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カール・マルテルについて
フランク王国のカールマルテルが何故、王位につかなかったのか?このことに詳しい方、どうか教えてください。よろしくお願いいたします。
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鎌倉幕府の北条氏が、なぜ執権の地位に留まり、将軍とならなかったのか? 魏の曹操が、魏王の地位に留まり、皇帝とならなかったのはなぜか? こういった質問と同じで、実際のところ後世の我々は、各種の資料や情勢分析などから推測するしか手がありません。 カール・マルティルの場合も全く同様です。 カール・マルティル時代のフランク王国の状況を調べてみてください。 当時のフランク王国は、統一国家ではなく、二つの国家アウストラシア(現在のドイツ)とネウストリア(現在のフランス)の分裂国家でした。 完全な分裂国家でもなく、同君連合であったり、別々の国王をいただく国家であったりしてた王国でした。 カール・マルティルは、そのうちのアウストラシアの宮宰の地位にありました。 マルティルは、ネウストリアを征服し、実質的に統合しますが、この段階では、あくまで宮廷の統合にとどまり、両国は、実質的には別々の国家システムで運営されていました。 その二つのフランク王国において、両国の宮宰となったのが、マルティルの子ピピン(3世)です。 こういった情勢を見てみますと、マルティルの時代では、まだ全フランク王国の統一、王朝の交代条件が満たされていなかったと思えます。 ピピンもフランク王位を得るにあたり、フランク国内のカトリック対策や教皇対策を次々に行っています。 それにより、カロリング家の王位取得の支持を得ています。 逆に言いますと、カトリック対策を行わなかった場合、カロリング家がいかに力を持っていようと、国民などの支持が得られなかったともとれます。
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