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食育について研究しています
はじめまして。 現在、大学のゼミで食育をテーマに研究しています。 いろいろなことを調べているうちに参考文献などではなかなか解決できない問題が出てきたので、こちらで質問させてもらいます。 まず、最初に日本の団らんについて研究しました。 Q1.世界の団らんは日本と比べて家族みんなそろって食事をする機会はあるのだろうか。また、その意味はあるのか。 次に、日本独特の「いただきます」という言葉 Q2.いただきますの観念はどのようにして日本人に植えつけられたのだろうか。 もし、上記の問題についてくわしく応えることができるという方がいらしたら、力を貸してください。よろしくお願いします。
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- naohan1110
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回答 (1)思いやりや優しさ、人に対する気遣いなどを教えるのは「食事の時間」が最も有効です。家族と共に食事を摂る習慣のない家庭の子供は、まず両親、祖父母に対する尊敬の念、感謝の気持ちが間違いなく薄れてきます。しかし家族全員で一緒に食事をする家庭は最近はどんどん減ってきているようですね。キレる子供が増えてきているのは、すべてそのせいだとは思いませんが、大きな原因になっているように思います。『その意味はあるのか?』と訊かれると、あなたはわかっていて、あえてわからないふりをしてその質問をしているの?それとも本当にわかっていないの?と尋ねたくなります。もし真剣に『意味があるのか』と疑問に思っているならあなたは不幸な人だとしか言いようがありませんが、そうでないことを祈ります。 (2)「いただきます」の概念は日本人だけではなく、世界中の国々の人が持っている心です。ただ「いただきます」という言葉を使わないだけで、ちゃんと育った人は必ず持っている概念です。 「いただきますと言いなさい」と機械的に教え込むよりも、我が家では、食事中にではありませんが、何かにつけて「人間は他の動物や植物を殺し、そのたった一つしかない命をいただいている。だから自分の命のために犠牲になってくれる動物たちや植物たちに対して、またそれらを与えてくれる自然に対して感謝することは当然。そしてまた一生懸命の働くお父さん、心をこめて料理を作ってくれるお母さんに対しても、それが当り前ではなく有難いことなのだ。だから好き嫌いを言わず残さずにいただこう」と教えています。この考え方は世界共通ですよ。 中3の倅と、小5の娘がいますが、我が家は好き嫌いゼロ。食べ残しゼロ(外食も)。アトピー、アレルギー、花粉症すべてゼロです。二人とも天才・秀才ではありませんが、優しくいい子たちです。 去年祖母が亡くなりましたが、毎回食事ごとに、自分たちから祖母の遺影の前に、手を合わせ、食事を真っ先にお供えしてくれます。 先日も子供たちに言いました。「おばあちゃんの体は壊れてしまったけれど、心はいつもお前たちが引き継いで持っていてくれている。だからおばあちゃんはとても幸せものだ。次は順番で言うと僕(お父さん)だけども、お前たちみたいにいつも家族を思ってくれているなら、いつどんなことがあっても幸せに死ねる。しかし絶対に私たちよりも先にお前たちは死んじゃいけない。それが一番の親不幸なことだ」と。
- mayumayu17
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3人の子供がいます。 食育については、とても関心があり、食事と子供の心の成長には、深く関係があるのではないかと常々感じています。 イタリアなどヨーロッパのほうが、家族一緒の食卓をいうものを大事にしているようですよ。 また、両掌を合わせて、いただきますというのは、仏教からきているのではないでしょうか。 主人の実家では、必ず、全員席についてから、手を合わせて、いだたきますというのが習慣です。 動植物の命をいただく、感謝するというところからも、きているのではないでしょうか。 その他、食育に関しては、参考にしているサイトがあります。 参考にしてみてはいかがでしょうか。 「食育のすすめ、キレる子供にしないために」 http://www.pappy34.com/
- 参考URL:
- http://www.pappy34.com/
