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日本の教科書ってお金かかってないことないですか?

 ごくたまにアメリカの教科書の分厚さなどの話を聞くと、日本の教科書があまりに貧弱であると思うことがあります。先進国内で見ても、日本の教科書水準は学生が楽しく興味を持って学べる努力をしていないのではないのでしょうか。  もちろん内容が必ずしも貧弱だとはいいませんが(英語などは必ずしも悪くはないと思います)、あまりに機能重視しすぎているように思います。たしかに薄くて軽い、持ち運びしやすいという利点はあるものの、学生時代は教科書を見てもいっこうに興味がわきませんでした。  これは問題集レベルなどでも大きな差があるように見えます。日本は視覚的な絵や図柄、写真のものを極力避けて教科書・問題集を作る傾向があります。たしかにコストは削減できるでしょうし、機能的で機械的です。でもこれでは勉強は日本の多くの学生にはただのストレスです。  海外の教科書事情に詳しい方など、日本の教科書はどうでしょうか?このままで良いのでしょうか?

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noname#45430
noname#45430
回答No.1

 今の公立小・中学校で使われている教科書は多色刷りで、写真も大きく載っており、とてもカラフルです。ただ、大人が見ると、目がチカチカします。また、写真などに重ねて印字してあるため、ラインマーカーやアンダーラインを引いても分かりにくくなっています。また、学習参考書で十数ページを割いている重要な単元が、隅のたった一行で済んだことになっていたりして驚きます。  戦前は、身分や財産によって進む学校のルートが異なり、特権階級は帝大などにほとんど無試験で進めたのとは対照的に、庶民は原則的に中学校の入試ではじかれ、上に進むことは無かったと思います。  戦後は憲法の平等原則により(というか戦勝国の監視の下で)、誰でもその能力に応じて教育を受けられるようになりました。ところが、身分が表面的に撤廃されたのに代わり、学歴が職業の差の根拠となりました。曰く、彼が仕事もせず何の実績も挙げないのに、どんどん出世するのは彼が東大を頂点とする一流大学を出たからだ、です。  でも、これでは既得特権を持っていた階級の人は困りますね。そこでこのような人の子弟が有利な仕組みが作られてきたのですね。  その一つは、いまひとつよく分からない内容の教科書です。分かるためには、学校の授業を真面目に受けるだけでは足りないようにしたのです。私立校が戦後伸びたのはこのためです。つまり、教育指導要領を再構成して、分かるようにしたので、いい上位校に進学する生徒が多くなったのです。ラ・サールも灘も最初から優秀な生徒が集まるがっこうだったのではなく、カリキュラムの差が出発点だったはずです。  もう一つは習得に金がかかる英語の入試の際での重視です。英語教育を多感で恥ずかしさの最も強い思春期から始めるのはこのためです。中学の英語の時間に英語で話すのは恥ずかしくはなかったですか。また、海外に住んでいれば子供でも話せますが、国内ではその機会を金で買わなければなりませんね。貧乏な庶民は、海外生活を送ることも(これはエリートの子弟ですね)、高い金で英語の教育を受けることも出来ませんね。  最初は、かつての特権階級の子弟が、順調にいい大学に行っていたのです。国立附属校では指導要領とは異なる合理的教育が施されていましたしね。  ところが、優遇すれば怠けるもので、そのような特権階級の子弟が本当に勉強しなくなったので、差が縮まってきました。また、どんなに分かりにくい教科書にしても、南方熊楠のように一度見ただけで全部理解する化け物が少数は存在し、さらに教科書を分かりにくくする必要が生じました。  そこで、今では、公立校(ごく一部の教育重点校を除く)では、入試に必要な内容の一部しか教えないと変わってきました。どんな大天才でも知らなければ分からず、問題も解けませんからね。今、東大の合格者の九割以上は中高一貫校(国立、私立が大半ですね)の出身者で占められています。  戦後日本の教科書は、特権階級の既得権を保護するための「分かりにくさ」の歴史と言って良いでしょう。  従って、あなたがエグゼクティブならば、あなたの子供はどんなボンクラでも超一流大学へ行けます。どんな優秀な子でも、庶民の子弟である限りライバルになり得ません。  よく考えられた制度です。文部科学省は優秀です。ただ、さすがに現場でもあまりに使いにくいのか、トンでもなく分厚い副教材を何冊も買わされます(義務教育は無償という憲法の文言は死文化されています)。今の子供は、30年前の三倍以上の荷物を毎日持って通学させられています。かわいそうなことです。分かるカリキュラム・教科書にすれば今の十分の一程度の量の荷物で済むでしょうに。  親に権力がないために国立附属へやれない私を許しておくれ、学費が払えないから私立にやれない私をゆるしておくれ。そのために、特権階級のバカ子弟の風下に立たざるを得ない教育しか与えてやれない私を許しておくれ。庶民の親はそう子供に詫びざるを得ないのです。  

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回答No.4

子供たちの教科書も、自分のも残してますが、、 紙も印刷も、説明も他の同じような規模の本に比べると とても中身が充実しています。 ページを繰るのもスムースに行きますし、 大した技術と情報の精査の元で出来上がってるのではないでしょうか・・ ただ。。。 昨今のように公明党ユダヤ政商政権が、 幅を利かせてきてからは、 何にせよ、 実質品質落ち、 種類の減少、 高価格化が進んでるように思えます。。 最近は分かりませんが・・

  • nisigamo
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回答No.3

教科書の定価は、文部科学省告示で定める定価認可基準において、教科書の種目別、学年別に最高額を定め、この範囲内で文部科学大臣が認可しています。したがって、この範囲で採算のとれる内容で編集が進められます。義務教育課程では、教科書費用を国が負担しているので、コストを高くしたくない国の意向があるとは思います。 日本の教科書は評価されている面もあって、アメリカで日本の算数教科書が使われている記事がありましたので、リンクしておきます。

参考URL:
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20060719ur01.htm
回答No.2

いえいえ、日本の教科書代は、大変高価ですよ。 ただ、ほとんど独占状態なうえ、無意味に検定を行って、内容の斉一化を図っているので、ああいう教科書になるのです。 「新しい歴史教科書を創る会」の創った教科書が採用されない第一の理由として、出版社の営業活動と、癒着があるそうです。 PTAが採用を求めても、拒否されたという報道があったくらいですから。

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