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英雄色を好む → 英雄じゃなくても色を好むのでは?
「英雄、色を好む」っていうのを、 私なりに違った角度で解釈するなら…。 男は誰でも、大抵は色を好む。 英雄になればおおむね、 そんな「色を好む」という理想を現実のものにできる。 また、「色」の方も英雄に惹きつけられるケースが多い。 以上の私の解釈に対して、 なにか感じるものがありましたら、教えて下さい。 よろしくお願いします。
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モテるってある意味才能なのでは? 才能に惚れたり‥といった事もあるでしょうし。 元々才能のある人だからモテるとか。 >男は誰でも、大抵は色を好む 好むだけで寄ってこなければ色にはならず。 ネームバリューに惹かれる人はいるでしょう。 でも男のロマン(夢)に惹かれるというのはあるかも。オーラとか。
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- kusokuzeshiki
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ちょっと異なる解釈ですが。 英雄っていうのは凡人よりもストレスが多いですよね。人間はやはりどこかでストレスを発散しなければ壊れてしまいます。ストレス発散のために色事をより多く営むのではないでしょうか。まして、禁欲してよりストレスをためるなんて体に毒です。 色事にかかわらず、うまく遊べる人はストレスに強いなと思います。
おはようございます。 ますます、楽しくなってきました。 というのも、「色」の問題ではなく、これは現代に英雄がいるのか否かという問題または、英雄という希有な存在をどうとらえるかということになりますよね。 YOMNさんの仰るところの英雄というのは、現代で言われる英雄、というかヒーロー(こっちのほうが安っぽくないですか? 最近のカリスマみたいに)で、ボクの言っているのは、歴史のなかに登場する英雄です。 現代の英雄(ボクのなかではヒーロー、単に人気者)に関しては、仰る通りです。もっともです、しかも、男の悲しい性までも言い当てていらっしゃると思います。が、ボクの言うところの英雄は非人間的な体力、欲望を持った人物の果てしなき欲望をいかに解釈するかということなのです。 いずれにせよ、これは、このご質問とは別に、「現代に英雄はいるのか? 果たして英雄とはいったいどういうものなのか?」という質問を立てて見ると面白いかもしれませんね。 個人的な話です。YOMNさんの英雄、ボクの感じるところの英雄、いずれにしても、ボクにはちょっと体力的にも、自分の欲望のレベルを考えてみても、無理そうです。「色」を好むというレベルにはならないですねぇ(-_-;)
お礼
>ますます、楽しくなってきました。 それは喜ばしい限りです(笑) >YOMNさんの仰るところの英雄というのは、現代で言われる英雄、というかヒーロー >(こっちのほうが安っぽくないですか? 最近のカリスマみたいに)で、ボクの言っているのは、 >歴史のなかに登場する英雄です。 それはこちらの真意が伝わっていないように思います(^^; 私が例として挙げた {タレント・ミュージシャン・プロスポーツ選手など} は英雄の例として用いたのではなく、 evidenceさんと同じように単なるヒーローとしての位置付けに過ぎません。 で、このようなヒーロー達が、個人差はあるにせよ、奔放な性生活を享受しているケースが多いことは 同意してもらえますか? 例えば、もうお亡くなりになってますが演技派で知られる高名な俳優がいて、品性のある人で 誰からも尊敬されるような人だったのですのが、そんな人でさえ、隠し妻みたいのが何人かいたということです。 なので私は、個人差はあるにせよ、男であるなら、ここでいうヒーローの立場に身を置くことができたなら、 大抵は現状以上の性生活を享受しようとする思っています。 ここで整理しますと、 英雄 (歴史上の人物) ヒーロー (まあ簡単に言ってしまえば、才能を持った有名人) 一般人 (どこにでもいるような人) 大雑把に3つに分類したつもりでした。 