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[期待感] [不安感]とは?
- 「~感」という名詞化する風潮について、質問者は好意的でない立場を取っている。
- 「期待感」や「不安感」という表現方法に疑問を感じており、他の表現方法もあるのではないかと考えている。
- 市民権を得た言葉であるが、この表現に違和感を持つ人は一定数存在するのではないかという質問をしている。
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質問者が選んだベストアンサー
NO-1ですが補足します。 >前後のセンテンスですが、こうでした。 [「きちんと仕事をすれば将来は保障されている」と、誰もが自分の未来に対して無条件で明るい期待感を持つことができました。] [子供の頃からずっとそのような漠然とした不安感を持ち続けていたとしたら、その不安感自体が彼らの性格形成、人格形成に大きな影響を与えていることは想像に難くありません。] 確かに言葉を濁すためにもそうしているのでしょうが、上のような文章を見ていると[「期待を抱く」「不安に感じる」等のように後に続く言葉が違うものは、「~感」としてしまってから両方「を持つ」と書くほうが楽でそうしているのだろう]と考えていましたがこれについてはどう思われますか。 文章の作意は、その方の語意への拘り・ニュアンスの違う言い回しが現れているのだと思います。 推測ですが、期待と期待感あるいは不安と不安感は、その人のTPOでの使い分け、感性では違うのではないでしょうか・・・ その場合の作者の語彙の中での区分け、対象や動作に汎用性『遊び・幅』のある表現として〇〇感を使っているのではと思います。 期待:当てにして待つこと、心待ちにすること 期待感:期待を自分自身が感じること、漠然とした可能性の高まり、願望 不安:気がかり・心配 不安感:不安な感じ(兆しを感じること)・ また、自らの立場を意見を出来るだけ無難に変更可能な意見にし、後々の事態の推移や変化に備え意味を強弱を調節出来る『安全・逃げ・可変化性』を意図&無意識に自己防衛的な意味を持つ用法・表現のようにも思います。 >そうしてどちらかと言えば楽をするために用いられた言葉が専門家やジャーナリストの間で権威を感じさせる言葉として使われているというのがどうもしっくりきません。 新聞は字数制限の問題だと思っています。 そうでしょうね・・・ 無謬・正論・勝ち馬を意図し、安全牌として、後々の推移によって、今日の意見が将来の失言・誤りに繋がらないようにする※心理。 ※『謝罪や自己批判を極端に恐れる心理』 前言と変わる事態や世間の合意形成・世論が・・・そのような事態に至っても態度や意見の変更に耐える&可能な様に、曖昧さ・微妙な幅やウイングの意味で、自己の意見・文章に保険(フイルター)を掛けてるのでは無いでしょうか?
その他の回答 (2)
「期待感を持つ」と「期待する」は、違いますよ。 「不安感を持つ」と「不安になる」もです。 二つの言葉の間にある幅、わからないかなあ?
お礼
[気にならない]ということですね。 回答ありがとうございます。
- lions-123
- ベストアンサー率41% (4360/10497)
>[期待"感"] [不安"感"] 質問:上の言葉をどう思いますか。 見返せるはずの活字でそれを使われているのにも疑問を感じます。 新書になると苛立ちさえ覚えます。 ↓ 言われてみれば、本アンケートを読んでみて、なるほどと、言葉の意味とニュアンスや感じ方を意識しました。 私の受け止め方は・・・言葉も文章も発し表した瞬間からは過去になるので、変化の激しい時代や心理の中で[期待"感"] [不安"感"]にはケースバイケースで良いと思います。 <ある時は優柔不断や曖昧さになるが、一方で優しさ・謙虚さ・寛容さにも成るのでは> ◇進行形・兆し・先行きの変化を意識・暗示している表現だと思います。 これが価値観やコメントで、固定・普遍的な主張・評価・表現の場合は“感”は不要,使わないと思います。 ◇このような曖昧さ・微妙な逃げ『将来の否定や変更への可能性を示唆』は、主体的に断言&断定する事を回避し、客観性を装う『多くの人の意見であり感想であり評価を代弁するかの』意図や心理があるのでは・・・ 似た使用例としては、「考えて見ましょう」「考えさせられます」にも、私は主義主張・評価審判を明確にしない曖昧さ・角を立てない・出来るだけ目立たず傍観者的な立場をとりたい心理が感じられます。 ◇これは、その言葉の前後のセンテンスや会話の流れを知らないと、一概には分かりませんが、ムラ社会や狭い国土の中で肩を寄せ合い仲良く暮らして来た農耕民族のDNA、日本人『日本語』の優しさ・和・異文化交流(新旧・和洋・建前と本音)の知恵が働いていると思います。
お礼
回答ありがとうございます。 [気にならない]ということですね。 前後のセンテンスですが、こうでした。 [「きちんと仕事をすれば将来は保障されている」と、誰もが自分の未来に対して無条件で明るい期待感を持つことができました。] [子供の頃からずっとそのような漠然とした不安感を持ち続けていたとしたら、その不安感自体が彼らの性格形成、人格形成に大きな影響を与えていることは想像に難くありません。] 確かに言葉を濁すためにもそうしているのでしょうが、上のような文章を見ていると[「期待を抱く」「不安に感じる」等のように後に続く言葉が違うものは、「~感」としてしまってから両方「を持つ」と書くほうが楽でそうしているのだろう]と考えていましたがこれについてはどう思われますか。 そうしてどちらかと言えば楽をするために用いられた言葉が専門家やジャーナリストの間で権威を感じさせる言葉として使われているというのがどうもしっくりきません。 新聞は字数制限の問題だと思っています。
お礼
丁寧な回答ありがとうございます。 期待と期待感の違いについては分かりました。不安感については釈然としましせん。 慣れそうにはありませんが、少なくとも苛立ちを覚えることはなさそうです。 この回答を見て1番に感じたことはタイトルの表現が多くの人にとってなんら不思議でない..というよりも産まれる前からそのような表現があったかのようだということです。 きっとそうなのでしょう。小説に親しんできた私には単に馴染みのない言葉だったということだけなのかもしれません。 どうも「期待感」や「不安感」は、「安心感」と違い比較的新しくできた言葉に見えるのです。 「このような書き方もできる」というのは、「違和感」と違い「感を必要としない言葉だった」とも言いたくてそう書きました。 No.2で言葉の違いが分からないのかとありますが、あれは文末を変えれば如何様にもできます。 私はよく今回のように日本語についての質問をします。「言葉は変化するものだから仕方がない」と誰かの請け売りをそのまま書いたような一文で終わりにする回答者が多いなか、こうではないかと分かりやすく説明しようとしてくれるlions-123には感謝の念を覚えました。 再度お礼を申し上げます。