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受動態と能動態

Mr. Brown teaches us English.と言うのと We are taught English by Mr. Brown.と言うのと English is taught to us by Mr. Brown. と言うのでは どのようなニュアンスの違いがありますか?

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回答No.6

アメリカに住んで40年目になりました。 何か私なりにお手伝いできるのではないかと思います。 まず、過去分詞が形容詞になっているものと本当に受身のフィーリングを出したい時以外は受動態の表現方法を避けるのが普通になっています。 知っておいて損はない文法知識です。 日本の英語教育ではとかく能動態と受動態の変更方法だけを教えその変更方法が方程式的に正しければOKとされがちですね。 つまり、強制されている「文法」と呼んでいる使えない試験文法が今回の疑問が出てくるわけです。 よくこのカテゴリーでも読みますが、「文法的には正しいですが使われません」と言う表現がありますね。 おかしいと思いませんか? 正しいとされる表現が使われない?  これって、もしかしたら、正しいとする基準自体が間違っているとは感じませんか? 基準自体が間違っていれば正しいことでもか違っているとなりますね。 試験文法がその部類に入るわけです。 本題です。 この三つの表現方法は試験文法的には正しいのでしょう。 (私は試験文法のことは知っていますが価値がないと信じていますのでどうして正しいのかは説明いたしません) しかし実際の英語から見ると、使うのは#1しかありません。 ほかの二つはまず使わない表現なのです。 よって、この二つの表現を使うとどういう意味合いになるか、と言う考え方は浮かばないわけです。 違和感を感じさせる表現だとも言え人がたくさんいるのは理解できることなのですね。 ワードに含まれている文法ガイドやこちらの表現方法ガイドブックなどにははっきりと受動態を使うことを避けなさい、と言っているのはちゃんと意味のあることなんですね。 ビジネス文書を書くときにも受動態にした文章には赤旗が上るわけです。 We are taught English by Mr. Brown.とEnglish is taught to us by Mr. Brown. と言う表現は受動態のフィーリングが試験文法学者さんが信じて疑わないほどの人間的フィーリングを出していないのです。 つまり、何を強調しているか、と言う事ではないのですね。 これらが使われるときは、We are taught English by Mr. Brown.は受身のフィーリングが出てくるわけですね。 つまり、「教わった」と言うよりも「教わられた」、強制的なフィーリングが出てきてしまうわけです。 ブラウン先生には教えてもらいくなかったけど授業をとらなくてはならなかった、とか、ブラン先生が教える英語を習わされた、と言う感じですね。 ですから、「受身」なのです。  English is taught to us by Mr. Brown. 習いたくもない英語を習わされた、と言うフィーリングですね。 これも本当の意味での「受身」ですね。 つまり、Mr. Brown teaches us English.の持つ自然な、ブラウン先生が私たちに英語を教えてくれています、と言うフィーリングは受動態ではどうやっても出て来ないのです。 じゃ、どうしたら、#4さんがかかれた例訳のフィーリングの違いを出すかと言うと、ほかの文法の知識を使うのですね。 その知識とは、読むときに強調したい部分を強く発音する、と言う簡単な方法なのですね。 これはちゃんと学校で教えてくれますね。 つまりこの使える文法を学校で教えてくれているわけです。 だから文法は大事なのです。 #4さんのを便宜上使わせていただくと(コピペさせていただきました)、こうなります。 (1)私達の英語を教えたのは、「ブラウン先生だ」と強く表現したければ、日本語でも括弧に入れたように、"Mr. Brown" teaches us English.と書いたり、引用符に囲まれた部分を強く発音する事で達成できるわけですね。 (2)ブラウン先生に英語を教えてもらったのは、「私達だ」であれば、Mr. Brown teaches "us" English.となるわけです。 (3)私達がブラウン先生に教えてもらったのは、「英語だ」であれば、Mr. Brown teaches us "English".となりますね。 しかしこの三つとも受身のフィーリングは出ていないですね。 試験文法で、この三つの日本語を英訳しなさいと言う問題が出てきたときに、本当に、このような#2・#3の文章が試験文法学者さんが作るとなるとおかしいと思うのは私だけでなく、試験文法学者さんも思っていると思います。 なぜなら、この二つの日本語文を英訳するときには違う構文の文章を使うだろうと推測するのです。 ではこの二つはどう表現するのが普通だろうかと言うと、 (2)私たちはブラウン先生に英語を教わっています、はWe are learning English from Mr. Brown.となります。 (3)英語はブラウン先生によって私達に教えられています、はIt is English that we are learning from Mr. Brown.とかIt is English that Mr. Brown teaches us, もう少し簡単にEnglish is what Mr. Brown teaches us. English is what we learn from Mr. Brown と言う表現になるわけですね。 どちらの表現でも、日本語でも英語でも#2でも#3でも、受身のフィーリングはまったくないですね。 何を強調しているのか、どんなフィーリングを相手に伝えたいのかちゃんと出ている表現なわけです。 つまり、learnはteachと反対の意味にはなるけど受身表現ではないわけです。 言い換えると、learnはbe taughtではないのです。 基本的な文法知識ですね。  受身は受身なのです。 単なる動作の方向精を出しているだけではなく心理的なフィーリングさえも出てしまうわけです。 #5さnの言う犠牲者的フィーリングが出る、と言う事なのです。 もうここで5年間同じ事を言っているのですが、このように使えない、おかしいとネイティブが思う文法を教えてきているから、日本の高校卒業生ほとんどが英語がわからないと言うし、英語を使えない人が英語の先生として存在しているのです。 何十億とも言える犠牲者が出てきている一番大きな要因がこの試験文法なわけです。 まさしく、The Japanese students have been TAUGHT the useless part of English grammer.と言う受身的、犠牲者的表現はまったく問題なく使える、と言う事でもあるのですね。 参考になりましたでしょうか。 理解しにくいところがあったり追加質問がありましたら締め切る前にまた書いてくださいね。 (なお、私が書いたことはこのカテで5年以上書いてきたことであり、私個人の信じることです。 私と違う考えを持っている人たちとその人たちのご回答を批判しているわけではありません。 しかし、もし何かの理由で気を悪くさせてしまいましたらお詫び申し上げます)

