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九十九本の矢

次の話はどこの話だったか教えて下さい。もし出典もご存知でしたら教えて下さい。 昔、ある殿様?が海岸の長さを測るのに、ある間隔で百本の矢を順に数えながら刺して行ったら99本目で全ての矢が尽きて、そこがちょうど海岸の長さだった。不思議だったので、矢を抜いて数え直して見ると、矢は丁度百本ある。何度試して見ても、矢を刺すと99本で尽きてしまった。 たしか柳田國男の本のどこかに載っていた話だと思うのですが、思い出せません。宜しくお願いします。

みんなの回答

  • luke24
  • ベストアンサー率40% (64/157)
回答No.2

千葉県は房総半島の話のようです。 こんな記述がありました。 ○箭挿(やさし)神社  創建の由来は明らかではないものの、祭神は日本武尊あるいは源頼朝とされ、約60kmの九十九里のほぼ中央に位置している。江戸時代、領主である旗本・津田氏の信仰厚く、弘化2年(1845)社殿が造営・寄進され、さらに嘉永2年(1849)源頼朝座像(現在村指定文化財)が奉納されている。  治承4年(1180)、石橋山の合戦に敗れた源頼朝は、海路、安房国に逃れ、房総半島で勢力を養い、やがて平家を討伐して鎌倉に幕府を開いた。この史実に関連して、房総各地には数多くの頼朝伝説があり、蓮沼村の箭挿神社の伝承もその一つである。伝説によると、治承4年(1180)とも、文治5年(1189)とも伝えられるが、房総巡回中の頼朝が、外洋に面した海岸線があまりにも雄大なので、南の太東岬から北の刑部岬まで、浜辺へ一里ごと(小道6里)に箭(矢)を立てて、その距離を測ったとされる。その結果、「九十九本の矢を刺し遊ばされた」ので、一体を「九十九里矢指が浦」と呼んだ。蓮沼の地は、49本目の矢が立ったので、「矢十本相祭り小宮を建て、矢指八幡宮と称し奉り候」と伝えられる。                                 (『蓮沼村由来分地録』より) http://www009.upp.so-net.ne.jp/soramame2000/hasunuma.htm

cyototu
質問者

お礼

有り難うございます。詳しい説明、役に立ちました。 まだ一つ気になるのですが、百本の矢が九十九本になってしまう怪は、九十九里浜と関係があるのでしょうか。

  • J_Hiragi
  • ベストアンサー率13% (165/1182)
回答No.1

千葉の九十九里浜では? 殿様は源頼朝かと・・

cyototu
質問者

お礼

有り難うございます。役に立ちました。