で、私が最も興味があったことは、 「英雄の奔放な性生活は大目に見られるが、一般人の場合は非難の対象となる」 という一般的な社会認識であり、その理由を私なりに導きだしたものを前回明記させてもらいました。 で、前出のように私が男性を3つに分類している点を踏まえた上で、前回の私の理由付けに対して さらなるご意見等がおありになれば、指摘して頂ければ幸いです。 逆に私がevidenceさんにお聞きしたいのは、evidenceさんが解釈するところの「英雄、色を好む」を、 「ヒーロー、色を好む」に置き換えることは可能だと思われますか? 私の解釈ですと「ヒーロー、色を好む」に置き換えても何の違和感もないです。 英雄の性生活が非難されないのとほぼ同じような感覚で、ヒーローの性生活も大目に見てもらえるのが 現状ではないでしょうか? あるミュージシャンに千人切りに匹敵するような過去があったとしても、それを真剣に非難する声は ほとんど聞かないですし。 逆に勲章として受けとめられることだってあるくらいではないでしょうか。 そしてもうひとつお尋ねしたいのは、 「英雄の奔放な性生活は大目に見られるが、一般人の場合は非難の対象となる」 に関するevidenceさんの理由付けのことですが、今ひとつ納得しがたいものがあります。 どういうことかといいますと、 >やはり、並外れた精力を誇る人というのはあまりいないのではないでしょうか? >ちまたの絶倫男は、きっと歴史的な色を好んだ英雄と比べるときっと中途半端なのでしょう。 一般人のちょっと多目の性生活は、その絶倫度が極まってないがゆえに非難されるということであるなら、 非難のされ方も、 「なんだお前は10人の女としか遊んでないのか、そんな中途半端なことじゃなくて100人と遊べ!!」 「なんだお前は、昨夜はたった××回だけか! 男だったら一晩に××回くらいやってみろ!」 のような感じになると思いますが、実際、そんな非難のされ方をすることはまずないと思うのですが(^^; で、ここで私の最初の「質問文」に戻ってみたいと思いますが。 いろいろと意見交換をしたり自分なりに考えてみて、今気がついたのですが、 >男は誰でも、大抵は色を好む。 >英雄になればおおむね、 >そんな「色を好む」という理想を現実のものにできる。 >また、「色」の方も英雄に惹きつけられるケースが多い。 その4つの文から何を導きだしたかったかというと、以下のようなことのように思えてきています。 ごく普通の男性は、一部の例外を除けば、己が享受できうる最大限に近いレベルの色恋を、 いろいろな制約から享受できないでいる。 が、英雄やヒーローは、それができているケースが多い。
明治維新で権力の頂点に立った人々は.多くは下級武士で.遊郭に通っていた人です。ですから.権力者になっても遊郭通いがやめられず.自分達専用の遊郭を作りました。 江戸時代.徳川を除くと.財産分割の問題があり.権力者はかなりの禁欲生活が要求されました。その結果.貴族院議長当ての質問状に.(貴族院議員は).世間でいわれているおかばしょと言うところに出かけて良いものか.という内容がアルト聞いています。 まあ.成り上がり者が「英雄」として称されるからご指摘のような内容になるのでしょう。
お礼
有難うございました。
再再度の書き込みです。え、もういいって、そういわないでくださいませ。結構、この問題気に入ってるんです。 と、前置きはこのくらいにしまして、英雄の色事は大目に見る、がしかし、一般的には非難の対象となるというご指摘、大変興味を持ってしまいました。 私の挙げた例の劉邦に関しては、ゴロツキだった時分はたいがいの連中に白い目で見られていたようです。この人に関しては、勝てば官軍というところでしょうか。 基本的には勝てば官軍というのが実情かも知れません、が、やはり、並外れた精力を誇る人というのはあまりいないのではないでしょうか? ちまたの絶倫男は、きっと歴史的な色を好んだ英雄と比べるときっと中途半端なのでしょう。何事も中途半端ではないということで、認知されたのかもしれません。 で、さらに思いますに、現代社会においては英雄というものが必要とされていないというのが、一番、英雄の出現を阻んでいるのでしょう。英雄を待望していない社会において、英雄の器を持った人間が仮にいたとしても、英雄になれず、ただの好色ということになってしまうんでしょうね。 とはいえ、英雄の色事の中身に関しては分からないので、きっと、今時の好色男よりも、遙かに、その方面でのエネルギーのそそぎ込み方が違ったと考えるのが一番いいのかもしれません。なにせ、先進諸国は少子化傾向にありますので。 こんな感じに考えてみましたが、いかがでしょうか? では、失礼いたします。 (^_^)
