歴史とは即ち「解釈」です。
(完全な再現性がないので、部分的に可能な限り再現し、パーツを寄せ集めたものに過ぎません。)
「歴史家」と呼ばれる人の多くは、主張を持っており、その主張に従った「解釈」を構築してゆきます。
その過程で、パーツの取捨選択を行い、再現過程において恣意的なものを加えてしまうのです。
例示された2つのサイトの問題点は、それぞれの主張(イデオロギー)が極端で相容れないものであるということです。
このため、それぞれがその主張に従って「解釈」を行うので、第三者からすればどちらもそれなりに論理的で説得力を持つように見えるのです。
正しい歴史というものはありません。
例えば、教科書に記載されている歴史でさえ、随時修正されていますし、「解釈」として正しいだろうとされているものを記載しているに過ぎません。
我々としては、それらの情報の中から、自分が信ずるところに従って取捨選択を行うしかないのだと思います。
いわゆる「ネトウヨ」であったり「サヨ」であったり(どちらも相対する側による蔑称でしょうが)が提供する「解釈」は、多分にイデオロギーを含んでいます。
「ネトウヨ」の場合には、自己のアイデンティティーを国家や民族にオーバーラップさせ、その正当性を主張することで即ち自己を正当化するという心理が強いように感じます。
「サヨ」の場合には、そういった「ネトウヨ」の行為に嫌悪感を覚え、逆に反論のための理論構築に走る傾向があります。
これらの傾向を踏まえながら、ご自身がどちらを「美しい」と感じるか、「正しい」と感じるか、を基準に判断なさるのがよろしいのではないでしょうか。
また、歴史というものは、「解釈」して納得してそれで終わり。ではなく、そこから未来を良くするための何かを学ぶべきものだとも思います。
過去の正当性に拘泥するあまり、対立を生んではいけないと思うのです。(学術的な対立は健全だと思いますが)
こういった観点からこの韓国併合に関して考えると、ご自身の答えが見つかるように思います。
長々と失礼しました。
お礼
なるほど。日本人では無く、韓国人が書いた本のようですね。 非常に興味がわきました。購入してみようと思います。