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「笑い」とはなにか?
「笑い」とはなんなのでしょうか? と申しますのは、この情動が説明できそうで、いまいちなので知恵をお借りしてすっきりしたいのです。 例えば、ジャズのジャムセッションやってますね。素人でそう滑らかでないが、苦労したアマチュア同士が、それなりにアドリブを披露している。で、時々ネタ切れになって短調なフレーズとかお定まりフレーズを奏でると、笑いが起こるというようなとき、 (1)笑いの対象である発信者(演奏者)と笑いの発生者(聴衆)は、わが事のように共有感覚理解がある(アドリブとはどういうものかという経験を共有している) (2)笑いの対象は、ある種のボロを出している(スマートに商業的に行かない事、人間としての生の状況提示) (3)もちろん、こういう展開になることは直前まで予測していないという、意外性が存在する(スマートにアドリブ続きそうだなと思っていたら) というような、共有共感、こっけいさ、人間的ボロの提示、意外性という要素から、どういう理屈でもって笑いというものは発生するのか、分かりたいです。 もちろん、これ以外のパターンの笑いもありますね。そっちのほうの考察もありましたらお願いします。
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私は、ストレスが発生した際にそれが自分にとって問題のない事柄から発生したストレスの場合には、ストレスを緩和させるために笑いという身体的動作を行い、問題があると考えた場合は怒るのだと思っています。 この考え方の前提としては、笑いは防衛反応だという考えと、笑いが起こるような事柄でも、その事柄をみた直後にはストレスが発生しているという考え方に基づいています。 つまり、なにかストレスの発生する物事(論理的欠陥・意外性・理不尽さ等)に直面したとして、その事柄が自分にとって問題ないときは、ストレスによって体が病気になるのを避けるために、笑いという身体的動作によって緩和させ、自分にとって問題があると思った場合には、笑っている場合ではなく、その事柄に対して真剣に対策を考え、あるいは怒ったりするのだと思います。 この自分にとって問題がないという条件があるおかげで、同じ事柄でも人によっては、例えばお笑い芸人がハリセンで叩かれるのを見て、ある人は怒り、ある人は、笑うのだと思います。 同じ事柄のうち怒る人にも笑う人にも共通することは、その事柄を重要視しているということです。 ハリセンで叩かれるのをみて重要性(つまりは暴力みたことに対するストレス)を感じるのは怒る人も笑う人も同じなのですが、その事柄が自分にとって(例え見ていることだけでも)問題があると考えたなら怒り、問題がないと考えたならば笑いという身体的動作によってハリセンを見ることによって発生したストレスを笑いという身体的動作によって緩和・発散させるのだと思います。 私がこういう風に考えるようになったのは、笑いというものが単に面白いときだけではなく、すごく痛みを感じているときや、自分がありえないような、しかし大事にはならないような失敗したとき(例えば、持っている箸をすべり落としたとか)にも笑ってしまうことがあることから考えるようになりました。 他に笑いが発生するときといえば、映画などで登場人物があまりの恐怖の末、狂ってしまったように笑うというシーンがあります。これもけっして登場人物にとっては面白くもなんともありませんが笑っているのです。 これは今まで説明した自分にとって問題のない事柄に対して笑うというルールからははずれていますが、おそらく(といっても映画なので架空の話ですが)例外的に体を極度のストレスから守るために緊急避難的に笑ったというケースだと思います。(だから、他の登場人物が狂ったように笑っている人物に対して「こいつおかしくなりやがったぜ」というようなセリフがありますが、正確には「こいつ、おかしくなるのを防ぐために、笑いによってストレスを緩和してやがるぜ」と言わなければならないところです。) なんだかうまくまとめられませんが、箇条書きにしてみると (1)自分にとって問題のない事柄から発生したストレスならば、防衛反応として笑いという身体的動作を行う。 (2)笑いは、面白さを感じたときだけではなく、筋肉痛や怒りのあまり思わず笑ってしまうなど、面白くなくても笑いが発生するときがある。 昔考えた理屈を伝えたいがために、書いてみましたが、訳のわからない文章になっているかもしれません。 お許し下さい。
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- PAVONES
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ご質問の趣旨とは多少離れるかと思いますが。 『笑い』と『免疫力』の関係は昨今の学問では周知の事ですが、思うに、自然界の残酷な優性保護の法則により、いわゆる「勝ち組」を残し「負け組」を淘汰させるシステムの一部では?
