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神経症的登校拒否について
神経性的登校拒否と怠学は、どうちがうんですか?
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- 1458371994
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http://hutoukou.huuryuu.com/ こちらに神経症的不登校について書かれてありました 参考にどうぞ
- Lantern
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言葉の意味する事柄はその使われている状況で変化します。現在の教育、行政一般では「不登校」という言葉で以前の登校拒否といっていた事柄を表現します。これは、以前の教育を受ける為に学校へ行くことが正常な人間の常識であり、行かないことが異常であるという定義が変化してきたからだと思います。現在でも「不登校」は問題行動であるとされていますが、以前は心の病気でした。 例えば現在では、欠席日数が多い者の内厳然とした理由がある者(身体疾患外傷等)を除いて、残る者が問題行動の調査対象者です。そしてその内、これといった原因が本人にも思い当たることがないように見受けられる者を「怠学」と名付けています。「神経症的登校拒否」と言われることもある事態は本人にその自覚があることが前提となっています。登校しようとすると発熱、体のどこかの痛み、のぼせ、動悸等の心身症状がでることが典型とされます。 無理に心理学的に区別すれば、「怠学」は性格改善、 「神経症的登校拒否」は薬物療法から心理療法までを含めた対処療法の対象にする区別の仕方といえます。
- HTsumakura
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この分野についてはまだ自分も勉強中の身なので、あくまでもご参考程度に読んでいただきたいのですが、「神経性的登校拒否」と「怠学」との主な差は、以下のようになるのではないかと思います。 まず「怠学」ですが、これには様々な原因が考えられます。文字通り単に「怠けている」場合もあるでしょうし、あるいはイジメなどの深刻な理由があって、そこから逃げるために学校に行くことを「怠る」場合も考えられます。「怠学」の「学」の字を他の文字(例えば仕事や職場を表す言葉)に置き換えれば、この「怠ける」「怠る」ということが一部の人だけではなくて、誰の身にも起こりうることだとわかります。 次に「神経性(症?)的登校拒否」のほうですが、もちろんこちらも誰の身にも起こりうることですが、一種の病気として考えることができます。心因的原因(ストレスなど)がもとで神経症にかかり、その結果として登校拒否になってしまうというものです。三省堂の「大辞林」第二版によると、次のように定義されています。 しんけいしょう【神経症】 心因によって起こる精神障害。不合理だとわかっていながら現れる強い不安や強迫観念・抑鬱(よくうつ)・ヒステリーなど種々の症状のため自分自身が苦しむ。ノイローゼ。精神神経症。 つまりこちらの登校拒否は病気のあらわれの一つということになりますが、病気であるぶん、前述の「怠学」に比べると深刻な問題です。例えば「イジメに遭うから学校に行きたくない」というのは、それ自身は必ずしも病的ではありません。そう感じることは、むしろ正常な反応でしょう。この時点ではカウンセラーの介入は役立つかも知れませんが、セラピスト(臨床師)による治療は必要ではありません。しかしこれが、 学校に行くとイジメられる だから、学校はこわい。 したがって、どこの学校であろうとも、行きたくない。 ということになってくると、若干病的な様相が見られます。イジメに遭ったのはある特定の学校の中でのことのはずなのに、全ての学校でイジメに遭うように感じてしまう。このように非論理的な観念にとらわれてしまうと、カウンセリングが必要でしょうし、日常生活に支障をきたすほど深刻な場合は、セラピストによる治療も必要になることもあります。 あと「心が原因で怠学につながる」ものとして、「心身症的怠学」というのがあるのではないかと思います。これは、心的ストレスが理由で身体の異常(例えば学校に行きたくないと思っている子供が、登校前に下痢にかかる、等)が起こり、そのため「だから学校に行けない」というものです。学校に行かなくてよい、となると、その症状が急に緩和するというのが特徴です。この場合もカウンセラーによる介入が有効であると思います。 以上、私の考え得る範囲でお答えさせていただきました。御参考になれば幸いです。
お礼
アドバイスありがとうございます。 本人の自覚の有無によって区別されると言うことは、 やはり実際にははっきりした線引きは難しいんですね。 そう言えば、「不登校」も最近ですよね、浸透したのは。 参考になりました。