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「めあて」という言葉を小学校で使われることに違和感を感じます
「今日の運動会のめあてはクラスのみんなで協力して何かをやり遂げることです。」「今月の算数のめあては2ケタのたしざんが出来るようになることです。」 うちの子供の小学校に限ったことかもしれませんが、目的とか、目標と言う言葉を使わずに「めあて」と言います。 何となく違和感を感じます。目当てと言う言葉は社会ではもっと違うニュアンスでとらえるからです。一般社会ではこのような使い方はしません。目的、目標と言う言葉が難しいというならせめて「狙い」とか他に適した言い回しがあるのではないかと思います。 そこでお伺いしたいのですが、このめあてという言葉を小学校で使うのが全国的な風潮であるとしたら、いつ頃から、どなたが広めたのでしょうか。 そのように指導されているのでしょうか。 それはゆとり教育の影響を受けての事でしょうか。(ゆとり教育が見直されれば目当てという言葉も使わなくなりますか?) ご存知の方がいらっしゃれば教えてください。 また、全然違和感を感じない、自分も違和感を感じている等のご意見も ありましたらお聞かせください。
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- blue_clouds
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こんにちは。何年も経ってから発言してすみません。 私はNo.7さんの感じ方に近い、でも年齢は40代です。 地域柄もあるのでしょうか? それとも、私が30年以上前の事を覚え違いしてるでしょうか? 普通に教室で「学級会で今月の「めあて」を決めましょう」なんて使われてました。 学年があがるにつれ、目標とか色々言い換えたり、 代表委員会で「高学年では目標と言うけど、低学年も分かりやすいように「めあて」という言い方をしよう」と決めたり。 結局、世間一般では使われてない言葉なので、 「めあて」なんてひらがなにしても分かりにくいんでしょうし、誤解のもとかもしれませんね。 ニュアンスとして「金目当て」「体目当て」とは全く違って、ほんと教室用語「めあて=目標」って感じでした。 「ゆとり教育」とは全く違うように思います。 というか、なんでもかんでも「ゆとり」のせいにしないで~ って感じです。
- princelilac
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冒頭の例文を一読した時点では違和感は感じませんでした。相手が小学生で、運動会や授業を話題にしている純粋な教育の場での言葉ですので、ニュアンスもそれに応じた解釈をして、そのままスルーしてしまいそうに思います。 しかし、「金が目当て」「体が目当て」という言葉遣いをすると、急に大人の胡散臭さが漂ってきます。その点からのご指摘でしょうか?年齢相応に言葉も成長し、深さや厚みを増していくものではないでしょぅか? 質問とはずれますが、小学校の先生にも漢字の間違いが多く見られることがあったり、カタカナの「シ」と「ツ」を区別して書けない場合があるようです。
- mininote
- ベストアンサー率24% (29/120)
なんとは無しですが。とくに根拠もありませんが。 「めあて」の意味は短期的な目標な感じがします。 今日の昼食の「めあて」はあります。たぶん先輩がおごってくれます。 長期的な目標 人類が火星に行く「めあて」はありますか?とは聞かない気がします。 教育に短期的な目標設定をすることに違和感がある気がします。 そうでもないか。短期的な目標を積み重ねることも大事だし。 目標は何か最終的な大事なことがらに使うことで、それに向かうための小さい目標を「めあて」の感じがします。
本当は、質問者の方のお礼の部分に、納得して「役に立った」に一票投じたかったのですが、その欄が無いので、ここで一票入れます。 私は四十代半ばですが、同様にすごく違和感を感じました。テレビでも、書物でも、自分の通っていた当時の学校でも聞いたことがありません。おそらく当時の学校で、目標の意味で「めあて」と言ったら、教師にぶん殴られただろうと思います。 目標と言う言葉は、かなり抽象的な言葉で、ひょっとすると明治以降の言葉かも知れませんね。当時は法律用語等新しい概念を説明するために、漢籍などからそれまで使われていなかった言葉を無理矢理引っ張り出して、新しい意味に使った時代ですから。だとすると、目標は漢語、めあては和語と言うのは成り立たないかも知れません。 とりあえず、語源の見当ですが、めあての意味に「的」とあるので、弓道の用語かと思って調べましたが出て来ませんでした。 その後、種子島(鉄砲)の照準の意味に転用されたのでしょうか?目を当てて(接触させて)、的を狙うから「目当て」と言ったのかもしれません。この照準の感覚だと、「目当ての女」と言うのは、「目をつけた女」という意味にとれやすくなるように思います。「狙う」のですね。私にはこの感覚が最もしっくりきます。 あと、案外、方言だったりするのかも。 まあ、素人の当て推量で役には立ちませんが、私はどうしても、「めあて」については、「照準」の感覚から脱却できません。従って「今日の売り上げのめあては」とは、絶対に恥ずかしくて言えません。
