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日本の  歴史じょうの人物で 映画

日本の歴史じょうの人物で、映画 300(スリーハンドレッド)の スパルタの王のような 人物を あげるとしたら 誰がいるでしょうか?

みんなの回答

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.4

おっ、まだ上田城攻防戦について書かれていませんね。 慶長5年、中仙道を伝い関ヶ原に向かう徳川秀忠軍3万8千は、行きがけの駄賃にと真田昌幸が籠もる上田城を攻めました。対する真田軍はわずか2千。 数に勝る徳川軍は攻め立てますが、地元住民の協力も得た知将真田昌幸の変幻自在の指揮にすっかり翻弄され大損害を出して上田城を攻略できなかっただけでなく、肝心の関ヶ原の合戦に間に合わないという大失態を演じてしまいましたとさ。

Tora888
質問者

お礼

参考にします。ありがとうございます。

  • caesar-x2
  • ベストアンサー率46% (251/542)
回答No.3

テルモピュライの戦いのようなものならば 楠木正成/正行親子(およびそれぞれ兄弟)が一番ぴったりでしょうね。 湊川の戦いと四條畷の戦いは、ちょうどデルモピライのように 足利側の兵力が誇張されているし、太平記というストーリーもあるし ま、古典的講談だし。 あるいは真田幸村(信繁)なんかもいいかな。大坂夏の陣。 個人としてレオニダスみたいな感じになった人といえば 弁慶でしょう。有名ですな。 または片手千人斬りの土屋昌恒なんかもいいね。 彼はあまり有名ではないが武田の最後を飾った天目山の戦いの 武勇伝は知っている人は知っている。 テルモピュライもそうですが、 これらすべてに共通するのは講談や歌舞伎、劇作、小説に 描かれて虚飾された形で後世に知られているということです。 要するに、すべては事実と少し違うか、派手になっているということ。 ま、劇的なことで有名だから劇になりうるんだけどね。

Tora888
質問者

お礼

参考にします。ありがとうございます。

  • phantom1
  • ベストアンサー率24% (184/748)
回答No.2

寡兵で大軍に対峙し、巧みな戦術と地の利を活かして善戦するも、敵の戦術転換によって窮地に立たされ、なおも徹底抗戦して壊滅。 テルモピュライの戦いをスパルタ側視点で要約するとこんな感じでしょうが、同じような戦い方をした人物として、咄嗟に「河井継之助」が思い浮かびました。 戦国期では、上州長野一族の長野業正などがそれに近いですかね。彼の場合は戦死ではなく病死ですが、武田信玄の軍勢を六回も撃退している人物です。息子に「敵に降伏する位なら討ち死にしろ、それが自分への最高の供養だ」と言う意味の遺言を残した位ですから、かなり激しい性格の人だったようです。

Tora888
質問者

お礼

参考にします。ありがとうございます。

  • taishi1
  • ベストアンサー率34% (9/26)
回答No.1

鬼のように強い武装集団のリーダー、という意味なら戦国時代の武将・島津義弘こそその人かと。 テルモピュライの戦いでは7千のギリシャ連合軍(このうちスパルタ重装歩兵が300人)と約21万のペルシア軍が戦い、ギリシャの戦死者1000人以上、ペルシアの戦死者20000人以上とされているようですね。 似たような戦いを日本史に求めると1598年の朝鮮半島で起きた「泗川の戦い」でしょう。島津義弘率いる7千の薩摩兵が明・朝鮮連合軍の大軍(約4万とも20万ともいわれ諸説あり)と戦い敵に壊滅的打撃を与え潰走させたといいます。この時の島津軍の死者は約200人、明・朝鮮連合軍の死者が約4万~8万だそうです。あまりの強さに震え上がった明軍は「鬼石曼子(おにしまづ)」と呼び恐れました。その後かの地では子どもが泣くと「シーマンズーが来るよ!」と脅かして黙らせたとか… また島津義弘は関ヶ原の戦いで、わずか数百の兵で雲霞のごとき東軍の大軍に飛び込み敵中突破もしています。いったいどれだけ強かったのか…ほとんどバケモノといっても過言じゃないですね。 他にも戦国時代最強と謳われた越後の上杉謙信・甲斐の武田信玄の軍も無茶苦茶強かったですから挙げてもいいかも知れません。信長もこの二人が恐ろしくてならず、信玄・謙信にはプライドかなぐり捨ててひたすら平身低頭してましたし、家康は信玄と戦ってタコ殴りされ恐怖のあまりウンチ漏らしちゃったくらいですからね…

Tora888
質問者

お礼

参考にします。ありがとうございます。

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