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キラキラした人の中に身をおいて生きることは、(だれにとっても)タダシイことだと思いますか?
*「誰にとっても正しいこと」なんてないし、時間とともに変わってくることは「頭で」わかっていても、今の自分はあえて遠回りしたり、失敗だとわかっていてそうすることはできません。今じぶんが正しいと思うことが正しいなんてうすっぺらなことでもない。自分自身も信じられないし、誰も支えてくれる人もいない。 ぼくは、弱い人の味方でありたいと「今現在」はそう思うのです!!! 平均、平凡すらいかずむしろすべてにおいて「平均以下」。なにかひとつでも特化した才能もない。そんな立場の「弱い」人の気持ちがわかる人でありたいと思うようになってしまった。自分の理想や夢が自分の才能や実力にあわず、失敗や挫折を繰り返しているうちに・・・。。(実際カチグミよりマケグミのほうが人口が多い気もします。) キラキラしている人といたら、「他人の痛みに」鈍感になってしまいそうで怖い。自分が成功したり、幸せになったらたぶんぼくはまた人の気持ちがわからない自分勝手な人間になって、自分の周りに誰かが居てくれなくなりそうなんだ。 でも、それは僕のあくなき向上心(や好奇心)を抑制し、人間としての成長をとめてしまうかもしれないので、これも怖い。どんなに人間として成長しても、自分が楽しくなかったり、幸せじゃなければ本末転倒だけど、人間として魅力があったり、輝いている人は幸せになれるのもまた事実ではないでしょうか? このまちがった思考回路に一石を投じてくださるような、ご意見ご感想をお待ちしています。 自分の人生設計の核となる部分なのでよろしくお願いいたします。
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- f0422
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こんにちは。 お若そうなのに自分がどんな人間になりたいか、を考えてられるのは十分キラキラした人だと私は思いますよ。 NO1の方への回答で >明るくて元気でさわやかで何かに夢中になっている人。また、粘着的性格ではなくあんまり深くいつまでも悩まないでさらりとしている人、めげずにフットワークがかるくて常に前進する気力を持っている人。 がキラキラしていると考えられているようですが、表面上↑のように見える人でも、実はモンモンと考えて苦しんでいたり、本当は笑ってられない状況なのに無理をしていたりする人も少なくないと思いますよ。 特に大人になると・・・。 あなたが思う弱い立場の方(私はそれが弱いとは思いませんが)でも目の前のことを一生懸命こなして、自分は幸せだと思えるキラキラしている人も少なくないと思います。 ようは、自分次第ということです。 社会的成功に幸せを求めるにしても、人格形成に幸せを求めるにしても向上心というものは必要だとおもいます。 自分勝手だった自分に気がついたからこそ、それを踏まえた人格形成を行いながら自分の求める将来へ向上心をもって進まれることがあなたの言うキラキラした人と成ると思います。
『弱い人の味方でありたい』と思われている質問者さんの気持ちが間違っているとは思いませんが、一石を投じて欲しいというご希望なので、あえて述べさせてもらいます。 それは、『同情するより金をくれ!』です。 誰だって人助けしていい気分になりたいですよ。でも、お金のかからない言葉だけの同情をもらっても、それって自己満足なんじゃないの?自分のことも幸せに出来ない人が、他人を幸せにする力があるとは到底思えません。自分の力に応じて、周りの人を幸せに出来たら、それで満足すべきです。まずは自分を幸せにしてあげなさい。余裕があればもう一人を幸せにしてあげなさい。まだ余裕があればその周りの人々を幸せにしてあげてください。 弱者の気持ちなんてわかってくれなくて結構です。匿名で寄付してくれたほうが助かります。それより、あなたが成功して財を成してからのほうがたくさん寄付してくれるんでしょ。だったら、まずあなたが成功してください。(家なき子)