- anachronism
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「一般社会ではこのような使い方はしません」とはいっても、どちらが正しいのかは別の問題です。 辞書で調べてみると、 「五キロをめあてに減量する」 <大辞林 第二版 (三省堂)> 「だれに頼めばいいかめあてをつけておく」 「就職のめあてがついた」 <大辞泉> などという用例もありますし、それ以外の辞書を検索しても、世間一般で多用されているニュアンスが、本来の意味であるという形跡はありませんので、学校の先生の使い方のほうが、むしろ正し使い方なのかもしれません。実際、決して悪い意味ではなく使うケースも、学校に限らずしばしば目にします。 たとえば、本来の意味とは違う使われ方をしている事の多い「情けは人のためならず」という言葉もあります。自分は、学校は言語に関しては保守的であるべきだと思いますから、世間がどうかよりは「本来の使い方」をするほうがいいと思います。 NHKの「ことばおじさん」に聞いてみたいですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 NHKのことばおじさん。いいですね。是非取り上げて欲しいです。
違和感は感じますね。 境域関係者筋で使われている「めあて」を、子供のいる現場にそのまま使ってしまうといった、 何も考えていない先生がいるようです。 「目的」「目標」という言葉が子供に対して難しいから、といった理由が聞こえそうですが、 逆に難しい言葉でも、何回も使っているうちに子供たちは文脈からその言葉(「目的」「目標」)の意味を類推するようになると思います。 そういった「考える力を付けさせること」が真の教育だと、私は思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。御礼が遅れましてすみません。 自分だけが感覚がずれているのかなと思ったのですが、違和感を感じていると回答いただく方が多く、ホッとしております。 教師がこうしたことになんら疑問を感じていないのだとすればそれは大変危険な状況だと思います。子供の国語も言葉遣いも、常識も教えるのは先生なのですから。回りがそうだからで慣れてしまうのであれば、現状に疑問を抱かせようとしない戦時中の軍隊となんら体質は変わらないようで怖いです。 自分の学校ではめあてなんて言葉は使いませんよ。という小学校の方がいらっしゃればぜひその学校に通わせたいです。
- juzu-juzu
- ベストアンサー率17% (9/51)
何度もごめんなさい。 先ほどの回答もごめんなさい。 回答の削除依頼の方法を検索してたら、ご質問と同じ内容の過去質問に出会いました。 もうお調べ済みでしたら、申し訳ありませんが、念のため。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2940537.html 目当てという言葉が小学校以外でも、「目標・目印」として遣われることもある、ということですので、ゆとり教育と同時に見直されるということもないのでは?と推測します。 先ほどの回答はイヤミを含んでしまい、本当に申し訳ありませんでした。 お役に立てれば幸いです。
お礼
参考URL読ませていただきました。色々と調べていただきありがとうございます。 「今週のめあて」とか言うのですか。やはり自分としては「今週の目標」とか「今週の課題」の方がしっくりきますね。 何となく「目標」のほうは 達成するために何とか努力しようという強い意思が伝わってくるのに対して、「めあて」は 的が散漫というか、一応気にかけてね。出来たらいいね。みたいな曖昧さ、未達成であっても悔しさがあまり残らないようなマイルドな感じがするというか… それで ゆとり教育の余罪か!とも疑ってみたのですが。(そうではないようです。) 自分が小学校の頃には(もう40年近くも昔ですが)めあてという言葉はつかってなかったように記憶するのですが。
- juzu-juzu
- ベストアンサー率17% (9/51)
