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初めて訳した人
小さい頃から気になっていたのですが、外国語を初めて訳した人って どうやって訳できたのでしょうか? やっぱり初めは身振り手振りなんでしょうか? それとも住んでいるうちに自然とわかったとか? 教えてください。
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私が知ってる範囲で考えてみますと。 江戸時代に、オランダ語の医学書を翻訳し「解体新書」を発行した前野良沢らの場合では、 出島のオランダ人から単語を一部習得 →日本語の単語に部分的に置き換え →あとはヤマカン(^^;) (知らない単語は、オランダの国語辞典を見て、知ってる単語で解説されていないか、探しまくる) 多分、他の場合も似たような感じだったのでは、と思います。 ベッタベタに一単語も分からない時は、やっぱり身振り手振りだったんでしょうね。 昔の漂流記を読むと、それで会話が通じたり通じなかったり、しています。 (仲良くなってからは、相手に単語を尋ねまくって習得) ただ、昔の人達が外国人とコミュニケーションを取る時というのは、 「腹が減ってる、食べ物を分けてくれ」とか「コレとソレを交換してくれ」とか、 割とシンプルなやりとりが多かったでしょうから、それなりに何とかなったんだろうと思います。 (前野良沢の翻訳の場合は、お医者さんが医学書を訳しているから、ヤマカンも効果的だったのではないかと…。 尤も、当たり前というか、今見ると結構誤訳箇所が多いそうです) また、日本書紀では、大和朝廷の遠征軍と北方民がコンタクトを取る際、 相手が姿を見せる場所に交易用の品物を並べ、相手が受け取るかどうか影から見守る、 という方法をとった事が記録されています。 “沈黙の交易”と呼ばれるもので、言葉の通じない者同士が取るオーソドックスな接触方法だと言われています。 「解体新書」の翻訳の顛末は、みなもと太郎先生のギャグ漫画「風雲児たち」5~8巻 :第二期 蘭学黎明編が面白くてお勧めです♪ 良沢たちのジタバタぶりは、笑っちゃ悪いと思いつつも、すんごい笑えます。
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- ranx
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江戸時代に漂流してロシアへ行った大黒屋光太夫の見聞をまとめた「北槎聞略」にも No.2の方と同じような話が載っていたように思います。 光太夫達の身なりは漂着先(アリューシャン列島)現地人とは異なりましたから、 現地の人達がいろいろと尋ねてきます。最初は分からずにいたのですが、そのうち 「これは何だ?」と聞かれていることに気づき、逆にそれを使って現地の言葉を 聞きまわったという話でした。
- tiaki7
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植村直己さんが著書「青春を山に賭けて」のなかで 誰も知り合いのないエスキモーの村で生活した時の様子が 書いてあります まず子供にいろんな絵を書いて見せます すると子供がその絵の単語を襲えてくれます つぎに 今度はなにかわからない絵をかきます すると子供が「何」とききます 「何」と言う単語がわかったら後は色々聞いて メモして覚えていったそうです