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鳥山新三郎を御存知ですか?
初投稿です! カテゴリーここでいいんでしょうか? 幕末の志士?鳥山新三郎を御存知の方はいらっしゃいませんか? たった今偶然、司馬遼太郎の「世に棲む日々」を久しぶりに再読した所、房州の百姓上がりの学者鳥山新三郎。と記述がありました。 色んな検索ページで検索してみましたがこの人の来歴がわかりません。 少し前に幕末にハマって随分読んだつもりなんですがこの人物に記憶がありません… しかも、房州って、我が故郷千葉の事ですよね? 戦国、幕末と人材の乏しい?って勝手に思ってた我が千葉にそんな人が!って驚きがあって是非この人物が知りたいです!!! あ…、房州って千葉でいいんですかね?(今更大前提でスイマセン) 他にも歴史上の千葉の偉人が居たら教えて下さい! 宜しくお願いいたします。
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No.2です。 鳥山新三郎の項、 平凡社「日本人名大辞典」による。 No.1の答えのURLには無い情報の記載あり、例えば剣術の達人とか。 また「千葉県百科事典」にも別な記載あり。 「千葉県史」のような本を探されたらどうか。
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- Pinhole-09
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鳥山新三郎 安房国 七浦村 大川 生まれ。 千葉県生まれの歴史上の偉人。 常識的な人ばかりですが時代順に 千葉常胤(つねたね) 平安時代の下総権介(守の下)、源頼朝の挙兵に応じて大軍を率いて参加し、重要な役を果たした。 のち上総守護に任ぜられた。 日蓮上人 安房の誕生寺近くの生まれ。 日蓮宗の開祖で元寇の国難を鎌倉幕府に説いた。 里見義堯(よしたか) 戦国時代の安房の里見氏五代の中で、最も活躍し、安房、上総を領し北条氏と争った。 伊能忠敬 上総生まれ佐倉へ出て酒屋を隠居後、測量学を学び幕命で初めて正確な日本全図を作成した。 この全図が元でシーボルト事件が起こった。
お礼
有難う御座います!! 安房国 七浦村 大川 生まれ。 うわぁ~今で言うどの辺だかわかんねぇ~ でも、より興味が湧きました! この人の事をもっと知りたいんですが何か助言下さい! ネット上では鳥山新三郎でアマゾンやら図書館やら検索かけたんですがヒットしません。 いい手はないですかねぇ?
有名人ですよ。 名は正清または景清、字は子幹と言い、義所・確齋・冢峰・蒼龍軒・關以東生はその号なり。松陰等よりは独眼流と綽名(あだな)されたらしい。阿波の農家宇山孫兵衛の子なるも、表面は旗本溝口十郎家来と称す。蓋し血縁関係があることによる。幼にして志を立て江戸の東條一堂に従学し、兵を加藤瑞園に学ぶ。嘉永元年30歳頃江戸鍛冶橋外樋町河岸に私塾を営む。嘉永4年松陰江戸に遊学し、この人の許にて、来原良蔵・井上壮太郎・土屋蕭海・同恭平・中村百合蔵の長州藩士、羽後人村上寛斎、肥後藩士宮部鼎蔵・松田重助・永鳥三平・佐々淳二郎・薩摩藩士胆付七之丞及び南部藩士江庶ッ五郎等としばしば会し劇談高論せり。嘉永6年第2回江戸遊学の時はこの家を寓居と定め、金子重之助も後に来り投ずるに至る。安政元年3月松陰・金子重之助踏海の挙敗れて獄に繋がれると、しばしば金品を贈り、自らも亦連座して溝口氏の邸舎に幽せられ、押し込み罰を受け、50余日にして赦される。安政3年7月29日病没する。享年38歳。松陰は別後も書信を往復したがその訃報を聞いて哭詩を作り、又江庶ッ五郎をして碑銘を草せしめ、同志と建碑のことを話し合う。明治45年従五位を贈られる。 安房の国は房州と呼ばれ、上記の「阿波」は「安房」の書き間違いかと思う。 千葉県の南部ですね、阿波ですと徳島になりますから。 「江庶ッ五郎」の「庶ッ」はパソコンには無い文字ですから、回答には当て字を用いました。
お礼
有難う御座います!! 有名な人みたいですね… 私が読んだ本にも何度か登場しててもおかしくはないんですが物語の中心的な扱われ方はしてなかったのかもしれません。 ご存知の小説(主役でなくても)や文献がありましたらご教示下さい。
お礼
有難う御座います。 今度図書館なりで探してみます。 小説だとやっぱり松陰関係のものに出てくる事が多いんでしょうね その辺りももう一度漁ってみます。