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MRSAに感染した肺炎について教えてください。

父が病院でMRSAに感染し、バンコマイシンを投与されましたが、効かないと言われ、医師は投与を中止しました。肺炎はもう良くならないと言われ、人工呼吸器につながれて延命治療に移っています。人工呼吸器につながれて2週間が経過したところです。最近、ネットで調べてみると、バンコマイシンが効かない場合、リネゾリドという薬があるということを知ったのですが、どうなのでしょうか?もはや死を待つだけなのか、それとも肺炎を治せる可能性はまだあるのか。専門家の方にお聞きできれば幸いです。

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  • inoge
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回答No.1

「バンコマイシンが効かない場合、リネゾリドという薬がある」とは、MRSAがバンコマイシン耐性になった場合に奥の手が有りますよ、という話です。そういうこともあります。ところがお父上の場合、MRSAがバンコマイシンに耐性を持ったわけではないと思います。バンコマイシン耐性菌が見つかったら、さらに厳重な隔離などけっこうな騒ぎになるはずだからです。バンコマイシンに耐性の無いMRSAが起因菌であっても、血行から薬剤の移行が病巣に至らないような組織変化(病巣の周りに壁のようなものができたような状態)とか、他の疾患や低栄養や高血糖や免疫能低下などの全身状態悪化があれば、薬剤が何であっても肺炎は治りません。主治医のいう「バンコマイシンが効かない」とはこちらの意味であると思われます。医者をやっているとしばしば遭遇する状況です。こんな状況でリネゾリドをホイホイ使ってたらリネゾリド耐性菌が生じて奥の手が奥の手でなくなってしまい、効果は全く無い上に今後助かる人も助からなくなる状況が容易に想像されます。すなわち、MRSAという菌が生まれてきた時の状況の繰り返しになるわけです。リネゾリド耐性菌は必然的にいつか必ず蔓延しますがそれを少しでも遅らせて次の世代の抗菌剤まで時間を稼ぐのも医師に必要な良識であります。もちろん、単なるバンコマイシン耐性菌感染に対してはキッチリとリネゾリドを使うべきです。

taki1967
質問者

補足

inoge様、非常に詳しいご回答、ありがとうございました。父は脳梗塞発症後のリハビリを経て自宅で介護していたのですが、5月末に胃潰瘍で胃から大量出血し、入院後は自力で食べられなくなったため、胃ろうを造りました。どうもその前後にMRSAに感染したようです。肺炎がひどくなり、結局、胃ろうからの栄養補給もできず、高カロリー輸液による点滴を続けています。inogeさんがおっしゃるように、低栄養、免疫機能低下は著しいと思われます。人工呼吸器につながれてからは鎮静剤を打たれ、意識もありません。現在は口から管を入れていますが、主治医は気管切開して人工呼吸器につないではどうか、とかなり強く求めています。ただ、これには母が「意識がなくなった上に声まで失うのか」と猛反対していて困っています。これで肺炎が治る見込みもないとすると、どうしていいのか、八方塞がりの状態です。何か最善の道はないでしょうか?

その他の回答 (1)

  • inoge
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回答No.2

 今の主治医の方針はまさしくいわゆる「不毛な延命」であります。悪性疾患(いわゆるガン)の末期でよく言われますが、脳梗塞にも末期はあります。気管切開のデメリットとして声を失うこともありますが、さらには人間の尊厳としていかがなものか、ハッピーな状態に少しで持ち被くものなのかという問題があります。「不毛な延命」を最近の一部医療評論界では「医学的無益」と呼んでいます。ニュアンスが微妙に違うので李啓充氏の文章を参照いただければ幸いであります。 http://www.igaku-shoin.co.jp/nwsppr/n2004dir/n2603dir/n2603_05.htm 気管切開や人工呼吸器は、回復する可能性が見込めるときに(←この予測が簡単ではないのですが)使うべきものだとわたくしは考えております。はっきり申し上げると、あれこれ医学的な手段を尽くすことより、ご家族ができるだけ傍に居ることが重要な状態なのではないかと推測しております。そういう時期そういう状況というのは、医療界には日常的に見られる光景です。これはわたくしの個人的見解です。過去にはそういう不毛な頑張りをさんざんやったことがあり、だんだんわかって気がしてます。今の主治医はお若いのかもしれないし、わたくしと異なる確固とした哲学を持っておられるのかもしれません。客観的正解はありません。 世間全般について申し上げると、気管切開、胃ろう形成 全介助状態のお年寄りは老人病院・特養ではしばしば見かけます。胃ろうは摂食だけの障害という状況もあるのでまだしも一考の余地ありですが、全体として非常に不毛な延命は日本中にザラにみられます。患者の自己負担が少なく、そういう状態の延命を肯定される家族が多いから可能になる話です。世界中でこんなことをやってるのはおそらく日本だけなのですが、日本が正しいのか他国が正しいのかは高度に倫理的哲学的命題であって結論は難しいです。仏教で言う「業」の問題と本質的には同じだと考えております。

taki1967
質問者

お礼

inoge様、このたびは有り難うございました。「不毛な延命」や「医学的無益」という言葉、死が迫った患者の家族にはなかなか辛い表現です。李啓充氏の文章も読みましたが、医師を相手取って提訴したジョーンさんの気持ちはよく理解できます。一方で、医師が医学的見地として「無益」と判断し、家族の了解を得ずに人工呼吸器を外して患者が死亡するというプロセスに本当に問題はないのでしょうか。この件に関し、アメリカの司法は違法性はないと判断したようですが、われわれの立場から言えば、信じがたいことです。  父の主治医は確かに30代の若い医師ですが、母が「もう一度、意識を取り戻してアイスクリームでも食べさせてあげたい」との希望を尊重し、気管切開の決断は後回しにして人工呼吸器の離脱にチャレンジしてくれました。まだ口から管は入れていますが、鎮静剤をやめ、徐々に酸素濃度を低くした結果、驚くことにきょうはほぼ自力で呼吸していました。少しばかり生きる望みが出てきて、家族にも笑顔が戻ってきました。inogeさんが言うように、客観的な正解はないのかも知れません。何かと考えさせられますが、貴重なご意見を頂戴し、非常に参考になりました。重ね重ね、有り難うございました。

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