普通の主婦です。子供は二人おります。 想像の範疇でしか答えられませんがよろしいでしょうか。 Q1について 食事は家族揃って食べるのが基本とされてきたのが日本の歴史だと思います。もちろん外国でも基本的にそうでしょう。 その家の主人の扱いは食事において特別で、家長や男性のみが別の食卓で食事をとり、おかずも特別にもう一品つけたり、他の家族(女子供)は下座の別の食卓で食べるという習慣が今でも地方によっては残っているようです。 毎日の食事という習慣の中でも家長への敬意(主人のおかげで食事が食べられるという感謝)を表した形なのでしょう。 また、最近は昭和レトロブームですが昭和30年代頃までは今の住宅事情とはかなり差があり、日本の庶民の住宅において家族は常に一緒の部屋で過ごすような形式でした。 極端な話、一部屋に家族4~5人が寝起きをしたのです。朝になれば布団をあげてちゃぶ台が置かれ食事をする。 つまり一部屋が寝室になり食堂になり客間にもなり居間でもあったのです。 そうして常に家族全員が顔をつきあわせながら暮らすような環境でしたから当然食事も一緒だったわけです。 家族のコミュニケーションがとても密だった時代です。誰も自分の個室など持っていない時代でした。 時代が移り住宅環境が整い、子供は個室を持つようになり、今では仕事に追われる親、勉強に追われ塾通いをする子供、と言う風に家庭環境も大きく変わり、別々に食事をとる「個食」がすすんでしまいました。 便利で立派な住宅環境つまり豊かさのために犠牲になった物の価値は大きいでしょう。 家族で同じ時間に同じ場所で同じ物を食べるというのは大変大きな意味があると思います。 食べ物というのは人間の体を作るだけに留まらず心を作る役割も果たしています。 家族という最小単位の集団において食卓の団らんというのはコミュニケーションにおいてなくてはならない役割を担っていると思います。 Q2について 根底には仏教のおしえからくる観念があると思います。森羅万象すべてのものに命が宿るという考えから、食卓に並んだ食べ物を口にするに至るまでのすべての過程に感謝の心を持つという形です。 作物を作ったり漁をする人、それを運搬する人、売り買いする人、料理する人、実に様々な経緯をたどって自分の口に入ることになった食物を前に感謝の念を持ちましょうという教えですね。 そうしてたくさんの人の手がかけられた物を食べることで心と体の両方が養われるのです。 そしてもう一つには前述したように身近な家長への感謝という意味もあるでしょう。 食べ物を粗末にする事は日本の家庭において最も厳しく禁止された、しつけの原点だと思います。 余談になりますが病気をして入院中のこと、配られる病院食は個々にベッドで一人でとるわけですが、同室のお婆さんが無言で誰に向かうでもなくきちんと手を合わせてから毎回食事をとる姿を見ました。 黙ってそれを見ていた私は感謝の心というのは実に美しいものだと胸打たれてしまいました。 その心を何とか子供達に教える方法はないかと毎日の食卓作りに心を砕いています。
- morino-kon
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Q2「いただきます」について。 ちょうどラジオで、永六輔さんが語っていました。 http://d.hatena.ne.jp/TERRAZI/20060122/p1 ものを食べるということは、何らかの命を犠牲にすることです。 動物であれ、植物であれ。 「いただきます。」というのは、 「あなたの命を、私にいただかせていただきますという意味があるそうです。だから、カロリーオーバーな方は、たくさんの命の犠牲の上になりたっているのだとか・・・。
お礼
この永六輔さんのお話を私はリアルタイムで聴いたことがあるので、よく知っています。 また、新聞にも投書されているのを見たことがあります。 リンク先のサイトはとても興味深く拝見させていただきました。 ありがとうございます。
- nature345
- ベストアンサー率15% (155/977)
こんにちは Q1.世界の団欒も日本に団欒も歴史的に時間の流れで大きく 変わりました。日本のバブル前確かにちゃぶ台でご飯を 食べる習慣がありました。バブルのとき日本人はエコノミック アニマルとまで言われ団欒は無くなり、リビングの無いと 聞くこともあります。 Q2.日本ではいただきます。各家庭で違うでしょう。習慣です。 お父さんが家長でおじいさんがいて、縦社会がこの習慣の 始まりのように記憶しています。最近は万物に感謝して いただきますと思います。 こんなんで参考になりますか。
お礼
遅くなってすみません。 回答ありがとうございます。
お礼
>>食べ物というのは人間の体を作るだけに留まらず心を作る役割も果たしています。 まさしくそのとおりだと思います。 昔から話題にあがっている個食・孤食の問題などもすごく気になります。 小中学生ぐらいまでなら、人格形成に影響を与えるかもしれないが、さすがに高校生大学生ぐらいまでになってくると、生活に影響を及ぼしてくるような気がします。 やはり、それだけ日本における食事および団らんというのは価値があるものだと感じます。 P.S. 加えて、日本における団らんの意味合いなども教えていただけると幸いです。