NO4です。 >また、全然違和感を感じない、自分も違和感を感じている等のご意見も ありましたらお聞かせください。 とありましたので、ご協力させていただいたつもりでした。 余計なことでしたようで、大変失礼いたしました。 「賞金が目当てで試合に参加する。」(お金がほしい=欲求、自然にわきあがるもの) 「優勝を目標に試合に参加する。」(欲求というより願望、意識して立てるもの) 欲求とは心の中に自然に生まれてくるものです。 なのでこの「めあて」という言葉には、子供たちに、「ごはんが食べたい」と思うのと同じように、自然に、当たり前のこととして、 「みんなと協力して何かをやりとげたい」、「2ケタの計算ができるようになりたい」と思ってほしいという教育者の願いが込められている・・・なんてことはないですよね、きっと(笑) またお礼とばしに遭うのはさみしいですので、ちょっとムリヤリこじつけてみました。
お礼
何度もご回答いただきまして恐縮です。 けっして意図的にお礼飛ばしをしたわけではありませんが気にされたのならすみませんでした。 自分も「めあて」という言葉には何かネガティブなイメージを持っております。 金めあての結婚とか… 内心、自分と同じような感覚でとらえている方がいてホッとしているのです。 どうやら小学校の教員ではごく普通に使う言葉のようですが、そのような先生方も最初(教員になりたてとか、教育実習とか)は違和感を覚えたのではないかなと想像しています。 他の職業とは違って、子供に正しい言葉遣いや国語を指導する立場なのですから、子供への影響を配慮しないのかなと疑問に思った次第です。
- harikiki
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ご質問を拝見して、「はぁ、なるほど」と思いました。 と言いますのは、このご質問を拝見するまで、小学校でいう「めあて」が、「○○目当て」のそれと同じだと思った(感じた?)ことがなかったのです。 なんとなくですが(なにせ深く考えたことがなかったので)、「めあて」は「めあて」というひとつの決まった単語(用語)だと認識していたようです。 その理由を考えてみましたが、 ・小学校以外で「めあて」ということばを「目標」という意味で使ったところがなかった。 ・小学校では「目当て」と漢字表記されたことがなく、つねに「めあて」とひらがな表記であった。 というあたりで、学校用語(学校ではこう言う、的なもの)だと勝手に解釈してたのかなぁ、と。 あと、小学生の頃は、「めあて」に「(達成すべき)目標」以外の意味があることを知らなかった。というのもありますね(大人が違和感を感じるのに、子どもは当たり前のように「めあて」と使えるのは、この辺に理由がある気がします)。 そういう意味では「違和感感じない派」です(でも、そもそもが同じものであると考えたことがなかったので、違和感を感じようにも感じられなかったわけなのですが)。 ゆとり教育との関係をご指摘ですが、もともと教育現場は、独特な(普遍性に乏しい)言い回しや用語が多いように感じます。ゆとり教育が見直されても、社会全体として、「“めあて”いう言い方は相応しくないんじゃないか」という声が大きくならないうちは、「めあて」が「目標」へと変わるのは難しいのでは?と思います。 まぁでも、考えてみれば、「めあて」ということばを主体的に使っていたのは小学校の中学年くらいまでで、学校側の言い回しの変化(「めあて」→「目標」と学年が上がると変わっていたと思います)に合わせて、自分が使う「目標を意味することば」も変わったように思います。なので、大人になってまで「目標」を「めあて」と言う心配はないと思いますよ。 お考えの足しになればよいのですが。
お礼
ご回答ありがとうございます。文面を察するに教職かそれに近い仕事に就かれておられる方のようで、貴重なご意見ありがとうございます。 対象となる子供の年齢にあわせて めあて や 目標をきちんと使い分けておられるのであれば、親がそれほど危惧する事もないですね。
私は24歳ですが、 小学生の頃には「めあて」を当たり前のように使ってましたねー。 だから…小学校1年生だと17年前ですね。 確かに改めて考えてみると、 大人になって「~めあて」と使うのは不純なニオイがするときだけですよね(笑)。 かといって、 「今月の目標は○○にして、△△をめあてにしよう」 と言われてもそこまで違和感は感じませんね。 すぐ慣れてしまいそうです。 ゆとり教育の悪影響ですかね!?(笑)
お礼
ご回答ありがとうございます。 やはりゆとり教育も影響しているのでしょうか。 めあてとすることで数値化をあいまいにして序列をつけないようにするとか。
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お礼
ご回答ありがとうございます。やっぱり恥ずかしいですよね。 語源までさかのぼって色々ご調査いただいたようでありがとうございます。