お礼
>再再度の書き込みです。え、もういいって、そういわないでくださいませ。 いえいえとんでもないです(笑) たびたび有難うございます。 「英雄の色事は大目に見られるが、一般人の場合は非難の対象となる」 に関してご意見拝見させてもらいました。 なかなか鋭いご指摘だと思います。 ただ、私は別の観点で、私なりの答えを考えましたので、明記させてもらいます。 個人差があるということは前置きしておきますが…… 大抵の男は(特に若ければなおさら)、本音では、多くの女性と関係を持ちたいと思っている (お金の仲立ちがない状態で)。 ゆえに、それが行いやすい立場にある人間(例えばタレント・ミュージシャン・プロスポーツ選手など)は、 一般的な男性よりははるかに多くのその方面の経験を持っている。 一般的な男性は、一部のモテル男性を除けば、多くの女性と関係を持てる状況にない。 なので、身近に多くの女性と関係を持っている男性を見ると、本音ではそれを渇望していても、 本音を押し殺して、「それは不道徳なことだ!」と言う。 それを「いけないこと」と見なすことによって、それができない自分に芽生える嫉妬心を押し殺そうとする。 が、英雄に関しては、その奔放な異性関係をある意味平静に受けとめることができる。 なぜかというと、英雄がリアリティのある存在でないので(自分とは比較の対象にならないということで)、 嫉妬の対象にはならない。 よって、英雄に関しては、男の本音の部分だけを冷静に受けとめることができるので、 その奔放な性生活に目くじらを立てるようなことはしない。 以上が、私なりの思うところです。
- E-DC2
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こんばんは。 私なりの解釈では「英雄、色を好む」っていうのは、 「英雄は、大事を成し、更に色も好む」と読みます。 もし私に「英雄」と呼ばれるほどのことができたら、そっちに熱中して「色」なんてどっちでも良くなりそうです。 でも「英雄」は、そんなの関係なしに「色」も好むんですね。 その懐の深さ、絶大なるパワー、見習いたいものです。
お礼
No.1 ~ No.8 まで、 ご意見下さった方、有難うございました。 新たにふっと思ったのですが・・・ 英雄の女性関係については大目に見るどころか、 それをバイタリティの現われとして、 評価するような見方もあるような感じですが、 一般の人があちこちに女性関係を持った場合は、 大抵は非難されるのが普通だと思います。 この差はいったいどこから生じるのかと、 疑問に感じてしまいました。
- mtkame
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適者生存の見地からこれを解釈すると、要するに「仕事のできる人ほど精力も強い」ということだと思います。 人類がまだ生まれたばかりの頃、いくら外で仕事(狩りなど)ができる男でも、家に帰ったら疲れて寝てしまうというのでは、子孫を残すことはできませんよね。 外で仕事をしてきて、くたくたになってもまだ性欲はちゃんと残っているような、そんな男(オス)がいて、初めて人類が栄えたのだということもできます。
- habucha
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「英雄だけが色を好む」のではなく、「英雄は色を好む」だと思います。どなたかおっしゃっているように英雄と呼ばれる人の多くは、仕事にバイタリティーあふれているので私生活も元気(健康)だということでしょう。
#2です。 英雄という言葉を改めて、辞書で調べてみました。 知力・気力・武力にひいで,大事業を成しとげた人。 ということだそうです。要するに生物としてみた場合、パワフルな人というのも大いに条件に入ってくるようです。やっぱり、桁違いなパワーを発揮しているんでしょうね。
- void2000
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女性の英雄だってありますね。ジャンヌダークとか巴御前とか、彼女らもやっぱり色を好むだのかなあ。回答になってない、ごめん!
