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青物問屋

江戸時代、青物問屋のあるところって近くに青物市場のない特殊なところなんですか?

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回答No.1

吉田伸之「日本近世の巨大都市と市場社会」(同『巨大城下町江戸の分節構造』、山川出版社、1999年)を参照しました。 例えば、明治元年の駒込市場には、計11軒の青物納人(青物問屋)がいました。その近くの、小石川大塚町や、巣鴨町にも1軒ずつ青物納人がいます。 したがって、江戸の町の場合、単体の青物問屋(吉田伸之氏は「散在問屋」と呼んでいます)の近くに青物市場が存在しないとは言えないと思います。 ただし、これは江戸という当時の日本で最も人口の多い町のケースであり、市場のない、規模の小さな町では、町の中に1軒しか青物問屋がないという事態はありうると思います。 「特殊」という言葉を使った意味がよく分からないのですが、江戸時代の問屋の存在形態として、市場を形成することが一般的であり、市場から孤立して問屋を営むことは特殊であるという意味なのか、それとも、「特殊」=辺鄙、といった意味なのか、どちらなのでしょうか。