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ほにゃらか形而左右学 「ちから」
「ちから」に関して、哲学的考察が可能か、という質問です。 一般に、「ちから」といえば、物理学です。 重力・磁力といった、「ちから」の分析、慣性の法則の発見、などなど。 それと、生理的な「ちから」も、熱量として、生物学や栄養学、などなど。 ところで、人間は社会的動物と言う事で、必ず集団を作ります。 他の動物も、集団を形成しますが、人間の作る社会の制度は、特別です。 そこで、この社会を必然的に構成する「ちから」これが謎です。 この、社会を構成する「ちから」は、物理学上の力の様に、考察の対象になるでしょうか。 「精神のエネルギー」つまり「思考する力」 あるいは「ちからの総合」も視野に入れて、 今回の考察の、足掛かりについて、なんでも教えてください。 以下で検索した結果、 "社会力学" "力の分析" に一致するページは見つかりませんでした。
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お礼
完璧な回答ですね。 背中から、シャツの中に氷を投げ込む、悪戯もお見事。 「抽象化の問題」は、私も気に成っていて、質問文も、やや及び腰なのですが、あらためて「問題」を整理していただけ、大変参考になります。 (1)物理的力・(2)生理的力・(3)精神のエネルギー・(4)個人の力・(5)集団の力 自己流で五つの力に分けてみましたが、コント・デュルケーム以来、※A「全体はその諸々の部分の総和とは異なる別のものである」と、社会的制度を具体的な研究対象としての実体として、考えているようです。つまり、上で区別した、五つの力(順番が正しいと仮定して)は、両端から実体としての研究対象となっています。「ちから」に関して、二つの方向から分析していくと、トンネルを掘るみたいに、うまく開通するかもと、期待をしているのですが。 制度と「ちから」の同一性は、これも一つの問題ですが、無関係ではないでしょう。 とはいえ、「物理的力」も「ジュール」以来、もう一つわかりません。数値化するのは便利なのでしょうが、「ちから」そのものから、「ちから」の軌跡、跡、結果を見ているような。 「社会的力」も数値化すれば、同様な、二重の抽象に成りかねないのでは、と、思ったりもします。 そもそも、「ちから」の存在論が、(2),(3),(4),(5)では、曖昧なのかもしれません。 ただ、※Aは、力の両端、「物理学」のブラウン運動、或いは有機化学の分野でも成り立つのでは、 と仮定して、ジタバタと、考えております。 数値化で押し切るのか、逆に押し切られるのか、どちらになるのか分かりませんが、参考になりました、有難うございました。