こんばんは。 >男は誰でも、大抵は色を好む。 >英雄になればおおむね、 >そんな「色を好む」という理想を現実のものにできる。 >また、「色」の方も英雄に惹きつけられるケースが多い。 確かに、そういうこともあるでしょうねぇ。いやはや英雄になりたいものです。 辞書で調べてみると、 英雄というものは,力があふれているため女色を好むものだ。(新辞林) ということだそうです。 この言葉、何も英雄にまだ、なっていない人にも使うことがあります。ものすごい色事の好きな奴が、なんだかんだで、後に英雄になったとき、「あー、やっぱり英雄、色を好むというわけだったのね」という使い方も出来てしまうんです。と、この用法をしてしまうと、せっかくのYOMNさんの解釈は崩れてしまいます。 たとえば、中国、漢の劉邦などは、英雄などというものになる前から、相当な好き者だったそうです。地元では評判の悪いごろつきであったそうです。毎日、毎日、来る日も来る日も飲んだくれては、新しい女を抱いていたそうです。このときは英雄ではありません(もっとも後の劉邦を英雄というのか、という気もしますが)。 要するに、この言い回しで問題となるのは、男としてのパワーということになるんだと思います。しかも、それが常軌を逸しているということが条件でしょう。男なら誰でもというレベルではないんでしょうね。 こんなパワーを持った奴は、生物としてみても、勝ち残るだろう、とこういうことではないでしょうか。 己を考えてみると、およそ、そこまでのパワーを発揮できそうもないので、英雄になるということはなさそうです。 では。
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お礼
有難うございました。 >ストレス発散のために色事をより多く営むのではないでしょうか。 そういうことも言えるかもしれませんね。 まあでも、昨今のストレス社会では、一般人であっても相当なストレスに見舞われていることだと思います。 そんな時に、一般人は、一部の恵まれた人を除いては、ストレス発散の手段として、 質の高い色事を享受するという恵まれた状況にはないと思います。 こでもう一度、自分の考えをまとめておきたいと思います。 個人差があるとしても、男なら誰でも、質量とも充実した色恋を享受したいという願いがあり、 その願いは、一般人・ヒーロー・英雄と比べてもさほど差はないと思ってます。 例えば、度数として、一般人の享受可能な色恋のレベルを100とした場合、 (精神的にも肉体的に許容できる最大限の色恋を度数化した場合) 一部のモテル男性は100度数目一杯享受することが可能ですが、 ごく普通の男性はせいぜい20度数くらいしか享受できないと思います。 ヒーロー・英雄は、その気になれば100どころか200度数くらいまで享受可能だと思います。 ここで一般人はどう考えるかというと、己が享受できる20度数が一般人としては限界であって、 100度数なんていうのは特別な精神・肉体を持っていなければ享受不可能であると考えることによって、 心の平静を保ちたいのだと思います。 しかし、身近に一般人でありながら100度数の色恋を享受している者がいると、 一般人は20度数が限界という心の拠り所が崩壊してしまうがために、そんなやからについては、 「反則行為を行っている → 不道徳 → 悪いやつ」 と攻撃を加えることによって、20度数しか享受できない己の心の平静を必死に維持しようとするのだと思えています。 特別の精神・肉体が必要になってくるのは、100度数を越えてからであって、20度数くらいなら 本来はまだまだ余力があるのに、そうは思いたくないということだと思います。 本来100まで可能なのに20までしか達してないと思うよりは、元々20が限界と考えた方が、 心が落ち着くということだと思います。