日本の神や仏を論じる場合に心しておかなくてはならないことは、日本の仏教は、神仏混淆の日本独自なものだということです。明治政府の蛮行「廃仏毀釈」で日本人の宗教観がめちゃくちゃにされてしまい、多くのお寺では今なお神道の神様が祭られていることが、現代の多くの日本人には理解できなくなってしまったのです。
お寺ではありませんが、路傍の馬頭観音や、庚申さまの青面金剛もその よい例です。この日本の神様が、仏教や道教の影響を経てどう変遷して来たかの簡単な説明が、柳田國男「年中行事覚書」中『二十三夜塔』に載っています。柳田國男には、もっと完全な論考もあります。
彼は「秋風帖」中『馬の仕合吉』で次のように述べています:
この辺りの人は見堺いも無くすべて馬頭観音様と言って居るが、馬の神の石像にも実に色々の種類がある。十一面の省略かと思う三面の仏さまにも、庚申さまに相違無いのにも、大日如来にも地蔵菩薩にも、共通に頭の真中にクチナシの実によく似た馬の首が付いて居る、云々。
(本文旧漢字)
この問題を切っ掛けに、日本の仏教がびっくりするほど神道の影響を受けていることについて調べて見るのも、一考かと思います。
例えば、お盆も、お墓の卒塔婆も、仏壇の位牌も、お寺でやる何回忌も、お釈迦様の花祭りも、また、仏教とは関係ありませんが、お節句も皆、神道の行事だったのです。
この辺りを認識すると、日本人て何なのかが見えて来るかも知れませんよ。
お礼
ありがとうございました。 道端の馬頭観音て何かなあと思い聞いてみました。 すっきりしました。