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風水や陰陽師
ふとおもうのですが、東京が首都となった現代でも町のみならず 人的にも影響力が強い京都ですが、そして、いろいろな面でも人気がありますが、 その反面、過去に都であったはずのナラは 現在の京都と対比すると色々な面でいかがなものかなと言う感じなんですが、 (大坂のベッドタウン状態、ビートたけしも秋刀魚をばかにするとき、 このナラの田舎から出てきやがってなんていってました。企業や人的にも やはり地方色そのものにみえます。)るのですが、 風水や陰陽師じゃないですけどやはり何か“栄える”という “磁場”というか“人が定着する”というかなんともいえないのが 足りない感じ(笑)なんでしょうかね? 仮にも歴史上の首都だったのですからね~
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こんにちは。 確かに奈良は首都であったことがありますが、京都のそれに比べるとずっと短いので、文化の成熟具合のようなものもかなり違うと思います。 京都は「千年の都」などと言われますし、地元の方々には「ついこの間までこっちが都だった」という意識があります(何しろ京都人は「先の戦争」と応仁の乱のことを言うそうですから)。 奈良は確かにかつての文化が残るところではありますが、都が去ってしまってから時間が経ち過ぎていますよね。 都市計画自体が時代の影響もあって未熟だったとも言えるのでしょうし、あのように山に囲まれたところは「都」であってこそある程度栄えるのであって、そうでなくなってしまえば忘れ去られても仕方ありません。 京都も盆地ですから危ないところでしたが、何しろ日本を縦断して走る「大動脈」新幹線が通っていますし、それまでも水運などによる物流があったお陰で「置いてきぼり」を食わずに済んだようなところがあります。 奈良は明治期に一時「大阪府」の一部になってしまったころもあるくらいで、確実に新しい時代に乗り遅れてしまった感がありますし、その影響で「府」への昇格を望む声があったにも拘らず叶いませんでした。 加えて地理的な不利もある訳ですから、奈良に往時の繁栄を見るのは難しい状況なのも無理はありません。 京都と同じ年数奈良にも都が置かれていたならそれなりに培われたものもあったでしょうし、良い勝負だったかもしれませんがそれでも地理的な不利は否めなかったでしょうね。 そう考えると京都は確かに風水などにも基づいて巧みにつくられた都であるのだなと改めて思えてきたりもします。
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- First_Noel
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素人意見です. 人口が増えたことと産業の構造が変わったせいもあるでしょうね. 今の価値観で昔の都の重要性は計れない,と言いましょうか, 私だって,更に昔の首都,吉野や斑鳩に行ったときには,ここが!?と言う想いでした. また,京都は,当時絶大な権力者が居ましたからね,強引なところもあったのかも. あと,宇治川の存在は大きいと思いますよ.伏見に港なんてと思いますが, タンカーじゃなければ,十分,京都は水運が発達していたと思います. まぁこういうのを地政学的にまとめたのが「風水」ですから, たぶんまさしく「風水」でも扱って良かった命題だったと思います. (いまのちまたの風水はオカルトめいた部分や人をみかけますが・・・) 結局は,権力だけではダメで,街を栄えさえるのは産業で,それを支えるのは物流なんだと思います.