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若い頃の大きな夢や理想と今の現実
若い頃の夢を叶えられなかった方々にお聞きします。(バカにするつもりは毛頭ございません) 若い頃の大きな夢や理想(プロスポーツ選手や小説家、俳優、歌手、モデルになりたい、御曹司と結婚してセレブな生活を送る、綺麗な人を奥さんにしたい、大金持ちになっていい家に住んだり、高級車を乗り回したい等)と今の現実の違いを見て、どのように感じられますか? 「青かったなぁ(笑)」「若い頃は、とてつもない夢を見たもんだなぁ」みたいにいい思い出のようになっていらっしゃいますか? 「あぁ、夢を叶えられなくて悔しい、残念だなぁ」って引きずってしまっていらっしゃいますか? 気の合う人と結婚し、そこそこの収入(生活したり家族を養う収入ということになるんでしょうか?)は有って、子供も授かって家庭円満である、のようないわゆる平凡な幸せの生活(失礼でしたら申し訳ありません)と、大きな夢を叶えた大スターの豪華絢爛な生活のどちらが幸せかなんて、一概には言えないものでしょうか?「少年よ、大志を抱け」とも言いますが、「幸せか不幸せかなんて、自分がどっちと思うかで決まる」というような言葉もありますよね? この辺について、人生の先輩方々のお話をお聞かせ下さい。 若いうちから、こんな風に言うのもむなしいかも知れませんが「少年よ、大志を抱け」「夢は、叶うと信じて努力し続ければ必ず叶う」と言っても、大志を抱いている人間の大多数が、(例えば、いつか自分の才能がスポットを浴びるんだ)のように、信じ続けても結局夢破れて、若さと時間を無駄(本人としては、自分は夢に向かって挑戦してダメだったのだから、無駄ではないし後悔は無いと思うかもしれませんが)にしてしまうのが厳しいながら現実でしょうし、夢を叶え豪華絢爛な生活を手にしても、平凡な幸せとどちらかが幸せかいえないのなら、よっぽど自分の才能に自信が無いなら、平凡な幸せを狙っていくほうが賢明でしょうか? 長文になり申し訳ありませんが、宜しく御願い致します。
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>平凡な幸せの生活と、大きな夢を叶えた大スターの豪華絢爛な生活のどちらが幸せかなんて、一概には言えないものでしょうか? それはそうでしょう。 ちょっとマニアックな話題かもしれませんがサッカー日本代表の加地選手が子供が生まれた際に、 「あなたの息子にもサッカーをやらせて、将来は日本代表になってもらいたいか?」というマスコミのインタビューに対して「サッカーをやりたいならば止める気はないが、この大変さ(体力的にも精神的にも相当な重圧)を息子にまで味わって欲しくない」 という主旨のコメントをしてました。 今の自分(加地選手)の境遇を両手離しで「幸せだ」と断言出来るとすれば、こういうコメントはしないでしょう。 >「幸せか不幸せかなんて、自分がどっちと思うかで決まる」というような言葉もありますよね? 客観的に見てどうか?という第三者の評価を別とすれば、幸か不幸かを決めるのは常に自分自身の価値判断でしょうね。加えて言えば「大志を抱く」の「大志」の部分もそれぞれでしょうね。何もプロ野球選手や芸能人になりたいと思うことだけが大志とは限りません。 >夢を叶え豪華絢爛な生活を手にしても、平凡な幸せとどちらかが幸せかいえないのなら、よっぽど自分の才能に自信が無いなら、平凡な幸せを狙っていくほうが賢明でしょうか? もし叶ったとして、「幸せだ」と思えないような夢ならばそれは夢というものを根本的に勘違いしているか、大した夢では無かったか、どちらかではないですか? ただし、夢(目標)叶ってから「大した事ではなかった」「予測出来ない大変さある」という事に気付くことはあると思います。 それは良いとしても「平凡な幸せ」って何ですかね?(笑) プロ野球選手や芸能人の幸せは平凡な幸せではない、という定義があるのでしょうか。 質問者の中で「平凡な幸せを狙う」というレベルがどの程度の内容のものかは一切不明ですが、他人から見れば全く平凡ではないものかもしれませんし平凡以下かもしれません。 この手のテーマは言葉の定義のコンセンサスが取り難いので、非常に難しいです。「夢」「豪華絢爛」「平凡」「幸せ」全ては個人がどう思うかです。 ちなみに私の家の便所は洗浄便座に替えて豪華絢爛になりました。
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- tomban
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>よっぽど自分の才能に自信が無いなら、平凡な幸せを狙っていくほうが賢明でしょうか? 世の中には「平凡でありきたりな生活」すら出来ない、もしくは「保証されていない」人間もいっぱいいるんですよ。 あんまり目には見えないけどね。 私は大それた夢を見たことも無いし、実現のために身を粉にして働いたこともありませんが、それでもそれなりに「幸せ」だと思っています。 「平凡な」というには「正直足りない」くらいの、どちらかといえば「貧しい生活環境」ですが、幸いなことに助けてくれる方々に支えられて生きていますから「不幸せ」と思ったことは無いですよ。 失礼ですが、私はあなたの中に「慢心」を見ます。 また、同じように「理解の不足」というものも感じます。 人間は「夢」ばかりで生きているのではありません。 「夢の実現」なんてものは、所詮「結果」でしかなく、非常に現実的なものでしかないのです。 更に言えば「平凡な生活」というものも然り、です。 「現実的」という意味においては、どちらも「同じようなもの」であり、どちらも現実的なものでしかありません。 更に言えば「平凡な生活」だって、何があって崩壊するか知れない「リスキー」なものであることを、あなたは知る必要があります。 そうしないと「まさか!!」という目にあいますよ。 考えてみてください 「老病愛苦」と言う言葉を知ってますか?。 これが「人生」というものの「凝縮された姿」です。 「老いること、病になること、愛すること、苦しむこと」 それらは必ずいつか「前触れ無しで」訪れます。 「平凡な生活」とやらは、いきなりの「アクシデント」で崩壊してしまう可能性があります。 「夢」を持っていたとして、それが実現したとしても同じ運命が待ってるかもしれないのです。 あなたの言ってることは「予想論」でしかなく、またとても「浅薄」なものであることを認識する必要があります。 人生とは、そのように「簡単な」ものではありません!!。 「バカにするつもりは無い」とおっしゃっているようですから、それは信じますが、このような質問の記述の仕方では、私でなくとも良好な回答は望めないでしょう。 他人に相対する場所は、このように「顔が見えない」ということもあるのが最近の現状です。 「お互いの顔が見える場所」でも、あなたは同じように他人に対して質問をしますか? 多分、それはしないでしょうね。もし、同じようなことを素で聞いて、その人が機嫌が悪かったならば「殴りつけられる」かもしれませんよ。 「言葉は十分に選んで、相手の心理を察して」お話されることを望みます。
補足
申し訳ありませんでした。おっしゃるとおりです。自分が至らなかったと思います。出だしの「若い頃の夢を叶えられなかった方々」と「平凡」というフレーズは特に良くなかったと思います。悪意は無かったのですが、失礼致しました。 ただ、「お互いの顔が見える場所」では、できない質問なので、この場で質問させていただけたらという気持ちも有りました。