘息症状が出たりして大変でした。 短大で環境が良いところを選び(というか、選択の余地がなかった)そこで徐々に体力をつけていきました。1年半いて最後にはエアロビをしても喘鳴が出る程度にまでおちつきました。その後大学に編入し、卒業するころには自転車に乗ったりジムに通えるようになりました。発症から16年経っていて、今は半年に数度の頻度なので薬を持ち歩くようにしている程度ですが、全快したいので体力作りや食事面に機を使っています。 私とtanpopo94さんの違いは、病気や体力低下とのつきあいが長かった(あるいは病気になる時期)ことにあるかと思います。休みがちで、そりゃ生きたいと思っていましたが、自分が長くないとも感じていて、遺書を残さなきゃ、今まで迷惑ばかりかけた両親に感謝してるって書いておかなきゃ、とか考えてました。本当に苦しいときは感覚がないのでツライとか感謝とかも浮かばないんですが、余裕がある(発作が出ていない)時は考えこんでしまったりしてました。 体力がついて、死ぬことと隣り合わせだったのに徐々に意識しなくなってきています。いきなり病気になったりする方がツライことに対して免疫がなくてきついかもしれませんね。 でもtanpopo94さんは一旦命に関わるような病気を乗り越えてきた方です。気持ち次第で少しずつでも前に進めると思います。生きることの意義は今のつらい状態を乗り越えたら、わかると思います。 また、仕事は人生じゃないので、こだわらないでください。マイナスに捕らえてるけど、今の自分が持っていて他の人が持っていない面を見つけてラッキー、と考えてください。病気が早くに見つかるなんてとてもラッキーですよ。療養しながらできる趣味(読書や絵画、ビデオ鑑賞など)があればやってください。体を動かして得ることもありますが、知識を吸収して得ることも同じ位大事なことだと思います。後に回復して仕事が見つかったら,趣味に没頭する時間なんてとれないかもしれませんよ。今がタイミングです。病気のことは一旦頭のたんすの引き出しにしまって、今日の目標(1日に2冊本を読む、とか、1日1本ビデオをみてその感想を書く、など)を立てて、それが出来たら自分を誉めてあげるのはどうでしょう?私が療養中はワガママでしたが本を図書館から借りてきてもらって(自分で行けないのでリストを持っていってもらって、なかったらリクエストまでしてきてもらいました)山積みの本を読んでいました。その頃暇つぶしも兼ねて書いた本の書評は、最初は簡単な本から始まり少しずつ難しい本を読んでいる過程が見えて、自分で気づかないうちに財産になってるなあって思います。今は図書館に行く時間もままならないですが、あの時読んだ本のことは覚えてるし、後で考えると本当に貴重な時間でした。苦悩した時間も有意義だったと考えられるように、tanpopo94さんには頑張ってもらいたいです。頑張ってください。

  • courtney
  • ベストアンサー率9% (1/11)
回答No.2

私の場合はそううつ病でした。浪人が決まってからそのプレッシャーでうつになり、予備校にいけなくなりました。行こうとすると下痢になるんです。秋になって復活したと思ったら、次に来たのは、躁病でした。わめきちらし、どなりちらし、手も届かないような超難関私立大学しかうけないと言い張り、友達も失い、結局ニ浪が決まった時にはまたうつ病が待っていました。家から出られなくなり、自殺未遂で手首を何回も切りました。あと1mmか1cm深く切っていたら天井まで血しぶきがあがって死んでいたそうです。首をつろうとしたこともあります。紐がきれてしまって未遂に終わりましたが。クリニックに通い少し回復したようにも思えましたが、薬を飲まなかったり、死ぬために薬を大量に飲んだこともあります。ものすごいのどの渇きと立てないくらいのだるさが二日間ぐらい続きましたが。もらっていた睡眠薬をまとめて飲んでこれもまた二日間眠りつづけたこともあります。唯一の救いは後遺症が残らなかったことです。薬をそういう風に飲んだためクリニックには見捨てられ、別の病院に入院しました。入院の必要はなかったといわれましたが、ぼろぼろな自分はとにかく入院したかったのです。すぐに退院し、通院して、薬もきちんと飲むようにしたら、落ち着くようになりました。今、病気になってから4年以上たちます。今は、本当に普通の人のように生活しています。友達も新しくでき、昔の友達も良かったねと付き合いを続けてくれています。 私も、いまだに、死にたいと思いますが、昔みたいに手首を切ったり、そういうことはしません。 昔、家から出られないときに、「一生このままかもしれない」とか暗い考えがたえませんでしたが、今はそうではないと思えます。 あなたも、きっと今はそうかもしれないですけど、考えるだけ考えて、疲れたら動いてみればいいと思います。私はパニック障害がどんなものかはわかりませんが、公園を散歩したり、本を読むことが(精神的に)できるのなら、読んだりしてもいいと思います。まんがでもいいと思います。おいしいものを食べたり、自分にとって良いと思うことを少しずつしてみてはいかがですか?つらさや大変さは、比べるものではないのですが、私みたいな人間もいて、結構年月を経て徐々に回復いっています。あなたも絶対に回復しますよ!!! 生きる意義はこれから探していくもので、今は、のんびりすればいいのでは?

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回答No.1

会社よりも自分の身体を優先して考えることは当たり前のことです。 今は、甘えてばかりいられないと気力を振り絞って出社していたにも関わらず、不当な人事異動で退職を促されそれを唯々諾々と受け入れたことに対し、不甲斐ない自分に対する怒りや不当な会社に対する憤懣を上手に表現することが出来ずに鬱屈しているだけのように思えます。 生きるということには、もったいぶった意義も崇高な使命もないと思います。 その様なことは考えなくてもいいのです。 体力が落ちている上に薬漬けということですが、今必要なことは手術前と同じとまではいかなくても、体力を取り戻すことではないでしょうか。

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