- sakura-333
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もし質問者さんが輝いている人になったとしても、一度その痛みを経験すれば忘れる事はないでしょうから、恐れる事なく前に進んだらいいのでは? ただ他人の痛みに鈍感になってしまう時というのは、人を思いやる余裕がないからだと思いますよ。 人間として成長するにも、向上心や好奇心を抑制する必要は全くないですし、それによって自分が楽しくなかったり幸せでなければ、かえって人を思いやる余裕がなくなってしまいますからね。 それに、良い事も悪い事も含めもっとたくさんの事を経験をすれば、今よりもっと深く人の気持ちが理解出来るようになりますし、そうする事で人間として成長していくのだと思います。 その経験がないと、一時的に輝く事は出来ても人間としての魅力は出てきませんしね・・ 皆、明日はわからないものです。 勝ち組や負け組なんて言っても、長い目で見なければ本当の答えは出ませんし、外から見てわかるものでもないと思うんです。 どんなに幸せそうに見えていても実は満足していない人もいれば、たとえ明日死ぬかもわからない人でも、人の温かさに触れる事が出来て幸せを感じている人もいますから・・
- herohello
- ベストアンサー率33% (115/347)
まず、キラキラ度ってその正しい尺度、単位はないですよね。 誰からでもなく、自分にとってプラスになりうる存在の方ではないでしょうか。それが「今」社会的な弱者だとしても強者にもなりますし、キラキラがキラキラしなくなる。億万長者が有頂天になり投資に失敗したりして多額な借金を背負う。よって、私はいつも勝ち組、負け組なんて言葉は大嫌いだし、使いたくもない言葉です。 ある某大手企業の哲学に「私の会社も大きくなり社会貢献もしました、ただ死する時、肩書きもプライドもお金も何も持って行けず一人で皆、過去の偉人も旅立つのだと、そして、その後は後世に名を残し、本当に良い人だったと常に感謝されて旅立つことだと」言っていました。 確かに社会に出れば思わぬ窮地に立たされます。しかし、経験こそ財産です。誰か困っていても助ける術を知らなければ意味はないです。ただ、それを助けられるあなたの周囲に人がいれば、あなたは充分にその方を救ったことになるのではないでしょうか? ですから経験するには、やはり違う世界を見て目を養うなら、向上心、好奇心、行動力、探究心は必要でしょうね。 ただ、どこまで深入りすべきか?いつブレーキをかけるか?これを知らなければ暴走してしまいますよね。 人は失敗のほうが多いです、苦汁もなめなくてはなりません。そんなにチャンスが転がっているはずもないです。しかし、それを見逃さずに、質問者様の言うキラキラした人?ですか。をうまくキャッチしたり時には我慢したりして、あくなき挑戦もし、そして弱者への手を差し伸べる。 >、自分が楽しくなかったり、幸せじゃなければ本末転倒だけど、 これは一理ありますね。相手が不信に思いますから。楽しくもない、幸せでもない、ある程度のお金もないのに、何故彼はそうしているのか? ただ、程々で、相手への理解が伝われば問題ないですがね。家族を蔑にしてまで、出来ませんから。 まずは様々な経験、体験をして見聞を広めることからではないでしょうか?
