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国と戦う(抗う)って何なんですかね。 

新聞や雑誌でよくこのフレーズを聞きます。 ブログ場や掲示板でも耳にします。 正義の私が巨悪と戦うって印象を持つのですが 訴えてる相手は大衆ですよ。 戦う相手も国とは言うけど、与党とか政府だけじゃなさそうです。 政府なら選挙で変えることが出来ますから。 だからああいうのを見る度に、え?なんで俺に言うのって思うのです。 君の不満は(たぶん)俺も同じなんだって。 同じ問題を共有しながらある人は命令し、ある人は命令を聞くなんて勝手です。 国の立場に立って弁護も議論を誰もしないから、結局はたらい回し。 国って誰なんだ(笑)。そりゃ責任を追及したら有権者ですよね。 君は投票しなかったのか。 K察と北朝鮮のように誰からも弁護されず、リスクを負わずに誰だって文句を言えてしまう。 政治上の芯を持たず、軟体動物みたいじゃ、かっこ悪いです。 社会に善意を持ち、頭と責任を持って世の中良くしたいなあと、そういう人が増えたら嬉しいですよ。 「俺は正義の非国民だから世の中の煩わしいことと何の関係もないぜ。お前たち他人は俺の為に言うことを聞くだけなんだ。」 オイ、そんな人間は行政に口出しするなよ。言うだけならサイヤ人でも火星人にでもなれますがな。 俺、実はゲイで300年生きてるんだって言えるし。 非国民様はブブ漬けでも召し上がってくれ(笑)  ってこれもここで言うことじゃないかもしれませんね。 こういうの、自分以外の人はどう考えてるのかなって思ったので質問してみました。

みんなの回答

  • ycan
  • ベストアンサー率22% (39/174)
回答No.2

おっしゃることは分かります。 法人における責任論だと思います。国も企業も法人です。そして両者とも理事者(総理大臣、代表取締役)が運営をしており、理事者はよく変更されますが、法人は持続します。 特に近代国家は運営は国民自身ですので、国を訴えることは国民を訴えることになります。同じことは株主訴訟でも言えます。株主が企業を訴えることは、企業を所有する株主(自分でもあります)を訴えることになります。 ここに法人の運営主体は誰かという本源的問題があります。国民にしても、株主にしても、多くは、自分が法人の運営主体だと思っていません。 企業で言えば、倒産したらその責任はどうなるのでしょうか。また原発の後始末ですが、国という制度は原発の後始末が終わるまで続くのでしょうか。 あなたのおっしゃる、法人とその責任が大変難しい問題でしょう。

回答No.1

話が抽象的過ぎて、よく理解できませんでした。 少なくとも、社会に問題があれば、それを改善して、みなで よりよい社会にしていこう、という思想は、とても大事だと思います。そのときに既得権益者と戦わなければならないことも多いでしょう。それでも、しんねんをもって行動することは尊敬に値します。 「はあ? 戦う? ばっかじゃないの?」 と、世の中に正対せずに他人を見下すよりは、よほど立派な生き方だとおもいます。