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カール大帝の話してた言葉は?
フランク王国のカール大帝/シャルルマーニュは、自分ではどんな言葉を話していたのか、時々気になります。単純に「フランク語」≒ドイツ語の先祖と思っていたのですが、フランス語だと聞いたこともありますし(俗ラテン語のこと?) 彼の孫の代には、「お互いの軍勢が分かる言葉、古フランス語と古ドイツ語で文書を読み上げた」なんて話も読んだので、少なくとも民衆の言葉は分かれていたんでしょうね。 カール大帝の場合は、民族としての言葉はフランク語でも、自身は領土の西側で使われていた俗ラテン語≒フランス語の元もできた(かむしろそっちを好んだ)バイリンガルだったんでしょうか? そもそも私、今のフランス人がどの程度フランク族の子孫なのか(当時も支配階級だけで、ケルト系や他のゲルマン民族が多かった?)とか、フランス語がいつ成立したかもきちんと知りません。あるいは「歴史」に該当するかもしれませんが、どなたかぜひ教えて下さいm(__)m
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シャルルマーニュについての一級史料はやはりEinhardusの「カロルス大帝伝」でしょう。邦訳あり(エインハルドゥス 著「カロルス大帝伝」國原 吉之助 訳注 筑摩書房)この25章に「彼は母国語と同じくらいにラテン語を話すことができた」とあるので、明らかな反証がないかぎり一応それを信じていいのではないでしょうか。ここでの母国語ですが、一般的には古フランク語と言われています(異論もあるようです)。ラテン語の方ですが、現在教室とかで死語として学習されている古典ラテン語ではなく、古典ラテン語の基準からするとかなり堕落した中世ラテン語で、ヨーロッパでは広く共通語として話されていました。ただシャルルマーニュはその堕落したラテン語にいささかコンプレックスを持っていたのだはないかと思われ、あるアルクィンを始めとする高名な学者を宮廷に呼びラテン語の正書法と発音を正させようとします。カロリング朝ルネサンスと呼ばれる、文芸復興運動を指揮したのです。シャルルマーニュについては日本語のWikiはお粗末ですが、英語のWikiにはカロルス大帝伝の原文、英訳へのリンクまでついており参考になります。monogramの写真も出ています、彼が署名も満足に出来なかったほど無学であったなど考えられないことです。「書くのは苦手であった」とかあるのは正統な古典ラテン語が書けなかった(たぶんそのことを恥じていた)ということでしょう。
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- Big-Baby
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次のフランス語で書かれたフランス語史ののサイトにシャルルマーニュが話した言葉について明確な言及があります。 http://www.tlfq.ulaval.ca/axl/francophonie/HIST_FR_s2_Periode-romane.htm これによると、彼の母語はfrancique rhenan(ライン・フランク語)となっています。興味深いのは、彼の宮廷で話されていた語はおそらくこのライン・フランク語とラテン語であったろうと書かれているところです。ラテン語とはもちろん中世ラテン語のことです。 俗ラテン語は教養のない民衆が話していた言葉で、この言葉による記録はほとんど何もありません。シャルルマーニュの頃にはこの俗ラテン語は原ロマンス語に近づいていたことでしょう。俗ラテン語はロマンス語によって取って変わられますが、中世ラテン語の方はこの後もルネサンス期に至るまで何百年間全ヨーロッパで使われ(話され、書かれ)続けました。 ロマンス語、俗ラテン語の位置づけですが、次のHPにわかりやすく図示されています。シャルルマーニュの頃成立していたと思われるのはProto-Gallo-Romance(原ガリア・ロマンス語)でしょうか。 http://www.orbilat.com/Languages/Romance/Proto-Romance.html
お礼
再度のご回答ありがとうございました。残念ながらフランス語は読めないのですが、ライン・フランク語というのはライン下流の辺りで話されてたフランク語の方言かな、と思いました。 中世ラテン語というのは教会ラテン語とほぼ同義だとネットで見ましたが、彼自身が復興させた古典ラテン語に近い言葉を宮廷で使わせたということなのでしょうか、面白いです。となると、彼はバイリンガルどころかトリリンガルだったのかもしれませんね? 民衆の言葉であるロマンス語もできた気がしますから。ラテン語の一部と考えていたかもしれませんが。 俗ラテン語とロマンス語の違いの解説と、ロマンス語の系統図も大変興味深く拝見しました。こんなにも多段階に枝分かれしていたとは驚きでした。でも、それぞれの土地にいろんな基礎語や他言語の影響があったでしょうから、とても納得できました。 今回の質問を通じて、もともと興味のある分野でしたが、言語の歴史についてもっといろいろ勉強したくなりました。改めて感謝します。
- anapaultole