- eroero1919
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中学生か高校生くらいかな?まあまだ自我が形成される途中ですね。 キラキラしている人の定義が分かりませんが、おそらく「社会的に成功している人」という意味ですかね。もし社会的に成功していなくても輝いている魅力的な人となるとあなたの文章のつじつまが合わなくなりますからね。 さて、勝ち組より負け組のほうが多い気がするというご意見はまさにそのとおりです。ひとりの勝ち組の影には大勢の負け組が存在します。例えば、スポーツチームで優勝したチームは勝ち組ですね。しかし、そのひとつのチーム以外は負けているわけです。まあ2位3位のチームは勝ち組といってもいいかもしれませんが、5位くらいだともう勝ち組には入れづらいですよね。 >どんなに人間として成長しても、自分が楽しくなかったり、幸せじゃなければ本末転倒 あのですね、まだ若いから気付かないのかもしれないですが、人間として成長しているときは自分が楽しかったり幸せだったりしますよ。もちろん、苦しいときに耐えて人間として成長したってこともよくありますけど、苦しくなきゃ人間として成長しないわけじゃないですからね。楽しけりゃ成長するわけじゃないけど、楽しく成長する方法もありますよ。 あとですね、すごい嫌なことを書きますけど、キラキラした(成功した)人たちと一緒にいると自分がダメになるというようなことを書いていますけど、こっちが一緒にいたいと思っても相手にされないってことがあるんです。 私はかつてすごくやりたいことがあって頑張っていたことがあります。そのときに一緒に同じことを勉強している人たちがいましたが、勉強している人たちにも温度差がありまして、一生懸命頑張っている人たちもいれば、そうじゃない人たちもいました。で、私は一生懸命頑張っている人たちとは積極的にお付き合いしましたが、そうじゃない人たちとはほとんど付き合わずに距離を置いていました。同じ夢に向かって頑張っている人たちと一緒だと刺激を受けて「俺も頑張ろう」と前向きになれますが、そうじゃない人たちと一緒だとこっちのやる気まで削がれてしまいますからね。だから、キラキラしている人たちって、付き合う相手も選ぶんです。ヒルズ族は決してネットカフェ難民と同じ席でご飯を食べたがらないと思います。嫌なことだけど、それが現実です。
私もよく、こういうことを考えてしまうことがあるので 私なりの考えを。 まず、ほんとうに「キラキラしている人」というのは、自分のことだけでなく周りの人間のこともきちんと考えられる余裕があるからこそ、輝いているように見えるのだと思います。 だから、自分が輝くことで、輝けない人の気持ちがわからなくなってしまうのでは?という考えを持っている質問者さんは、その時点で「大丈夫な人」だと思います。 これは自戒もこめて、なのですが こんなふうに「輝いてもいいのか?」的な思考回路になってしまっているときというのは 実は「輝いてる人の中でやってゆけるのか?」という、自分自身の気力や自信が減っているときなんじゃないかと思います。 お互い、本当の意味で「輝いてるひと」、目指したいですね(^^。
お礼
ありがとうございます(><) はじめての質問で言葉の使い方が的確ではなかったし、しかも抽象的な質問だったのでどんな回答がくるかびくびくして怖かったです・・・。でも、makicocco様のような優しい方が最初に答えていただいて、本当によかったです。安心しました!これでどんな回答が来てもたぶん大丈夫だと思います(苦笑) また聞き方、言葉の選び方で相手を不快にさせたり、自分の気持ちや考えが正確に伝わらないので、もっと心して質問しなければいけない。軽はずみにしては「逆に」自分が傷つくだけだということも学びました。 (決して今回の質問が軽はずみというわけではありません) 僕が思う「キラキラした人」というのは、明るくて元気でさわやかで何かに夢中になっている人。また、粘着的性格ではなくあんまり深くいつまでも悩まないでさらりとしている人、めげずにフットワークがかるくて常に前進する気力を持っている人。 ぼくが以前輝いていたときは、何かに夢中になっていたけど、何でもかんでも自分ひとりでやってやる、できるんだって心の奥底では思っていたんだと思います。なにかひとつに集中しすぎて周りがぜんぜん見えてなかった。だからmakicocco様がおっしゃるとおり輝いていたと思っていても、ぜんぜん他人への気遣いがありませんでした。意固地で傲慢。だから、僕は「本当に」輝いてはいなかったんですね。そして、こんな根本的「魂の在り方」だからこそ夢も破れたんだと気づかされました。(でも、まだ夢は完全にはあきらめてません。) 自信がない・・おっしゃるとおりです。と言いますかもっと根本にある絶対的自信、「自尊心」。自分という核を正常に保つもの。それが崩壊しているんだと思います。自分が深い「潜在意識」で絶対正しいと感じていて、その存在にすら気づかない根本的思考回路、価値観。それが崩れたんです。挫折を通して。 温かいお言葉ありがとうございます。