その他の回答 (5)

noname#47281
noname#47281
回答No.5

大きく違いますよ。最初の文が普通です。2番目の文のように間接目的語を主語に立てて受動態にするのは なるべく避けた方がいいですね。3番目の文は文法的には間違っていませんが、あまり使いません。これは文法というより 意味論の問題なんですが、2番目の文は「私たち」が英語を強制的に習わされている犠牲者というニュアンスを感じますし、3番目の文は何となく不自然さを感じます。これもうまく説明できないんですが、これだと、「私たち」に英語を教えているのは ブラウン氏しかいないような感じがします。

  • Parismadam
  • ベストアンサー率65% (2756/4211)
回答No.4

こんにちは。9/26のご質問以来ですね。 ご質問: <どのようなニュアンスの違いがありますか?> 置かれているポイントが違います。 1.英語は大切なこと、言いたいことを最初に持ってくるという特徴があります。 2.1番目の英文のように、能動態の文では「主語+動詞」が大切な主張となります。つまり、ここでは「ブラウン氏が、教えた」ということが骨子で大切なポイントです。「私達に」「英語を」というのは、その骨子を修飾する目的語といった修飾的な役目になります。 3.2、3番目の文のように、受動態の文では、受け身になっている動詞の部分にはポイントは置かれません。わざわざ受け身の文にしてまで、主語を「We」「English」と置いているということは、重点を置きたいのがそれぞれWe、Englishということです。 4.つまり、1番目の文ではMr. Brown teachesに、2番目ではWeに、3番目ではEnglishにそれぞれ焦点があてられた英文となっているということです。 例: (1)私達の英語を教えたのは、「ブラウン先生だ」 (2)ブラウン先生に英語を教えてもらったのは、「私達だ」 (3)私達がブラウン先生に教えてもらったのは、「英語だ」 ということを強調したいのです。 以上ご参考までに。

  • martial
  • ベストアンサー率37% (55/145)
回答No.3

基本的に意味に違いはありません。 ただひとつ言えるとしたら、主語は強調されて聞こえます。 Mr. Brown teaches us English. はブラウン先生を強調し、 We are taught English by Mr. Brown. 私達を強調 English is taught to us by Mr. Brown. 英語を強調 それぞれ捉える意味は同じですので、何に強調を置くかが読解時に与える印象が違いますね。 それぞれ直訳すると分かりやすいですね。 (1)ブラウン先生は私達に英語を教えています (2)私たちはブラウン先生に英語を教わっています (3)英語はブラウン先生によって私達に教えられています 英作文などで、何を強調したいか自己判断で構いません。 ちなみに、3文とも間違いじゃありませんので、ご心配なく。 よろしくお願いします

  • taked4700
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回答No.2

No.1です。Germany ではなく、German です。失礼。

  • taked4700
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回答No.1

受動態はあまり使いません。必要がある場合だけ使うと考えてください。 では、どんな場合かと言うと、 1.前後の文脈で、視点を統一するため。They learned Germany... など人を主語にした文脈があるとき、We are taught English... が使われます。同様に、教科目が主語になっている文章が続いたときは、English is taught to ...が使われるわけです。 2.文末強調の必要があるとき。前後の文章で、「誰が誰に~した。」という話題が展開されているとき、先の文章を受けて、A: Greene taught us Germany.... B: I heard you were taught by Mr.Black. などと話題を続ける場合。 などです。 なお、Mr. Brown teaches us English.とMr. Brown teaches English to us. でもニュアンスの違いがあります。前者の方が英語を身につけたと言う感覚が高いなどです。