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補足事項にお答え致します。 >teuton ≒ deutsch のラテン語(や英・仏)形? この単語は、ラテン語のTeutonus(複数)Teutoni (単数)から派生してきた フランス語の単語で、意味は、ご賢察の通り古い時代のドイツ語です。 >ロマンス ≒ 俗ラテン語 という理解でも? と言うより古フランス語とお考え頂いた方が宜しいと思います。 フランス史(乃至はフランス語の歴史)を学ぶと、彼の孫の間で取り交わされた (ご質問で記述の)。「ストラスブールの誓約書」(842年)がロマンス語(古フランス語)と チュートン語(ゲルマン語、古ドイツ語)にて書かれて、これが、現存するロマンス語の最古の文献とされております。 http://park1.aeonnet.ne.jp/~memoria/strasbourg/serment.html#serment ここにその原文(チュートン語は一部と和訳を添付しておきますので、ご覧下さい。 最後に。 >「ヨーロッパの父」、いい呼び名ですね。 当時は Pater Europae、 Europa vel regnum Caroli(ヨーロッパ、それはCharlesの王国)とか呼ばれていたようです。 このような歴史に思いを馳せると、大陸は色々あるも 一つではないかと考えさせられます。
お礼
ストラスブールの誓約書関係の解説ページ、興味深いものを見せていただき、ありがとうございました。本当に労作ですね。お礼が遅くなり申し訳ありません。 地の文が多分ラテン語で、引用符で囲われている片方がロマンス=古フランス語、もう片方がチュートン=古ドイツ語なのですよね。 フランス語の知識は残念ながらないので比べられませんが、後者は私が習った現代ドイツ語とは全然違う感じで面白いです。断片的に似た感じの単語はいくつかありますが。 ところで、ドイツ側の王の名が「ルイ」となっていますが、この誓約書関係の記述の通例なんでしょうか。フランス語では当然そうなるとは思いますが、やや違和感があります。ラテン語やロマンス語?でも、どちらかというと「ルードヴィッヒ」に近いつづりのような気がします。 おそらく2人は祖父同様にバイリンガルだったんでしょうけれど、兄弟同士で実際はどう呼び合ってたのか、想像してみるとますます興味深いです。 いずれにせよ、カール大帝/シャルルマーニュの王国は今日の西ヨーロッパの主要国を作ったわけで、中世の区切りでもあるようですし、とても重要な時代だったんだな、と改めて思いました。ありがとうございました。
- anapaultole
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ヨーロッパの父と言われる彼は、バイリンガルです。 生まれは現在のベルギーワロン行政区の首都であるリエージュで 彼は、ご指摘のように古ドイツ語(チュートン語le teuton)と ロマンス語(le roman)を話しており、ラテン語は読め、多少ギリシア語も分かっていたようです。 残念なことに彼は書くことが苦手で、彼が全幅の信頼を寄せていた修道士Eginhardから モノグラムとの記号を学び、それで署名していました。 これらは、修道士Eginhardが彼のことを詳述している書物で明らかになっております。 ロマンス語(ロマン語とも)に関しては、添付のサイトをご覧下さい。 http://park1.aeonnet.ne.jp/~memoria/lingua/linguae_romanae.html
お礼
anapaultoleさん、ご回答ありがとうございます。「ヨーロッパの父」、いい呼び名ですね。 やはりバイリンガルでしたか。お陰ですっきりしました。 ベルギーのワロン行政区というと、今でもフランス語 (ワロン語) 地域ですよね。 ラテン語・ギリシア語の知識もあったとは、なかなか教養の深い王様だったのですね。 この辺の用語は難しいです(汗) チュートンとロマンスという2つの名称ですが、 teuton ≒ deutsch のラテン語(や英・仏)形と思っていいのでしょうか? ネットで見るとゲルマンの総称のようでもある (北欧語も含むと書いているHPなどもあって…) のですが。 ロマンス ≒ 俗ラテン語 という理解でも? この時代はけっこうまだ共通していてお互いの話が通じ、参考ページのようなロマンス諸語に分化するのは少し先なのでしょうか。
お礼
Big-Babyさん、ご回答ありがとうございました。エインハルドゥスの本の和訳、ぜひ探して読んでみます。 えっ、カルロス!?スペイン語?と思ったら、カロルスでしたか(汗) カールのラテン語形ですか、ヨーロッパの名前はいろんな形があって面白いです。彼のことは英語では Charles the Greate かと思っていたのですが、最近ではフランス語形の方をよく使ってるのでしょうか。 日本語の Wiki はチェックした(私には結構勉強になった)のですが、英語の方がずっと盛りだくさんですね。じっくり読んでみます(英語を読むのはちょっと遅いので) フランク語にも”古”が付くのですね。この辺の用語は難しいです。俗ラテン語というのも中世ラテン語の方がいいのでしょうか。後世のラテン系諸言語と違い、まだまだかなり共通していたのですね。 カロリングル朝ネッサンスのことを読んで、私も彼はけっこう教養があったんだな、と思いました。読めても正確に書けない (からためらう) という人もたくさんいますよね! ましてや中世ですから、完全に書記任せという王侯貴族も多かったでしょうし。