こういう問題は自分で考えないといけませんね。しかし、簡単に答えを書きましょう。
1)日本の近代国家について国民創出という観点から
江戸時代は、日本は多くの藩に分かれていました。徳川幕府はありましたが、各藩の住民は藩の「国民」であって、幕府の「国民」ではなかったのです。
というより、「国民」というのが、「近代国家」を前提としての考え・概念です。
明治維新政府は、日本の近代化を進めるため、近代国家の体裁として必要な、「国民」の制度を制定しました。まず、藩国家というものを廃した訳です。その上で、藩の住民は、すべて、日本帝国の臣民であるとして、日本帝国の戸籍に組み込みました。
戸籍制度を全国的に制定し、国民を戸籍に編入したこと。これが、近代国家の国民の創出による、確立です。しかし、これだけでは不充分で、国民に権利や義務を定め、納税の義務、男子は、徴兵の義務などを定めました。
国民からの税金を明治政府国家が受け取らなければ,国家の収入がない訳です。また、近代国家の要件には、自国を防衛する「軍隊」が前提になります。その場合、傭兵か、国民軍隊かですが、国民軍隊として、徴兵制をしいた訳です。
つまり、国家の直接の臣民であることを、戸籍制度で明らかにし、納税と徴兵の義務,及び国民の権利を規定することで、国民存在を確立し、近代国家日本の基礎を定めたのです。
2)天皇制について国民創出という観点から
近代国家としては、少し不自然ですが、天皇は国家君主であり、元首であり、軍の総帥であり、そして、日本国民の「本家」の家長であるということになります。
日本は、明治政府においては、色々な家に個人が属していることになり、その家は、祖先を遡れば、万世一系の天皇家の分家から分かれたものか、天皇家の臣下の家系から分かれたものであるとしました。
日本帝国国民を制定するとき、国民は、各家の構成員で、各家は、日本の歴史的伝統で、本家であり、主家である天皇家に従属してきたものとし、本家・主家の天皇家の家長である天皇が、日本国民全体の間接的「家長・首長」であるというのが、明治の国民と天皇との関係です。
歴史的に明らかでない場合も、神話的に、天皇は、帝国臣民の「家長」で、「父」であり、「親」であるとしました。日本が、朝鮮半島や台湾住民も、帝国臣民に加えたとき、彼らも、天皇を「父」「親」とする存在であるとしました。
天皇は、日本だけでなく、世界の住民の「家長」だというような話にまでなって来ます。
天皇と帝国臣民(国民)は、このような関係にあるものであるとして、臣民・国民を確立すると、天皇の地位や、その存在意義も自動的に決まってきます。単に、「征服者」ではなく、国民の祖先の主の直系子孫の「家長」が天皇になるのです。