お礼
本当に勝ち組に笑いが多いんでしょうか?これは困ったもので、お答えのとおりになってしまいますね。
- cyototu
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「笑い」と言うもの は、どちらかと言うと楽しいものと受け取られる傾向もありますが、貴方が(2)で指摘なさっている面も否定できません。 三百五十年ほど前の日本の借銀の證文に、万が一返済滞るに於いては、「人中にて御笑ひ下さるべく候」と書いた物があったとうことは、有名になっているそうです。 日本人の笑いに付いて、かなり詳しい分析が柳田國男の「笑い本願」でなされています。その中で、 「日本人はどちらかと言うと、良く笑う民族である。上方あたりの人間は懇意な者の為には笑ひ、見馴れぬ人に対しては笑わぬだけの差別を立てて居るが、関東以北では無邪気な者ほど無差別に笑って居る。小泉八雲さんの『日本人の微笑』は有名なる文章である。いつもにこにこして居ることを愛嬌と言ひ、心のやさしい兆候と目して居る以外に、怒った時でも憎んだ時でも、少し笑いすぎるかと思うほど我々はよく笑う。高笑や空笑は社交の一様式をなして居る。宴会などは何でもかでも、必ず笑を以て終始することになって居る。つまり善意にこれを解説するならば、日本人は笑の価値を知って居る国民なのである。」 と書いてありました。参考になると思いますので、外国人の意見ばかりでなく機会があったら彼の意見も聞いてやって下さい。
お礼
面白いですね。 350年前の踏み倒しの件は意外であり、また粋でもあります。もともといい笑い文化を持っているんですね。近頃は衰退したようです。また復活できるんでしょうか。 柳田の弁、深いですね。ギャグの笑いでなく、人間関係の笑いを重視するということのようです。
たしかそんなことを研究しているアメリカの科学者を見たことがあります。 いきなり通りすがりの人に箱を見せてなかからぼよよーんというやつなんですがやたらうけていました。 どうも笑いというのは意外性、安心性、空気というのがあるみたいです。 日本のバラエティー番組は 意外性<安心性<空気性 といった所が多いようです。 侮辱を芸人にして人を精神的に攻撃するものであっても空気性の方が上回ってきてしまうという悪点もあるのです。 また発生者はやられないので安心感があります。 「ふふふ馬鹿な芸人め!」とおもってるかもしれません。 もうすこし道徳心のある人なら 「ふふふ(自分はやられないからイイや・・・(汗))ふふふ(芸人は大変だな・・・・(汗))」というような嫌がり笑となるかもしれません。 これは基本的に芸人が作った悪空気性にまんまとはまった感じになってますね。
お礼
意外性、安心性、空気は大事ですね。起爆的要素が整っているかどうか、気圧とか温度とか湿度とか。 私はあまり好きでないのでバラエティー的笑いは共感できないとことがあります。それはなにか「強制」のようなもの、その空気を無理やり吸えみたいなところと、侮辱などがネタになっているところですね。
- matrix256
- ベストアンサー率24% (171/708)
私もほぼ、あなたの分析で良いと思います。 あってると思います。 私は 笑いの発生要素は集約すれば 「(空気の)共有」と「意外性」の二点 だと思っています。 あなたの言うところの「共有共感」「意外性」ですね。 あなたの提唱する 「こっけいさ」は「意外性」に 「人間的ボロの提示」は「共有」に それぞれ包括されると思います。 笑いの発生の前提条件としては あなたの言うとおり「共有共感」が まず第一条件です。 斜に構えられるとそれだけで ハードルが上がります。 どんなに「こっけい」で「意外性」があっても 「親しみ」を感じてなければ(共有共感できなければ) 笑いは起きません。単に不気味なだけです。 反対に充分に空気を共有した間柄であれば 「つまらないダジャレ」でも大爆笑です。 要は 相手の素性がある程度わかり 親しみを感じて空気を共有しつつ そこに 「想定外」のイベントが 起爆剤となって着火すれば いとも簡単に笑いがとれる と思います。たぶん。 また、 「笑いを分析すること」自体が 「笑い」から遠ざかるというジレンマを はらんでいる事も付け加えておきます。 つまり、分析しすぎてメカニズムがわかっちやうと どんな笑いも「想定外」ぢゃなくなっちやうんですね。笑 by関西人
お礼
笑いの土台として、まず共感性、人間的感情的つながりがなければならないという点、大きいですね。これは別に親しくなくてもいいわけで、なにか烏合の衆でも、その場限りの共感性共通運命認識みたいのが生まれていればいいのです。エレヴェータの中とか。 分析と効果のパラドックスというのはありますね。芸術的不思議な感じです。
- Jack-Skell
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こんにちわ^^ 言葉で表すのは難しいですが、 『ギャップ』 『緩急』 『繰返し』 『間』 上記のもののあらわし方で、笑いは起きると思います。 もちろんそれ以外にもありますし、上記の事をやったけど笑いが起きなかったなんて事は腐るほどあると思いますけど。 ぱっと思いつくところではこのくらいでした。
お礼
挙げていただいた例は、想像するだけで笑いが込みあげてきますね。ようするに、裏切りが大事なようです。繰り返しとか言うのもその一形態ですね。
お礼
「ストレス」に笑いを誘致する要素があるというのは、新境地ですね。ストレスの概念を改めないといけません。 たいへん意義深いご回答でした。ありがとうございます。